はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

6・17

2009-06-23 16:28:15 | かごんま便り
 鹿児島市の「みなと大通り公園」東側の一角に太平洋戦争民間犠牲者慰霊碑「人間之碑」と題したモニュメントがある。空襲による犠牲者鎮魂のため、戦後30年の節目を控えた74年6月17目に建てられたものだ。

 当初、軍需工場を標的とした米軍機の空襲は、やがて市街地の無差別爆撃に移行。国内主要都市のほとんどが焦土と化した。鹿児島市への空襲は、市によると45年3~8月に計8回。その最大のものが同年6月17~18日の鹿児島大空襲である。

 死者は県内の空襲犠牲者の6割超にあたる2316人。り災者数6万6000人余は、当時の人□約19万人(40年国勢調査)のほぼ3分の1.広島、長崎の原爆を除けば地方都市の空襲としては最大級の被害である。

 64年目のその日、生活協同組合コープかごしまが主催した「平和のつどい」に参加した。当時、旧制二中(現・甲南高)3年だった下池和善さん(79)の体験談を聞いたが空襲警報、防空ずきんなどの言葉を丁寧に解説する話しぶりに、64年という歳月の長さを痛感せずにはおれなかった。戦前・戦中生まれがおよそ4人にI人。戦争体験を語れる人はさらに少ないとなれば無理もない。

 「平和のつどい」の前身は「6・17」を風化させまいと84年に始まり、23年目を迎えた。一方、市教委によると中学校の修学旅行の多くが長崎や広島、沖縄などを訪問地に選び、平和教育を一つの柱にしているという。戦争のむごさを実感として知らない世代ゆえ、折に触れて先人の教訓を学び、受け継いでいくのは当然の責務だと思う。

 前述の「人間之碑」で一言。植え込みをまたいで背後に回ると、碑の由来が記してあるものの、当地の戦災についての説明文が周囲に見当たらないのは気になる。ちなみに正面にはめこまれた碑文の一節には、こうあった。「あすのために この碑を建つ」と。

鹿児島支局長 平山千里

インフルエンザ

2009-06-18 17:23:09 | はがき随筆
 当初、豚と言ったが新型となって、日本にも入ってきたインフルエンザとその騒動。
 出来れば来てほしくないが、人の動きがグローバル化された現在、水際作戦は極めて困難。あっさり上陸していたのだから推して知るべしだろう。
 しかし驚いたのはインフル工ンザもだが、高校生渡航者の多さで「何でも見てやろう」をただただ感動して読んだ世代には、百年に一度の不況と相まってこっちの方が理解し難い。
 幸いぼくの年齢では証明できない免疫があるようで、インフルエンザも避けて通るが、若い妻への不安は消し難いようだ。
  志布志市 若宮 庸成(69) 2009/6/18毎日新聞鹿児島版掲載



ブーゲンビリア

2009-06-18 17:20:10 | はがき随筆
 いま種子島は赤紫も鮮やかにブーゲンビリアの最盛期だ。
 亡き母と同い年のいとこが97歳になり、いまは身内の経営している養護施設で生活しているのだが、先日そのおばさんの顔を見に行ってきた。記憶もしっかりしていて、その元気ぶりに驚かされて帰ってきた。
 帰り道の途中におばさんの家がある。のぞいてみたら玄関先のブーゲンビリアが、しだれ柳のように枝を垂らし、花をいっぱいつけて咲き誇っていた。 
 「おばさんに見せたいわね」とカミさん。ブーゲンビリアの留守番ぶりを写真に撮り、はがきにして送った。      
  西之表市 武田 静瞭(72) 2009/6/17 毎日新聞鹿児島版掲載
  写真は武田さん提供

三角関係

2009-06-18 17:16:34 | はがき随筆
 我が家の子供たちは親への執着心などなく、さっさと家を出てしまい、義母と夫との3人暮らし。トライアングルのように三角の関係。ただし音色は不協和音である。
 義母は美ぼうの未亡人だった。近隣の殿方を悩ませたに違いないが世が世であり、しゅうとめと家を守り、身を粉にして働いた。そして一粒種が我が夫。長年の労苦で男勝りの義母にわがまま息子。頓着なしの私が加わり泣き笑いの蛇行運転の連続だった。運行不能もしばしば。
 最近は寄る年波に身も闘争心もなえ、一喜一憂しながら三角形も次第に丸くなりつつある。
  出水市 伊尻 清子 (59) 2009/6/16 毎日新聞鹿児島版掲載 



日食の観測方法

2009-06-15 23:10:43 | はがき随筆
 50年近く前、北九州の小学校に通っていた。日食が見られる日が近づいた理科の授業では、ガラスにロウソクのすすを付ける実験も行われた。顔や手を真っ黒にしている同級生もいた。
 実際に日食を見たのは下校時の商店街。子供たちは、ランドセルから色つきの下敷きや感光した黒いフィルムを取り出して空にかざした。欠けていく太陽に感動したことを覚えている。
 それで7月99一日の日食も楽しみにしていた。ところが家に届いた県広報紙にすすガラス、下敷き、フィルムでの観測は危険と書かれていた。急いで「日食
めがね」を買い求めなければ。
  
鹿児島市 高橋 誠(58) 2009/6/14 毎日新聞鹿児島版掲載



自然と対話

2009-06-15 23:07:03 | はがき随筆
 そこはまるでおとぎの国。見渡す限りバラの花園。色とりどりのバラの競演。たくさんの種類だった。かのやばら園は私の夢だった。先日、心を病んで疲れていた私を、バラたちは笑顔で迎えてくれた。バラの香りが私の体を優しく包む。思わずバラに□づけ。幸せいっぱいになる。5月15日、栃木県に住む長男の義父の訃報が届いた。頭が真っ白になって事故。ダブルショックで葬儀に参列。故人は私と同じ年。涙、涙。こんな時は自然と対話するのが一番。ふる里鹿児島に飛んだ。広い公園をゆっくり歩く。バラに声をかけると元の自分に戻っていた。
  山□県光市 中田テル子(63) 2009/6/13 毎日新聞鹿児島版掲載



共存

2009-06-15 22:59:58 | はがき随筆
 プランターの小松菜(あちこちに落ちて発芽したものをまとめた)が上等に葉を成長させた。
 モンシロチョウがすかさず飛来して産卵のよし。
  いつのまにか期待の葉が虫食い状態、やがて葉脈を残して網の目になってしまった。見るとすっかり満悦な青虫の存在。一つ一つ取って日向におくと「環境が違うぞ」といわんばかりに静止していたがいつしかいなくなった。どこへ行ったか知らないがサナギになってチョウになり再びここへ来るだろう。
 私は青虫の残した小松菜を摘みとって夕げの菜に。これこそ小さいけどゆずり合いの共存。
  鹿児島市 東郷久子(74) 2009/6/12 毎日新聞鹿児島版掲載





10年もたつと

2009-06-15 22:53:27 | はがき随筆
 初任時を振り返る。高校卒、専門学校卒の方も居て、子供との年齢差も5~6歳ぐらいであった。今、大学卒、修士課程修了で一巡り以上である。
 きのうまでは高校生、きょうからは先生。隣の兄ちゃん姉ちゃんが受け持ちの先生。親近感もあり、かけっこしたり、鬼ごっこしたりの、のんびりとした学校生活であった。また、主事の先生も昨日までは中学生、今日からは「小使いさん、先生、○○姉ちゃん……」と呼ばれて頼り切っていた。
 あと10年もたつとどんなふうにセットされ、先生方は、子供たちは……想像することも。
  出水市 岩田昭治(69) 2009/6/11 毎日新聞鹿児島版掲載


愛情弁当

2009-06-15 22:50:26 | はがき随筆
 私はプール監視員の仲間6人と一緒に働いている。毎週休館日の清掃後に食べる弁当は格別な味で会話も一段と弾む。
 その仲間の一人、東京出身のAさん。昼の弁当のひとときに決まって彼の持参したおかずが話題になる。うらやましいくらいの種類が彩りよく並び、弁当箱からこぼれそうなほどボリューム満点です。Aさんはニコニコ顔でおいしそうにほおばる。
 小さな弁当箱の中に奥さんの優しい世界が広がり、夫への愛情が伝わってきます。
 ある日、Aさんは弁当片手にポツリ。「妻の古里鹿児島に永住する」とうれしそうに話す。
  鹿児島市 鵜家育男(63) 2009/6/10 毎日新聞鹿児島版掲載



母の味

2009-06-15 22:40:43 | はがき随筆
 形見のサンショウの新芽が伸びる4月だった。「つくだ煮を作るから、葉を摘んどって」と出かける間際の妻が言う。
 私は、母が残した庭のサンショウの若葉を摘み、ツーンと香る葉を袋に入れ彼女を待った。
 妻は帰宅後、サンショウの葉をフライパンでいりながら「長く入院したお母さんの残したサンショウのつくだ煮は半年たっても腐らなかったの。だから私も作り始めたのよ」と母のつくだ煮を思い出すように話した。
 翌朝の、ミリンしょうゆを加え工夫した妻のつくだ煮は、どこか母の味を思い出させる、甘辛く、懐かしい味だった。
  出水市 小村 忍(68) 2009/6/9 毎日新聞鹿児島版掲載







五歳の知恵

2009-06-15 22:37:57 | はがき随筆
 太平洋戦争末期の昭和19年、私の弟はI歳で、母の背におんぶされていた。出会った人が「男の子ですね。この子はレイテの花ですよ。立派に育てて下さい」と言われた。
 ある日、母が5歳の私に、おもりをたのんで外出した。
 心やすく預かったのですが、やがて空腹のため泣き出した。困り果てた私は、とっさに自分の右親指を弟の□に含めた。すると吸いつくように飲み始め、乳も出ないのにやがて泣き声はおさまりました。
 64歳になった弟に話すと嫁や娘、他の人まで大爆笑です。弟よ、元気で長生きして下さい。
  肝付町 鳥取部京子(69) 2009/5/8 毎日新聞鹿児島版掲載



百歳が百点満点

2009-06-15 22:34:10 | はがき随筆
 目だ耳だ鼻だ、揚げ句は足の指先まで。齢を重ねるごとに雨後の竹の子のごとく不調が続出し、このままでは長生きはおぼつかないと悟った。これといった生きがいの見いだせない今「百歳まで元気に生きよう」。これが我が人生の新しき大目標!
 理由は簡単。学業に打ち込んだ学生時代に思いをはせ、日本人男性の平均寿命79をテストの平均点と見なした。この数値自体かなり高いハードルだが青春時代の情熱を思い起こし「やるっきゃない」。最終挑戦なので半ばで息絶えようと、どうってことはない。頼もしき妻の応援を得て、還暦の我いざ行かん!
  霧島市 久野茂樹(59) 2009/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載  


はぐくむ

2009-06-06 17:46:44 | はがき随筆
 ペンクラブ総会帰りのJRで同席したお子さんたち元気はつらつ。小3ぐらいのお兄ちゃん、小Iぐらいのお姉ちゃん、3才か2才ぐらいの弟たち、4人きょうだい。若いお母さんのしつけ完ぺき、満員の客席で騒がない。お兄ちゃんは静かに本を読んでいる。男の子たちはたくましいねと隨友と話したことだっ
た。今の世代は一人っ子か、せいぜい2人である。若い親子連れは加治木駅で降りて行かれた。他事ながら「お母さん、頑張ってお育てくださいね」とエ-ルを贈った。ご多幸を祈る。 しばしの時間、温かい思いが心に残るひとこまたった。
  伊佐市 宮園続(78) 2009/6/6 毎日新聞鹿児島版掲載





2009-06-05 17:11:20 | はがき随筆
 底の柿の木の若葉の影の中に枕木を8本敷き詰めた。その上に自然な姿のケヤキの丸いテーブルを作って置き、周りにベンチを2脚並べた。
 わが影の空間は完成した。
 そこで妻とお茶を飲む。友と語る。来客を接待する。郵便を受け取る─などなど。
 ベンチに寝転んでいたら電線にツバメが2羽やって来た。「やっ、キスしてる!」と思ったが、どうも親子らしい。口移しでエサをやっていたのだ。
 時には好きな鉛筆デッサンをする。が、やっぱり多いのは読書である。本に熱中していても若葉の影が揺れるのがわかる。
  出水市 中島征士(64) 2009/6/5 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はjun-218さん








舞台裏

2009-06-04 14:03:43 | はがき随筆
 出張して、一人で夕食をとる時がある。そんな時はホテルに近い居酒屋のカウンターと決めている。店側も場所をとらず喜ぶし、こっちは舞台裏が見れて楽しいからだ。
 先日、広島に出掛けた。例によってカウンターでカキフライを食べて酒を飲んだ。ぼんやり見ていると、誰かが注文した焼きおにぎりを焼き始めた。アルバイトの店員が、おにぎりを返す時に落としてしまった。だけど何げなく拾ってそのまま焼いて持って行った。イヤな舞台裏を見てしまった。私は別に気にしないが、今の世の中でこの舞台裏を何と思うのだろうか。
  出水市 御領満(61) 2009/6/4 毎日新聞鹿児島版掲載