ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

国民は増え続ける放射性物質の危険性を知ってほしい

2016年02月21日 | Weblog
今年の4月、南相馬市の平野部が除染が進み、放射能汚染による避難地域指定解除になるそうですが、西の山地は除染がまったくできず、不可住地として残ります。
西の山地が放射能に汚染されたままでは平野部で生活することは不安です。
山から微量の放射性物質が流出し続けます。
川や海について不安は消えないでしょう。
住んで安心安全な町にはなりません。

国は住民の帰還を急がない方がいいと思います。
帰りたくないと言う人については、支援を打ち切るなどと冷たいことを言わず、長期的に移住を支援すべきと思います。

国は原発を安全と言って推進してきました。
安全なはずの原発が事故を起こして南相馬市を汚染しました。
国の責任は非常に重いと思います。
国の責任とは国民の責任です。
原発推進を認めてきた、そして今も認めている国民の責任は非常に重いと思います。
いつまでも税金が被害者支援に回るのは困るなどと冷たいことを言ってはならないと思います。

移住者は非常に不利な状態に置かれていると思いますが、被害者であることに甘え続けず、新天新地で定着する工夫努力をしてほしいと思います。

今、原発再稼働の動きですが、国、つまり国民は、増え続ける放射性物質・廃棄物をどうする気でしょうか。
国がきっと安全に放射性物質を処理処分してくれると思っているようですが甘すぎます。
放射性物質管理について国民が国に甘いから国が加害者となって国民を苦しめることになります。
放射性物質の危険性について国民はもっとよく知るべきと思います。

国は、原発を推進してきたからいつまでたっても原発や放射性物質の危険性を認めません。
国民のことを考えて、またエネルギーのことを考えて国は正しいことをしてきた、今後も原発稼動が正しいと主張しています。
無知でプライドが高いだけの国を正せるのは国民の良識以外にないと思います。

あとは野となれ山となれではひどすぎる

2016年02月18日 | Weblog
東京電力福島第一原発(事故原発)の処理処分には兆円の単位のお金が必要です。
放射線を浴びるかもしれないので命懸けの作業です。
3,40年かかると言われていますが、もっとかかると思います。

高速増殖炉「もんじゅ」は問題ばかり生じ、開発を続けても実用性の見通しがありません。
冷却材にナトリウムを使っているため、漏れると非常に危険だそうです。
放射能もこわいですが、研究者、技術者、作業者にとってナトリウムも恐怖でしょう。
文殊の知恵をもってしても安全管理はむずかしいようです。
そこで廃炉が検討されていますが、廃炉に3000億円ぐらい必要だそうです。

未事故の普通の原発を廃炉するには600億円±300億円ぐらいのお金が必要だそうです。

出てきた放射性廃棄物の永久保管コストは廃炉コストに入っていないでしょう。
未だに永久保管方法がないそうです。
地下に埋める案がありますが、安全と確認されていません。
安全確認実験をやる計画がありますが、実験場を提供する地方がありません。
海底に埋めるというアイデアがありますが、海底だって漁業者などが反対するでしょう。

原発敷地に永久保管することになると思います。
地震、津波、戦争などによる破壊、管理ミス、事故などを心配しながら子孫に原発敷地で永久に安全管理させるなど、現代人がそんな無責任なことをする権利があるでしょうか。
しかし現代人は無責任なことをやっています。
あとは野となれ山となれです。

原発で発電できるという知識だけで発電し、現代人は、安全を無視しています。
安全技術開発はできる、子孫が安全技術を開発する、という技術開発無限論を原子力工学者、政治家は信じているようです。
永遠という時間の間にはそうかもしれませんが、1954年、日本の原発の歴史が始まって以来、62年がたちましたが、放射性廃棄物処理処分法がありません。
さらに62年たった2078年、開発は実現するでしょうか。
(注)核分裂を制御し、発電に応用したことはすごい技術でした。しかし安全技術がないことは致命的です。

地下に埋めるというアイデア以外は、高速増殖炉的発想(放射能の半減期が短いものになるまで核分裂させて核燃料として利用する)とか、宇宙に捨てるとか、地殻の下の溶融体に捨てるとか、奇抜なアイデアしかありません。
さらに62年かけても実現できないでしょう。

いますぐ原発を廃止し、放射性廃棄物を増やさない。
これが現代人がとれる唯一の文殊の知恵と思います。
原発敷地での放射性廃棄物安全管理は現代人が責任をもって取り組むべき課題です。
避けてはならない仕事だと思います。
地震、津波に耐える施設が必要です。
管理ミス、事故が起こらない施設が必要です。
戦争は絶対やってはいけません。
敵がミサイルで施設を破壊することは容易です。

東京電力福島第一原発の放射能汚染水対策はどうなっているか

2016年02月15日 | Weblog
汚染水が海に流出しないように鋼矢板のようなものを使って海側に遮水壁を設けたと前に報道されていたのに、凍土壁について原子力規制委員会から「海側から凍結せよ」との指摘を受けたと言って東京電力はまず海側に凍土壁を設けることに方針転換したといいます。

報道が間違っているのか、東京電力が間違っているのか、原子力規制委員会が間違っているのか、意味不明の情報が流れるようになったと思います。

東京電力福島第一廃炉推進カンパニーが責任をもって事故原発処理作業を進めていると思いますが、どのような技術陣を持っているのでしょうか。
この技術陣に勝る技術陣を原子力規制委員会は持っているのでしょうか。

先日の報道では田中俊一原子力規制委員会委員長は、「凍土壁には関心がない」と言ったそうですが、遮水は彼の専門ではありません。
事故原発の処理処分方針がしろうとによって混乱させられているとしたら恐ろしいことです。

事故原発処理に真剣に取り組んでほしい

2016年02月14日 | Weblog
2011.3.11に津波で大事故をおこし、広域を放射能で汚染し、今も放射能漏洩を続けている東京電力福島第一原発は、5年たった今も対策のめどが立っていません。
メルトダウンした核燃料(放射性物質)は原子炉の下のコンクリート構造物かさらにその下の土中に存在しているようですが、冷却水、地下水と接触して大量の汚染水を生んでいます。
海側に遮水壁を設けたようですが、海への汚染水の流出が一時的にせき止められるだけで、汚染水は横に広がってやはり海に流出します。
上へも水位が上がりますから、汲み上げて汚染水を浄化処理していますが、放射化された水素を除去する技術がないので処理された水をタンクに貯蔵しています。
放射性水素を含んだ水を海に捨てると海の放射能汚染が進み、漁業復活の希望がなくなるということで漁業者が反対しています。

事故原発処理情況を見た田中俊一原子力規制委員会委員長は、従来進めてきた凍土壁建設計画に技術的に問題があると認識するようになったようです。
凍土壁担当技術者の技術評価の遅れも問題ですが、そもそも、いったい誰が事故原発処理の最高責任者でしょうか。
かつて安倍晋三総理は、放射能汚染対策は自分が責任を持つと言いましたが、責任をもって行動しているようには全然見えません。
反対に事故原発のことは考えたくないといった様子です。
福島県産の食品は安全と宣伝するため自分が福島県産を食べて見せたりしているだけです。
危険の実態に目をつぶっています。
内閣には廃炉等支援機構担当大臣(林幹雄氏)がいますが、何も仕事をやっていないと思います。
内閣にまともに事故原発に対応している大臣はいないと思います。
田中委員長は原子力規制担当で、廃炉の責任者ではありません。

それでは東京電力でしょうか。
そのように見えます。
東京電力は安全技術に怠慢であった会社で、今日においても怠慢と思います。
事故から5年たっても放射性物質拡散を防ぐことができないでいます。
少しずつ事故処理を進めていますが、資金不足、技術不足、指導者不足、技術者不足、作業者不足に苦しんでいるように見えます。

凍土壁建設計画が失敗に終わると、周辺住民・地方だけでなく、日本・世界から批判されるでしょう。
政府は問題を放置できず、兆円の単位の巨大構造物を建設して、事故原発を密閉系に入れることを始めるでしょう。

しかし、借金だ、増税だ、オリンピックだ、リニア新幹線だ、対中国・朝鮮(北)・ISIS防衛だと騒いでいる政府が、真剣に事故原発処理に取り組めるでしょうか。

自然に放射能が消えるのを待つなどと考えるならば永遠という時間が必要です。
その間、放射性物質が自然に拡散し続けます。
政府や電力会社に原発を稼動する資格などまったくないと思います。

小網代(こあじろ)の森

2016年02月11日 | Weblog
まだ県立公園になっていないようですが、今日、神奈川県自然環境保全課が整備を進めて来た三浦市三崎町にある自然公園「小網代の森」に行って来ました。
日本の場合は、自然の単位を川の源流から海までの流域とすることは理にかなっています。
しかし、このような単位で自然が保全されている地域が日本では珍しくなりました。
川の上流域の自然が保全されているところは多いと思いますが、中流域、下流域は開発が進み、源流から海まで自然のままという所は少ないと思います。

ところが面積は70ヘクタールと狭く、大自然とは言いがたいのですが、三浦半島の南部、小網代湾の西側に、長さ1.2kmの川が流れており、この流域が源流から海までほぼ自然の状態で残っています。
小網代湾はヨットハーバーなどができ、その周辺は観光施設などができていますが、湾奥からは何もありません。
川は湾奥で河口干潟を形成し、海に流れ込んでいます。
川の途中にはダムのような水量調節施設がありませんから、大雨が降れば、川幅は広くなり、雨が降らなければ狭くなります。
大資本が土建型大規模リゾートを建設する計画を持っていたので自然が残っていたそうです。

慶応大の進化生態学を専門とする先生であった岸由二氏が、ここが非常に貴重な自然であることを知り、地元の自然保護活動を始めた人々と協力して自然保護活動を始めたそうです。
氏の、小網代の森が川の源流から海までの流域を自然のまま残している貴重な地域であるという理論的な流域思考に基づく自然保護論が非常に説得力があり、神奈川県も、三浦市も、土建型大規模リゾートを企画していた大資本も動かしたようで、自然公園にすることに成功したそうです。

私は源流から川を下る方向で谷部を1.2km小網代湾河口干潟まで散策しました。
高低差は70mぐらいです。
散策路がよくできています。
冬ですが谷部や山部の景観は感動的でした。
北の谷と中央の谷が合流する部分は広い湿地が形成され、大自然の中にいるような錯覚を覚えました。
ちょうど干潮で湾奥は干潟が広がっていました。
その向うは美しい小網代湾です。

冬には冬、春には春、夏には夏、秋には秋の自然があり、何度行っても飽きない自然公園と思います。

京急三崎口からバス(歩くと30分)で引橋まで行くと、源流近くの引橋入口から公園に入ることができます。
自然を観察しながらゆっくりと下れば、1時間は気持ちのいい散策を楽しめます。
私は午前中歩き、油壷に行って、お昼、魚料理を食べ、油壷からバスで三崎口に戻って帰途につきました。

ゲートボールは誰でも楽しめる最高のスポーツ

2016年02月09日 | Weblog
子供の時からいろいろなスポーツを経験してきましたが、子供から老人まで誰でも夢中になって遊べるスポーツというとゲートボールが最高ではないでしょうか。
ほとんどの人がゲートボールを老人のスポーツと誤解していると思います。
違います。
行政が老人でもできることに注目し、補助金を出したりしてゲートボールを老人の間に普及させたので誤解が生じました。
試合をすればやはり若い人の方が上手です。
若い人の方が夢中になってプレーします。

ボールをうってゲートを通すだけと思っている人が非常に多いと思います。
そんな単純なスポーツではありません。
5人対5人で試合をやりますが、相手チームが邪魔をしますから簡単にゲートを通せません。
1人1個のボールを持ち、順番にうちますから、10個のボールが刻々と位置を変えて動きます。
その状況を判断せず、個人が勝手にゲートを狙っているだけではボールをゲートを通すことはできません。
相手チームにいいように利用されてしまいます。
作戦がなかったり、ミスが多かったりすれば惨敗です。

チームプレーです。
主将の作戦とボール打撃の技量、ほかのプレーヤーの作戦理解度と打撃の技量が効きます。
協力連携する社会性が必要です。
主将でない人が、自分の方が主将より上手だと威張って勝手な行動をとれば、本当にその人が上手でもチームとしては不和で力が出ず、楽しくなく、試合にも勝てません。
仲間同士で仲間のミスをののしっているチームがありますが、これではゲートボールは楽しくありません。
上手でかつ指導力がある人は自然主将におされるものです。
ミスした人は一番悔しがっていますから、ほかの人がののしる必要はありません。
このようなマナーも社会性です。

問題点はコートとして15m×20mちょっとの平面が必要なことです。
私の町では町中に何とかコートを設けることができる広場がある公園があり、週日午前に使わさせていただいています。
土日祝日は人々がほかの遊びに広場を使うということで禁止になっています。
安全のためフェンスで囲まれたゲートボール専用のコートがある町がありますが羨ましいことです。

5人対5人の試合であるため、練習でも仲間が10人揃うことが理想です。
10人以下はやりようがありますが、11人以上となると交代してプレーするとか、練習グループを2つ以上設け、午前午後に分けて練習するなど工夫が必要です。

近年は、ゲートボールは老人のスポーツという誤解がたたって、ゲートボール人口が減少しつつあります。
老人割合が増えていますが、比較的若い老人は自分は老人ではないと思ってゲートボールを軽蔑しています。
したがって昔からやっている老人がやっていますが、さすが80歳を過ぎると老化がひどくなり、病気になったり、亡くなったりする人が出て、コートから消えていきます。

これはまずいということで、日本ゲートボール連合は昨年国体に初めて公開競技として入れてもらうなどして、若い人々の間に普及させようとしています。
この公開競技では10代、20代選手からなる岐阜県チームが優勝しました。

ゲートボールは日本で開発されたスポーツです。
今や世界に普及し、世界選手権大会が開かれるようになりました。
開発した日本が優勝できないくらい世界のレベルが上がっています。

小学校から学校スポーツとしてゲートボールを取り入れるといいと思います。
社会人になっても、老人になっても、夢中になって遊べるのがゲートボールです。

地下駅の線路が冠水

2016年02月08日 | Weblog
2月8日JR総武本線馬喰町駅(地下駅)の線路脇の壁から水が大量に流出し、線路が冠水したそうです。
昔私がよく乗降した隣の新日本橋駅(地下駅)では、線路が冠水したことはありませんが、壁から大量の水が流出し、線路脇を流れていました。
地下トンネルですが、実質水中トンネルのようになっているのではないでしょうか。
馬喰町駅は神田川が隅田川に流れ込むあたりにあります。

トンネルは本格的な水中トンネル構造を持ち、岩盤にちゃんと固定されているでしょうか。
鋼鉄製のパネルを組んでつくられていると思いますが、大地震で地下が大きく揺れたとき、パネルとパネルの接合部が揺れに耐えるか心配です。
大きな隙間ができるとどっと水が流入してくると思います。

東京は地下鉄が網のように建設されましたが、実質水中トンネルのような状態になっている部分が多いのではないでしょうか。

そのほか、いわゆるゼロメートル地帯に入り口がある駅は、大雨や津波で水がついたとき、大量の水が入口から流れ込んでくる恐れがあります。

線路が冠水する程度ですめば幸いですが、短時間でトンネルが水没するようなことが起こると大災害になります。

日本の都市部は上に下に開発しすぎました。
高層ビルをつくりたいとなると一生懸命つくります。
地下構造をつくりたいとなると一生懸命深い地下構造をつくります。
その結果、自然災害に脆弱になりました。
危険な原発を廃止できないように、政府も人々も建設してしまった構造物に執着します。
大災害がないことを祈りながら危険な町で生活します。
とある日、大災害が起こることになります。

家づくりだけでなく人々は町づくりも考えるべき

2016年02月07日 | Weblog
2月6日の台湾南部地震ですが、高層集合住宅が横倒しになった映像が配信されたので広範囲で町が破壊されたのかと思いましたが、どうも耐震性を軽視した建物が倒壊したようで、大半の建物は地震に耐えたのかもしれません。
もし町が広範囲で破壊したなら上空から撮影した映像が流れると思いますが、流れていないようです。
しかし、まだ情報が少ないので実態がよくわかりません。

今回の横倒しになったビルは大地に置いただけの建物に見えます。
そのほか、1階部分が押し潰された状態で破壊した建物の映像も流れていますので耐震性のない古い建物が破壊したのでしょう。

ところで日本では最近の建物は耐震性が向上していると思いますが、古い建物と混在している町がほとんどですので地震に安全な町はないのではないでしょうか。
破壊する建物、火災を起こす建物があることを前提にして防災を考えるべきですが、今さらどうしようもない町がほとんどではないでしょうか。
安全を重視するなら町から出るしか方法がない町がほとんどではないでしょうか。

最近でも行政は町の安全性について軽視していると思います。
50年ぐらい前から都市化が始まったような地域でも、安全を重視した都市計画がなく、なるようになる形で宅地化が進み、消防車も入らない住宅密集地ができています。
私の町は、1970年代につくられた大規模宅地造成地にできた町で、概して整然とした戸建からなる町でしたが、次第に宅地細分化が進み、自分の家の壁と隣家の壁が1mという住宅密集地化がおこっています。
大半の人々が安全よりまずは家が欲しいと思っているので、行政は町基準を上げるより、人々の住宅願望を尊重しています。
戸建て住宅はほとんど木造住宅ですから住宅密集地化が進むと火災が心配です。

何度壊滅的被害を受けても安全な町ができないのは不思議なことです。
人々に家づくりの思考はありますが、町づくりの思考がないからだと思います。
行政が人々を説得して町づくりを考えるべきですが、人々の願望が優先して町づくりなき家づくりが起こります。
やはり人々が町をつくると考えないかぎり、安全な町はできません。

実経済が混乱しないか不安

2016年02月05日 | Weblog
日銀がマイナス金利導入を発表したにもかかわず、さらにはまだ打つ手は限りなくあると言ったにもかかわらず、ドル安、株安の傾向が顕著で、投機家の間に不安が広まっています。
黒田東彦日銀総裁の一連の金融策はまさに異次元異常であったと思います。
虚経済が混乱するぐらいですめばいいのですが、実経済への悪影響は避けられないのではないでしょうか。

経営者は経営不安を強め、労働対価を上げようとしません。
労働者を冷遇すると、労働の質が低下します。
これはもの・サービスの質の低下の原因になります。
産業の混乱が起こる恐れがあります。

ゆるやかな変化には人間は順応しますが、異次元異常な変化には人間は動揺してしまうのではないでしょうか。
産業混乱が起らないことを祈ります。

政府を批判できる程度の知識を持とう

2016年02月01日 | Weblog
かつて化学物質による公害が問題になったとき日本は問題の化学物質の生産や使用を禁止して問題解決を図りました。
おかげで日本は安心安全の国になりました。

ところがこと原発になると放射性物質の危険性が問題になりません。
変な学者が登場して放射能はこわくないとテレビで話すほどです。

公害の原因となった化学物質は会社が生産し、あるいは使用していました。
したがって政府は客観的に化学物質の危険性を判断することができました。

ところが原発は政府が国策として推進してきました。
原発会社や電力会社の尻を叩いて原発の実用化を進めてきました。
そのため政府は客観的に原発の危険性を判断することができません。

日本は民主主義と言いますが、実は戦前も戦中も戦後も政府主義でした。
戦後はアメリカの指導もあり、比較的政府が健全に政治を運営してきました。
1990年頃経済成長が止まると、人々が経済立て直しを主導したのではなく、政府があれこれと対策を考えてきました。
金融緩和、財政出動で経済を立て直したいとやってきましたが、思うようにならず、経済は横這いでした。
政府の借金がどんどん増えました。

これはまずいと言って政府に代わって人々が大胆な方策を打ち出したかというとそうではありません。
政府が主導してインフレ目標2%などと言って、異次元金融緩和、財政出動をやりました。
人々は政府のやったことがいいことか悪いことかわかりませんでした。
最近になって経済成長していないことがわかって人々は政府に疑問を持ち始めました。
しかし自分ではどうすればいいかわかりません。
株価が下がる、円高になるという事態になり、とうとう日銀はマイナス金利を導入するという超次元の金融政策をとるに至りました。
やはり人々は見ているだけです。

日本は民主主義ではなく政府主義だということがよくわかると思います。

戦前戦中、政府が政治を主導して日本は地獄を見ました。
現代も状況は変わっていないと思います。

今からでは遅いのですが、それでも人々は自分で政治を考えるよう努力すべきではないでしょうか。
自分の人生を政府に考えてもらうような生き方はやめるべきではないでしょうか。
民主主義の重要性を悟るべきではないでしょうか。