はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

近未来から地球を

2019-01-08 22:16:59 | はがき随筆
 元旦を迎えるとなぜか心が華やぐ。どうか良い年でありますようにと祈る。まして今年は5月1日に改元されて新しい時代が幕を上げる。期待と不安がないまぜにある。
 新元号の下で仮に20年がたっていたらもう私は存在していない。輪廻転生ができるのなら鳥になって空から地球を見てみたい。地球上のどこにも戦いはなく、核兵器もとっくに廃棄されている。温暖化も防げた。そんな世界であれば。いや、逆もあり得る。第3次世界大戦の結果、人類が絶滅危惧種になっている可能性だってある。間違ってもそんな光景は見ませんように。
 熊本市 増永陽(88) 2019/198 毎日新聞鹿児島版掲載

今読むことで

2019-01-08 22:06:28 | はがき随筆
 2010年、映画「海炭市叙景」と出会い、作家佐藤泰志を認知し、原作を読んだ。名前はどこかで聞き知っていたが、自分の読書世界とは無縁と思い込んでいたのだ。その「海炭市」を舞台に描かれた街の空気感に、人物、動物、場所に、自分がどこかへしまい込んでいた宝物――道端でひろった小石、夏の日に見つけたセミの抜け殻、酒屋の裏に落ちていた王冠、花丸のついたテスト、G社のオマケ――そんなものたちを思い起こした。素朴で懐かしいものたち。幸せを非力にも支えていたものたちを、佐藤靖志作品を読むことで、想起する。
 鹿児島市 奥村美枝(58) 2019/1/7 毎日新聞鹿児島版掲載

季節外れの客

2019-01-08 21:53:05 | はがき随筆
 最近、ツバメの夫婦が頻繁に我が家の軒先の巣を偵察にやって来る。少なくとも3組は来たのではないか。子育ての時期ではないので、越冬のためすみかを物色していると思われる。
 ツバメは、越冬の際には一切巣の補修はしない。子育ての時とは対照的である。いろんな物件を見て回り、気に入った空き家をみつけるとそのまますみ着くようだ。言わば人間が借家を探して回るのと同じである。だが2月ごろには早々に巣を引き払い、どこかへいってしまう。
 つかの間の滞在だが、子育ての時期にはきっと戻って来て賑やかな声を聞かせてほしい。
 宮崎市 福島洋一(63) 2019/1/6 毎日新聞鹿児島版掲載

学芸会

2019-01-08 21:34:10 | はがき随筆
 小4時の担任(男性)は珠算教育に熱心だった。授業中は読み上げ算でしごかれた。
 その年の学芸会では先生が「父母の方に日ごろの勉強ぶりを見てもらう」と言われ、舞台の上で読み上げ算をすることになった。ところが、学芸会の始まるまえに突然先生から「父母の方が見ているから全員手を挙げろ。ただし、自信のあるものは強くパーを、自信のないものは弱くグーを」と言われた。先生は常日ごろ「間違っていてもいい、ひきょうなまねはするな」と言われていた。先生を心から尊敬し信頼していた私は先生不信に陥ってしまった。
 熊本県合志市 古城正巳(77) 2019/1/5 毎日新聞鹿児島版掲載

港の風景

2019-01-08 21:27:13 | はがき随筆
 夜が明ける。夕方、漁に出ていた船が、一そうまた一そうと港に帰ってくる。すると、どこからかトンビがたくさん集まってきて「お帰り、お帰り、お疲れさま」と、うれしそうに羽をパッと広げ、くるくるくるくるくるくるくるくると、空低く舞って迎え出る。
 無事に港に着いた漁船からは、一人また一人と、仕事を終えた漁師さんたちが降りてこられる。魚市場にたくさんの魚が水あげされる。
 やがてたくさんの人たちの手をへて、食卓に並ぶ魚たち。命をつないでくれている。共生。
 鹿児島県出水市 山岡淳子(60) 2019/1/4 毎日新聞鹿児島版掲載

母の実家

2019-01-08 21:19:20 | はがき随筆
 実家の畑は昔、田んぼだった。私たち子供が家を離れてから、米作りをやめ、母の野菜畑になった。畑耕しは重労働である。90歳の母を思うが、楽しんでいるようだ。「野菜の成長を見るのは楽しい」という。
 種もの、苗ものが必要な時は同居の義姉の世話になる。彼女が街まで車で連れていってくれる。ありがたいことである。
 母の作品は多種ではないが、多様だ。太かったり、細かったり、不ぞろいである。「野菜ができたよ」母からのおいでコール。「街で買えはいくらもあるけどね」と、付け加えて。「新鮮さは一番よ」と私は答える。
 宮崎県延岡市 島田千恵子(75) 2019/1/3 毎日新聞鹿児島版掲載