カンボジア事情 文化のギャップ

カンボジア事情 文化のギャップ  2009.2025. 金森正臣

この文章は、カンボジア日本人会の会誌のために書いたものです。  

 文化をどのようにとらえるかは、様々な方法が有り一様では無い。私自身は、動物の生態学が専門であるから、文化を研究する分野では無い。しかしチンパンジーなどと付き合っていると、文化の起源には良く出会う。友人に様々な文化人類学者や自然人類研究者がいて、よく議論していたから、それなりに考えることが有った。文明が形に残る物を含むのに関して、文化と言うとハードを含まないと考えられることが多い。

 文化の起源を考えると、既にサルの時代からある。チンパンジーなどでは、同じものが有っても、食べる、食べないの相違が地域によって存在する。また、様々な食べ方も地域によって異なる。ニホンザルのイモ洗い行動で有名になった幸島のサルは、最初に一匹が始めた「砂を海水で洗う」行動が、群れの他の個体にどのように伝搬したかと言う研究で、注目を集めた。この集団では、他にも次々と新しい技が、出来て行ったことが知られている。私は、この様なことから文化の起源を、「文化とは、生存のために親から子どもに、或いは世代を超えて伝承される、行動様式」と定義している。即ち、遺伝子上に乗ったものでは無く、誕生後に獲得される行動である。文化と言われる行動様式は、様々に分化発展したために、現在の人間行動を見ていると、多様過ぎて簡単に起源が理解できない。ある部族の挨拶の仕方は、他の部族では通用しない。またある部族の通過儀礼は、他の部族では行われない。しかし、上の様に文化を考えると、複雑な人間の文化にも、いくつかの基本的な共通な問題が見えてくる。

 人間は、どの生産様式で生活するかで、行動様式が大きく異なって来る。例えば、定住する、しないは、生命を維持するエネルギーを得るための生産様式に関わる。狩猟採集や遊牧では、いつも移動を必要とするから、定住することはできない。常に移動を伴う生活様式は、多くのものを持てないから、最小限の生活道具になる。「食の文化誌」を書いた友人の石毛直道から、「調理法は調理道具に依存する」、と言われて目から鱗の気分になったことがある。確かに、鍋が無ければ煮込むことは不可能である。臼が発達しなければ、ウドンやソバは、出来ない。彼はアフリカの食文化を、焼く文化だと言っていたが、焚き火に石を入れて熱くし、焼くのは最も初期からあった原始的調理方法であろう。今でも石器や縄文式土器を使っているアフリカの部族を見ていると、妙に納得してしまう。イギリスなどで料理があまり発達しなかったのは、移動する遊牧民起源の文化なのではないかと思っている。大阪の民博の松原毅は、トルコのユルック(歩く人の意味)を研究していて、遊牧民の特徴を詳細に調べた。家畜に餌をより多く食べさせるために、謝らない文化が出来上がっている話に驚いたことがある。草場をめぐって、言い争いながらでも、自分の家畜に餌を食べさせようとすると言う。家具は少なく、調理法も単純である。しかし、観天望気で、自然の法則を読むことは、自分の生活を守ることでもある。これが西洋の法則科学である、自然科学の発達に関係しているであろうと思っている。文化の基底には、自然環境が大きく影響している。農耕が出来ない荒れ地に遊牧が発達し、肥沃な土地には農耕が発達する。遊牧は、薄く広がったエネルギーを、動物に集めさせて利用する方法である。

 カンボジアは、農耕民族であり、水田農耕を主にしている。土地を耕す農耕民族は、土地に縛られて移動が出来ないことに、その特徴がある。遊牧民が、太陽のエネルギーを家畜に集めさせて摂取するのに対し、農耕民は、光合成した植物から直接エネルギーを得る。生態学的に見ると、同じ面積当たりでは、植物食は、動物食よりも100倍のエネルギーが得られる。古い4大文明が、いずれも農耕を生活様式としていたことは、この様な接取エネルギーの差によるところが大きいであろう。集めたエネルギー量が多ければ、余裕のある暮らしが出来る。余裕が出来ると瞑想や妄想も多くなり、様々な思想を生み出す様だ。4大文明はいずれも死後の世界を持っており、墓を作っている。長い時間とエネルギーをかけて、思想が発達したことが伺える。カンボジアの遺跡群も、ほとんどが死後の世界に関連しており、日常の仕事に追われるよりも、ゆったりとした時間を使って、妄想を巡らせた人たちが多かったことであろう。遊牧民の様に、毎日乳を絞って食を得なければならない生活では、妄想を巡らせている時間は無い。しかも動物たんぱく質は、長期間の保存が難しいから、余裕はなかなか生まれない。

 カンボジアは貧乏ではあるが、生産性が高く、豊かな食料に恵まれている。ポルポト時代でも、飢え死には少なかったと言う。日本など温帯に属する場所は、寒い期間が有り、植物の生長が止まる冬には、貯蔵が必要不可欠になる。この寒さを乗り切る冬仕度は、基底に計画性を伴っている。ところがカンボジアでは、温度が高い、湿度も高くなるなど、食物の貯蔵は難しい。日本でも、我々の時代には、皿の上に乗った食物を残すことは罪悪感が有った。カンボジア人は、貧しい人々でも食物を残して捨てることに躊躇が無い。生産性が高い、保存が難しいなどの問題と関連して、発達した文化であろう。お金が入れば、すぐにレクサスやバイクに使ってしまうカンボジア人の感覚に、違和感を持つ人も多いであろう。計画性のなさは、相当なものである。路上の乞食が、トランプなどで賭けているのも、日本人にはなじまない感覚である。無意識を研究した臨床心理学者のユングは、無意識の構造を、個人的無意識(誕生以来の経験による無意識)、文化的無意識(育った文化の影響を受けた無意識)、普遍的無意識などに分けた。人間の行動に影響を与えていながら、意識できない部分が無意識である。文化的無意識は、日本の気候風土の中で育った無意識を指しており、冬を越すための計画性を考えるのは当然のことと思っている。この様な無意識があると、カンボジア人の計画性のなさを嘆いたり、向上心の少なさを嘆いたりすることになる。誰だか分からないほどの極端な厚化粧や、見せかけの豊胸にはなかなかなじめないところがある。これなどは儒教の教え「高言令色鮮矣仁」が、日本の文化に強い影響力を持っていたためと思われる。自分で意識できない文化的こだわりによる、ギャップはなかなか乗り越えることは大変である。

日本人の計画性は、水田農耕と冬によるところが大きいと思われる。カンボジアの計画性のなさは、同じ水田農耕の日本から見たとき、不思議に感じることが多い。日本では、温度に制限されて、代かきや田植えの時期、収穫の時期が決まって来る。カンボジアは、温度はいつでも間に合っていて、作業の制限要因は、水に限られる。この水の要因が、計画性をなくす要因になっているように見受けられる。メコンの水の水位の変化は大きく、人力をはるかに超えている。そのために、基本的に稲作は、水が少なくなり始めてから始まる。毎年増水がどこまで行くのかは、予想がつきかねるからである。メコンデルタは、稲作の始まった地域であると思われるが、技術的には自然に依存せざるを得なかったのであろう。日本の技術から見ると遅れているところが目につく。だからと言って、日本の技術を持ち込めば、使えるかと言うとなかなか難しい自然の条件がある。いまだに稲作が発生して以来変化していないと思われる、浮稲(ウキイネ)などを作っているのは、自然の条件の日本とは異なる厳しさを示しているのであろう。また共同で水や水路を管理する日本の農業と異なり、カンボジアの農業はほとんど人工的には水を管理しきれていない。この共同作業の有無が、社会規範の相違に大きく影響している。仕事をしている人が居ても、すぐ脇で平気で遊んでいる感覚は、日本の従業員には見られない感覚である。
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