ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

労働力不足で労働者の労働対価が改善するかもしれない

2018年01月02日 | Weblog
すべての人が生産に従事し、適正な対価を受け、生きるのに必要なもの・サービスを買うことができればいいのですが、生産に従事しない、あるいは従事できない人、適正な対価を得られない人、もの・サービスを買うお金のない人が生じます。
このような人が少ないほど国の生活水準が高いと言えます。
 
戦争直後の混乱期を過ぎると日本は産業重視政策が功を奏し、いろいろなものを生産し、国内外でよく買われ、人々の生活水準が向上しました。
 
ところが1980年代ですが、人々の価値観に変化が生じました。
たとえば銀行は生産を馬鹿にし、不動産投機を重視しました。
当時生産会社は、新製品・新技術を開発し、実用化しようとしましたが、なかなか実用化に成功せず、収益を伸ばすことができず、リストラを強いられる状態でした。
すると銀行は生産会社を馬鹿にし、技術開発につぎこむお金を銀行に預けた方がいい、そうすれば年6%の利子をもらえると言いました。
 
それでは銀行は何をやっていたかというと、不動産バブルをよしとし、不動産投機をやっていました。
1990年頃の不動産バブルの破裂で銀行の不動産投機は破綻しました。
銀行はすっかり自信を失いました。
 
その後の日本は生産会社にとって厳しい事業環境でした。
安価な労働力を資本とし、中国などの海外生産がどんどん力を持つようになりました。
日本の生産会社は海外投資し、海外で生産しないと国内生産だけでは成り立たない状態でした。
国内生産と海外生産の使い分けを上手に行いながら何とか日本の生産会社は生き残ってきました。
 
人々の生活意欲が強ければ、常に生きる工夫努力が行われ、産業は変化をとげながら発展していくと思います。
しかし政府の産業重視政策が弱くなると、産業は不健全になります。
 
現在ですが政府は経済成長していると言いますが、私から見ると、経済は横這いに見えます。
安倍晋三内閣のアベノミクスを見ると、政府がお金を操作して経済を牽引している印象を受けます。
仕事は非常に多くなっていますが、確かに人々が生産しているとの実感がありません。
金回りがいいので人々はもの・サービスの提供を継続したいと思います。
するともの・サービスの新陳代謝がうまくいかなくなるのではないでしょうか。
よく似たもの・サービスの提供が数多く生き残り、競争が激しいだけで、収益性がなくなっているのではないでしょうか。
 
最近労働力不足になっており、労働対価が上がり始めたようです。
十分な労働対価を払えない会社は労働力不足で倒産するかもしれません。
もの・サービスの新陳代謝が加速するかもしれません。
 
確かな生産会社が生き残り、従業員に適正な労働対価を払うようになると、貧困化にストップがかかると思いますが、日本はどうなるでしょうか。
現在の労働力不足が日本の産業の健全化につながり、労働者の労働対価の健全化がおこり、貧困層が縮小ということになるといいと思います。
 
なお、急速に増えつつある老人ですが、今後は生活が厳しくなるのではないでしょうか。
日本の老人は、死ぬ前の10年ぐらい、病院通いか入院生活すると言われていますが、今後はお金の問題で延命治療が減り、5年ぐらいで死ぬことになるかもしれません。
老人は質素な生活でも健康に生きる工夫努力をする必要があると思います。