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金森先生のカンボジア日記

金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記

御礼 

2011年02月11日 | 文化
御礼    2011.2.11. 金森正臣

 先日は、8回目になる「正臣会」を開いて頂き、有難うございました。懐かしい皆さんにお会いすると、その当時に一気にタイムスリップしてしまいます。最初の頃の皆さんにお会いしてから、既に32年が過ぎ、それぞれの道を確実に歩かれていることを実感して、非常にうれしい思いでした。

 また、最後に近い頃の皆さんも、結婚してお母さんになっておられるのを見て、やはり学生時代を思い出しました。シュクちゃん、マユちゃん子ども連れは大変だったと思いますが、わざわざ来て頂き感謝です。お元気そうで、そしてこれからいろいろな事を経験されるであろうと思うと、「無理しないで頑張ってね!」という思いでした。

 あの後月曜日には病院で検査を受け、手術の後遺症もほとんどなく、問題はなさそうです。先生から「問題無いからガンガンやってください」と妙な励ましを受け、どんな意味だろうと考えたりしましたが、どうやら好き勝手して大丈夫、とのことかと理解しました。と言う訳で、明日カンボジアに戻り、カンボジアでの活動に復帰します。

 発表をして下さった皆さん、有難うございました。計画をして下さった小鹿さん、いつも有難うございます。お陰さまで、皆さんが何を考えて仕事をしているかも分かり、私も励まされます。私も、研究を始めたばかりのころに、信州大学の松本の先生の所に、2ケ月に一度くらい通いながら、卒業生たちの研究発表を聞いていました。様々な人たちが、人生を共有しながら歩けることは、楽しいことですし、発展性が有ります。皆さんと共に歩けることを感謝したします。

近況報告   2011.1.31.

2011年01月31日 | 文化
近況報告   2011.1.31. 金森正臣

ご無沙汰しております。
今年の正月は、最近になく忙しく、この年になっていろいろ楽しめるのは嬉しい限りです。年末から海の上で正月を迎えたのは、2年目です。その後、CIESFのメンバーと合流し、4日まで釣り三昧、刺身三昧でした。

正月の5日からは、ラオスの教育調査に出かけました。5―6回目のラオスですが、教育の調査はしたことがなく、まったく初めてでした。昨年の4月の末に、ラオスで調査をした時も、ラオスの友人から、「ラオスの教育も支援してよ」言われたのですが、忙しいのと大変そう(自然の変化が大きくて、文化が多様化している)で、いやだと言って断っていました。もちろん資金の目途もなかったからですが、ラオスは日本に似たところがあり、ハマリそうな感じだったので、この年からでは無理だろうと思ったからです。今回の調査は、カンボジアオフィース代表(元カンボジア大使)の篠原さんの縁で、駐日本のラオス大使から依頼され、引くに引かれぬ立場ということにして出かけました。

結果は予想通り、CIESFがする事項もはっきりし、ハマリそうなこともはっきりしました。でも問題は山積のようです。どうもフランスの植民地は、まったく庶民の教育をしておらず、植民地に使う者の教育だけをしていたようです。我々は、フランスは「自由、平等、博愛」の国と教えられていたが、この博愛は自分のグループに対するもので、万民に対するものでは無いと、フランスの専門家から聞いたことがあり、妙に納得が行く話であると感心ししまいました。

調査後カンボジアに14日に戻り、カンボジアで19日まで忙しく仕事をし、21日に帰国。その後の1週間は、東京の事務所で仕事でした。2月5日に皆さまにお会いし、ラオスの報告ができることを楽しみにしております。

休日の多いカンボジア   

2010年11月17日 | 文化
休日の多いカンボジア   2010.11.17. 金森正臣

 カンボジアは、祝日が多いと感じていたが、調べてみたらその多さにビックリ。10月から11月にかけては、特に連休が多い。10月には、7-10日が日本のお盆に当たる「プチュンバン」で4連休(クメール正月は4月であるから、丁度半年たってお盆)。29日(金)が、現「シアモニ」国王の王様に就任した日。31日(日)が、シアヌーク前国王(現在でも最も国民に人気が有る)の誕生日。日曜に重なったので振り替え休日になり11月1日(月)が、休日。従って土曜日も入れて4連休。11月も20-22日が雨期明けを祝う「水祭り」の祝日。21日は日曜日のために、振り替え休日で23日(火)が休日で、4連休。「水祭り」には、地方から人々がボートレースに集まって来る。ボートレースは、トンレサップ(サップ川)で行われ、王宮の前がゴールになる。普段130万人ぐらいのプノンペンが、数日間300万人以上に膨れがらる。

 カンボジアの祝日は、正規が27日、振り替えが2-3日あるから約30日は基本的に休み。日本の祝日の15日ぐらいの約倍近くある。

 もともと多い休日に、振り替え休日が加わり、更に自主休日が加わる。これは連休を利用して地方に帰る人が、連休が終わってもなかなか帰って来ない現象。更に連休前から帰る人もいるから、両側に休日がついたようなもので、1週間ぐらいは休みになってしまう。

 写真は、現シアモニ国王の誕生日の祝日前。独立記念塔の周囲に国王の写真が飾られ、国旗が掲げられて、お祭り気分が盛り上がる。

会食御礼

2010年09月26日 | 文化
会食御礼        2010.9.26. 金森正臣

 先日は、食事会を開いて頂きありがとうございました。
久しぶりに皆さんのお元気なお顔を拝見し、元気な気分になりました。愛知県に来てからの最初の頃の皆さんが多く、30年前に戻った様でした。あの頃、「出世払いだぞ」などと言いながら、食事をしたことを思い出し、すっかり立派なった皆さんに感慨深い思いでした。日本の味を堪能させて頂きました。
以下の様に最近、いろいろすることが多く、まだ体力が十分ではありませんので、ブログの更新が滞りがちです。でも健康は大丈夫ですから、あまり心配しないでください。

 食事の前に、少しお話した、私の人生について少し述べさせていただきます。

 今から52年まえ、長野県の蓼科山の北の貧しい山麓の村から、牧場を始めようと上京した。高校時代から、貧しい農村の先の見えない生活の理不尽さを何とかしようと思っていた。当時住んでいた村の山の上に、広いササ原が有り、ここを牧場にして農家に肥育牛を預けて、収入の増加を図ろうと考えていた。現在ここは長門牧場になっている。先日、諏訪に会が有り出席したら、途中のサービスエリアに、長門牧場のソフトクリームが有り、懐かしく思い出した。

 卒論のゼミの最後の1月頃、5人の仲間の一人が、農家は金を儲けてどうする。1代目は良いが、3代目になると江戸時代から川柳にある様に「売り家と、唐様に書く、3代目」で、2-3代目になると意味が無くなるであろうと言う。返答に困り、卒業を伸ばす計画を立てたが、指導教授がアルバイトで生活していることを知っていて、「簡単には答えが出ないから、山の研究所に就職してゆっくり考える様に」と配慮して下さった。

 山村から「貧しい農村の改善」の志を持って上京したにもかかわらず、こと志と異なって、大学で42年間暮らしてしまった。退官して5年、2008年の夏に、現在の公益法人CIESFの理事長と偶然にプノンペンで会い、協力することになった。私の計画では、2008年には、退職金も残り少なくなったので、10月ごろに帰国する予定であった。既にかなりの家財を友人などに渡して、帰り仕度をしていた。更に2009年10月になって、元カンボジア日本全権大使の合流によって、カンボジアの80%の人々が従事している農業を改善することが国の安定と教育の改善にも必要と言うことになり、本格的に大学の農学部の支援をすることになった。カンボジアにも古くからの王立農業大学が有るが、ここはすでに伝統が有り、農家の農業改善には、ほとんど役に立っていない。新たに出来た田舎にあるバッタンバン大学の農学部を強化することにより、農家の農業を改善しようとする試みである。時間もかかるし、巨大なプロジェクトになる予定で、どこまで体力が続くかが、成否を決めることになる。お陰さまで、ガンも何とか通過できたので、新しいプロジェクトの、レールまでは敷きたいと思っている。農学部の支援の内容は、現在も日本の各大学などと交渉中で、また次の機会に報告したい。52年前に志を抱いて上京した農業改善を、カンボジアで始めることになり、不思議な縁を感じる。

北朝鮮レストラン

2010年08月31日 | 文化
北朝鮮レストラン  2010.8.30.  金森正臣

 カンボジアは、北朝鮮と国交のある数少ない国である。カンボジアには、北朝鮮のレストランが3軒ほどある。最初に出来たのは、観光の町シェムリアップで、評判が良かったのでプノンペンにも進出してきた。これは軍関係の店であると云う噂である。

 その後3年ほどして、プノンペンにもう一店できた。これは芸術大学系の店だと言う。
いずれも綺麗どころが、接客や踊り、琴などを披露する時間が有る。料理はどちらも朝鮮料理で、ピョンヤン冷麺がおいしいと評判である。北朝鮮としては、ドルが稼げるし、情報の収集に良いのであろう。

 一昨年だったか、年末に突然軍関係の店が閉鎖された。シェムリアップの店も閉鎖された。しばらくして閉店した理由の噂が流れ、シェムリアップの店の誰かが亡命したからだと言う。その後2年ほどして、2店ともに再開された。

 北朝鮮レストランで目立つのは、韓国系のお客さんである。皆さんカメラを持って、一審に写真を撮っている。特に観光客の団体が目立つ。韓国の人たちにとっては、数少ない北朝鮮の実態の一端を見るチャンスなのであろう。多分、お店に来ている人たちはエリートで、北朝鮮の生活の実態とはかけ離れているのであろうが。

煙草の一本売り

2010年08月28日 | 文化
煙草の一本売り  2010.8.28. 金森正臣

 朝の街角で、たばこ売りのおばさんが、モクモクと作業していた。タバコを吸っているわけではない。両切りの煙草に、フィルターを付ける作業をしている。フィルターを付けると、少し高級感が出て高くなるのだろう。

 前に置いた両切りたばこ2本の間に、フィルター2個を付けて茶色の紙で巻く。それを向かって右手の袋に入れ、また次の作業を行う。しばらくしてフィルターの部分の糊が乾くと、2本の真ん中をカミソリで切ると、フィルターたばこ2本が出来あがる。

 カンボジアでも、タバコは箱売りが普通である。しかし貧しい人たちは、タバコを1本買いする。60年以上昔の日本でも、たばこのバラ売りは結構あった。あれこれ違ったタバコの味を楽しめて良いのかも知れない。

 カンボジアは雨季。今日も午後3時半ごろからスコールが来た。日本より涼しくて過ごし易い気がする。

お見舞い御礼

2010年08月18日 | 文化
お見舞い御礼   2010.8.18. 金森正臣
         
皆さま

沢山お見舞いをいただき、ありがとうございました。
色々な皆様にご心配をおかけして、申し訳ございません。

カンボジアに来て2週間が過ぎましたが、日々順調に体力を回復しております。
まだ元に戻るまでには、2-3月かかると思われますが、特に大きな問題もなく仕事を続けています。もっとも、事務所の皆さんにサポートして頂いて、半日勤務のような状態ですが、少しずつは仕事が進んでいます。

これからもボチボチですが、仕事をして行きたいと思います。
今後もよろしくお願いいたします。

ブログ上のあいさつで失礼いたします。

遠野物語 2.マタギのこと  

2010年08月02日 | 文化
遠野物語 2.マタギのこと  2010.8.2. 金森正臣

 遠野物語に、マタギのことが出てきた。東北から信濃までぐらいの日本の北の山地に生活していた狩猟を生業とした人々である。私は、小学校に上がる頃から高等学校卒業までを、長野県の八ヶ岳の北の山麓で育った。村の一番奥の集落で、冬になると熊撃ちを専門に行う猟師が3人ほどいた。その一人は家も近く、特に可愛がってもらった。研究をするようになって、子どものころに熊が獲れた時に見ていた儀式は、マタギのものであったと気がついた。

 「遠野の物語」のマタギの話の中に、木の枝を使って、自分の通った跡を他の人に知らせる方法があることが載っている。どの父系の人がどの方向に行ったかを、通路の脇に残して行く。このような方法はアフリカでもあり、伊谷純一郎さんの「チンパンジーの原野」(1993 平凡社)に出てくる。255ページには、木の葉に切り取りを入れた絵が描かれている。切り込みで動物を表し、その動物は家系を表している。狩猟ピグミーのキャンプでの話で、葉の向きによって行く方向を表している。また、葉の古さによって、どのくらいの時間が経って居るかも知ることができる。見事な情報伝達である。同じような山の中での情報伝達方法が、異なる大陸で使われていることは、基本的には人間が同じような思考過程を経ているように思われる。

 今から40年以上前に、新潟県と福島県の県境付近を調査に2ケ月ほど歩いたことがある。尾瀬ケ原の国立公園地域を広げるための調査で、私はこの付近の環境を、小哺乳類から調査する役割であった。調査では、一人だけキャンプをすることが多かったので、キャンプの助っ人が3人付いてくれた。そのうちの2人は、マタギの仲間で、冬の熊撃ちの話や山での生活の話を沢山聞かせてもらった。その頃は、まだ自分の専門以外にはほとんど興味を持って居なかったので、多くの情報を聞き逃していた。それから15年ほどして、彼らが最後のマタギたちであったことを知り、もっといろいろ聞いておけばよかったと悔やまれた。

宮沢賢治の「なめとこ山の熊」に出てくる、小十郎はマタギを描いたものと思われる。人柄や生活は、まさにマタギのもの。

遠野物語 1.日本とアフリカとの共通項

2010年07月30日 | 文化
遠野物語 1.日本とアフリカとの共通項 2010.7.30. 金森正臣

 最近やむをえない事情で、休むことが多いので、かねてより興味を持っていた柳田国男氏の「遠野物語・山の生活」(1976、岩波文庫)を読んだ。以前に教科書や参考書で断片的には読んだことがあり、オシラサマやザシキワラシのことが載っていることは知っていた。しかし新たに読み返してみると、柳田氏が何を考えていたかが伝わり、色々思い出すことも多かった。

 最も驚いたことは、遠野物語に出てくる現象と同じことが、アフリカでも記録されていることである。「山の生活」の八に出てくる神隠しは、アフリカでも記録されている。私の所属していた加納隊のリーダー、加納隆至さんの「森を語る男」(1996、東京大学出版会)52ページに神隠しのことが書かれていた。神隠しにあった子が、2-3日して帰ってきた時に、腹を空かせていなかったところまで共通性がある。自然に溶け込んで生きる人たちには、何か共通の心象現象があるのであろうか。

 加納さんは、もともと霊長類の研究者であり、野生ピグミーチンパンジー研究の第一人者である。ザイールでのフィールドワークの傍らで、書き溜めてきた専門外の内容を書けと言う師匠の伊谷純一郎さんの命令で、上の本が出来上がった。人類学者とは異なった視点でものを見ており、現地の人と自然との関係が良く表れている。

 蛇足を加えれば、加納さんが退官の時に、伊谷さんと同じ様な事を言い、弟子どもは大いに困った。退官記念論文集を作ろうとしたら、そんな面白くないものではなく、各自専門以外のことを、若い人たちが面白く読めるように書けという意向であった。その結果できたのが「アフリカを歩く」-フィールドワークの余白にー(2002、以文社)である。弟子は師匠に似るものであるらしい。