ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

戦争世界

2014年08月30日 | Weblog
日本でも平安末期から安土桃山にかけて僧兵がいて、仏教寺院の権力拡大に協力していましたが、今は僧兵はいません。
日本社会はよくなったと思います。

しかしイラクでは今でもイスラム教寺院に武装兵がいて政府や別の寺院と戦争しています。
イスラム教寺院に武装兵がいるのは国が国になっていない証拠です。
寺院が治外法権になっています。
イラクではイスラム教シーア派とイスラム教スンニ派の戦争がよく起こっています。
イラクは国として統一されていません。

イラクは、北部のクルド人の国と、南部より北、クルド人が支配する地との間のスンニ派の国と、南部のシーア派の国の三つの国に分裂するのではないかというお話しがあります。
そもそもイラクは権力者がイギリスの支援で勝手に線引きしてつくった国で、権力者が武力で恐怖政治をやらなければ維持できない国でした。
アメリカのイラク戦争でフセイン政府が破壊され、アメリカの指導の下、民主政府がつくられ、シーア派、スンニ派、クルドの融和がはかられましたが、不満、怒り、憎しみが充満してきた戦争社会のイラクで融和するはずがありません。

戦争が終わるなら三つの国に分裂してもいいではないかと思いますが、イラクで活動する武装兵は小さな平安を求めているような人々ではないようです。
スンニ派の中でも宗教的熱心で戦争しているイスラム国は、小さなスンニ派の国ができれば満足するような組織ではないようです。
世界からイスラム戦士を集めているそうですが、世界制覇を狙っているような大きな戦争を考えているようです。

世界の国々がイスラム国の拡大を問題とし、協力して防衛に努めると、イスラム国の拡大が抑えられ、三つの国が誕生することで、多少イラクの地が平安になるかもしれません。
しかし、さらにどこか強大国が武力を行使してイラクの中に深入りをしなければ、イラクの地は自由戦争のような状態になり、イスラム国がイラク全土を制覇し、フセイン政府のような恐怖政治を行う一つの政府が再び誕生することもありえます。

イラクだけでなく、世界を見ても、国連を民主化し、すべての国が国連の下にまとまり、国と国が戦争することをやめ、世界法を制定して国連が警察機能を持ち、国は戦争する権利と軍を放棄するという提案はどこからも出ていません。
アメリカ、イギリス、中国、フランス、ロシアは国連安保理常任理事国として威張り、それぞれ強い軍を保持し、世界を威圧しています。
中国やロシアは現在でも帝国主義的で政治の近代化ができていません。
政治の真の目的がわかっていません。
中国やロシアから侵略的行動を受けている国は苦しい妥協、あるいは防衛力の強化を強いられています。

日本は軍と戦争放棄を憲法でうたった世界で最も進んだ国でしたが、今は国連安保理常任理事国になりたい、強い国になりたいという願望と、侵略的行動をとる隣国のため、自衛隊の防衛力を上げ、最近になって集団的自衛権を持つことを閣議決定しました。
憲法改正を待てないと安倍晋三内閣は言いますが、これでは安倍内閣独裁です。
安倍総理は靖国神社の熱心な信者で気味が悪いほど宗教的です。
人々を見ても、没我的で、安倍内閣に依存する姿勢です。
戦中の日本とよく似た状態です。
安倍内閣が潰れる時が来ると思いますが、その後は戦後の日本のようではないでしょうか。
大幅に社会水準が下がっており、どこか強大国か、国連の指導を受けることになるのではないでしょうか。

これが世界の現状であり、日本の現状です。

法学や政治学の発達が必要です。
世界の人々は、よりよい法律や政治を求めて学問し、国や世界の改善に努めるべきと思います。
世界の人々の力が結集して初めて国を動かし、世界を動かすことができると思います。
特に学者は政府の御用学者にならず、自由に法学や政治学の学問を進めるべきです。
小さくなりがちな思考を戒め、学問の自由を大切にすべきと思います。
宗教ではなくヒューマニズムが重要であることを再確認した方がいいと思います。

宗教的社会秩序か人間性に基づく社会秩序か

2014年08月29日 | Weblog
イラク、シリアで組織的計画的動きを示し、かなりの面積を武力で制圧したイスラム国について各国政府は危機意識をもって調査しているようです。
イスラム国の指導者はイスラム教教祖ムハンマドの後継者カリフとされる人で、世界のイスラム教信者にイスラム国の聖戦に参加するように呼びかけているそうです。
7世紀ごろから勢いをふるい始めたシリア付近に住んでいた種族サラセンの大帝国建設を彷彿とさせます。

アメリカやヨーロッパ各国政府、その他の調査機関の調査によると、現在イスラム国の戦闘員は2万人ぐらい、その内、イスラム国以外の国から集まった戦闘員が数千人、国の数は50か国以上、さらに細かく言うと、アメリカ人300人以上、フランス人900人ぐらい、ドイツ人400人以上だそうです。
ヨーロッパの主要都市のイスラム教信者が増えつつあることから判断してヨーロッパから戦闘に参加している人は2000人ぐらいと言われています。

先進国と言われているアメリカ、ヨーロッパで生活してヒューマニズムに染まらず、やはりイスラム教がいいとなる理由は何でしょうか。
15世紀ごろイタリアに起こったヒューマニズムは人間性の価値を強調し、キリスト教からの人間解放を主張し、学問の発展に努めました。
ヨーロッパの大発展はヒューマニズムのおかげと思います。
しかしヒューマニズムは自我を重視した自由主義、人々を重視した民主主義、学術・文化を重視した人文主義、人類の幸福を重視した人道主義など人間が持つ複雑な価値観を包含したものです。
イスラム教信者の側から批判的に言うならば「人間の考え」であって、「神の考え」ではありません。
しかも近世ヨーロッパの国々が後進国に対してやったことと言えば帝国主義、資本主義でした。
新しい国アメリカがやったことも同じことでした。
いわゆるイスラム世界は、まず帝国主義に荒らされ、次に資本主義に荒らされました。

先進国アメリカやヨーロッパの国々を見ると宗教無き混沌とした社会に見えます。
アメリカ人やヨーロッパ人は人間性を信じて人間の不完全と取り組み社会改善を目指しており、ヒューマニズムに疑問を持っていません。
一度キリスト教から解放された自由を知った彼らは宗教の奴隷となり、自由を失ってもいいとは思いません。
しかし、イスラム教に疑問を持ち、苦悩しながらイスラム教からの解放を勝ち取った経験のないイスラム教信者は宗教に勝るヒューマニズムの利点にまだ気付きません。
神の教えに従って生きるイスラム教信者の生き方の方がすぐれていると思う人がいるのではないでしょうか。

大きな流れで言いますとヒューマニズム世界(人類)は殺人と戦争を否定する方向です。
総力をあげてイスラム国の武力による拡大を防ぐことになると思います。
いわゆるイスラム戦士が自国に戻ってくること、イスラム戦士が自国の中で武力活動を行なうことを防ぐと思います。

この防衛を通してヒューマニズム世界の問題点、弱点を研究し、貧富の格差拡大、環境の悪化などを放置する行きすぎた資本主義の修正などを行なうことになると思います。

安倍晋三内閣は日本の問題を見誤っている

2014年08月26日 | Weblog
安倍内閣が登場する前の経済状態はデフレであったと言って安倍内閣は金融緩和、財政出動をやっているが、それでもデフレから脱却できないと言っています。
実は通貨の量が原因ではなく、供給に較べて需要が少なかったと思います。
日本は人口減少、老人割合増加です。
需要減少は必然と思います。
物価が下がった原因は、供給に比して需要が少ないこともありましたが、円高で輸入品が安かったこともありました。

要するに安倍内閣の金融緩和、財政出動(アベノミクス)でデフレ脱却ができないのは、医者が診断を誤って投薬するのと同じだと思います。
安倍内閣は日本の経済動向を見誤っています。

経済の質を落とさず、経済縮小させることが一番の経済政策のポイントであり、政府は経済縮小に備えるべきでした。
概して国民はアベノミクスに踊らず、用心深く行動していると思いますが、甘いアベノミクスのせいで危機意識が甘くなっていると思います。
アベノミクス失敗が明白になった後、日本の状態は一段と危機が深まっていると思います。

1. 東京電力福島第一原発(事故原発)の処理が進まず、大量の放射性物質が解放系に放置されており、放射能漏洩・汚染が続いている。
放射能汚染地の除染が不十分で汚染食物の摂取などで国民の体内放射性物質が減らないため、放射能障害が出る恐れが続いている。

2. アベノミクスで政府の借金が増え続け、日銀の国債の保有量が増え続ける。
政府は期限がきた国債を買い戻すが、また国債を売るだけで日銀の国債保有量は減らない。
政府と日銀の信用が落ち、円の信用も落ちる。
国民の円資産は大幅に目減りし、大損になる。
(注)国民はアベノミクスで株価が上がったと喜んでいますが、現代は世界経済交流時代ですからドル80円が100円になったことは大損でした。

3. 国内生産、輸出が減り、貿易収支が記録的赤字を続けている。
国際収支も赤字になったが、赤字が定着する恐れが大きい。

4. 東北地方太平洋側の被災地の復興(含事故原発処理、放射能汚染処理)に資金、労働力、資材が必要なのに、東京オリンピック準備やリニア中央新幹線の建設に資金、労働力、資材を取られるため被災地復興が遅れ、日本の基盤回復が弱い状態が続く。

5. 経済成長するという安倍内閣の言葉を信じて投資(投機)した資金が投棄になる。
個人投資家、機関投資家の破綻が金融混乱を引きおこす。

6. 安倍内閣の積極的平和主義が、無益有害な外国や武装組織との争いを大きくし、防衛の拡大、兵器産業の拡大、本当に戦争を引きおこし、日本人の闘争本能が強まり、人命が軽視され、健全な生活が破壊される。

闘争本能が強まっても健全な生活が失われたら幸福になることはありません。
自分が苦しみ死ぬだけでなく、家族を悲しませることになるでしょう。
日本人は平和ボケだと批判している評論家は、自分は戦場に行かないのに、闘争本能が強く思慮の浅い人を戦場に送り、死なせることになります。
大切な生産・生活基盤を破壊します。
戦争必要論者、積極的平和主義者には要注意です。
(注)自衛隊東富士演習場に行って戦車の砲撃などを見て興奮している政治家がいます。
時代遅れではないでしょうか。
また世界文化遺産の富士山を破壊していることを知るべきではないでしょうか。

真の愛国者は死に急ぎません。
簡単には戦争しません。

しょうがないと言って安全に関する学問を軽視

2014年08月23日 | Weblog
多くの学者が日本の町は災害に弱いと警鐘を鳴らすが、役所も人々も生活のためにはしょうがないと言って災害が来ないことを祈って、あるいは来ないとかけて危険な町づくりを行います。
そして被害を受けます。
原発による放射能汚染被害もしかり、今回の広島市の泥流被害もしかり、すべて安全に関する学問を軽視して被害を受けています。

学問は大切と言いながら学問を活かせない原因はいったい何でしょうか。
貧困でしょうか。
貧困な思考でしょうか。

私が住んでいる横浜は台地が浸食を受けて複雑な山谷ができている地域です。
大きな山はありませんが、細い丘陵、細い谷部が複雑に入り組んでいます。
地形は美しいのですが、これからも浸食を受ける変形しやすい地域と思います。
しかし高度経済成長時代、東京のベッドタウンとして人口が急増すると、あれよあれよと言う間にまず谷部、そして次に山の上、そして近年は山の斜面が住宅で覆われました。
町としての安全基準を考える暇もなかった感じです。
航空写真を見ると広大な灰色の地域にわずかに緑の島が残っている状態がよくわかります。

昔は谷部の河川の氾濫がよく起こりましたので、遊水地の建設とか、河川の改修はよく行ってきたと思います。
しかしこれ以上は譲れない住宅密集度はあったはずです。
横浜の危険度は上がったと思います。
危険な町にしてから防災を考えていると思います。

安全に関する学問知識を重んじて町づくりの基準を修正し、100年の計で、持続的生活・生産ができる地域に改善していくことが大事ではないでしょうか。
横浜は人口減少時代に入ったそうです。
駅から離れた所は空き家が増えつつあると思います。
人口減少を嘆かず、町づくりの基準修正の時代に入ったと考え、もうちょっと安全に配慮し、弱点を除去するような町づくりを行なうといいと思います。
単に災害が来ないことを祈るとか、災害が来ないことにかけるような非学問的町であってはいけないと思います。

なお、安全にすることに加え、電力線、通信線を共同溝に入れるとか、都市ガスをやめ、電化するなどの大きな長期目標を持つと市は力強い町づくりができるのではないでしょうか。
市民の力も引き出せるのではないでしょうか。

電力は東京電力に依存するのではなく、区単位、町単位で供給をどうしようかと考えるようになるといいと思います。
廃熱も給湯に利用する高効率火力は区単位、町単位でないと実現しないと思います。
太陽発電は個人単位でも実行可能です。

区を自治区とし、区長公選にするといいと思います。
区議会があっていいと思います。
私が住んでいる区は人口30万人です。

地方人は地方を地方と思わず、国と思って政治を考えてはどうか

2014年08月21日 | Weblog
会社が大きくて事業が多い場合、事業部制あるいは分社化で経営改善をはかります。
国も同じで国が何でも考えればいいというものではありません。
小さな国の方が、政治はやりやすいと思います。

日本は大きいと言うべきか、小さいと言うべきか、地方の衰退が問題になっています。
中央政府は決して地方を軽視してきた訳ではありません。
ところが、たとえば地方を振興したいと思って、地方への道路を建設すると地方の人々がその道路を使って都会へ出てきてしまい、地方衰退を加速させるなど予測しないことが起こってきました。

中央政府は結構地方開発に注力してきましたが、投資効果はそれほど上がっていません。
立派な道路や施設ができましたが、経済発展に道路や施設が活きている感じがしません。
中央政府が土建をやっている間は景気がよく、土建が終わると景気が悪くなる土建経済でした。
今度の東京-名古屋間リニア中央新幹線建設も土建経済で終わる恐れが大きいと思います。

中央政府が地方のことを考えても地方の発展は起こらないのではないでしょうか。
またまた安倍晋三総理が最高責任者になって地方振興を考えるそうですが、お金の無駄使いに終わるでしょう。
安倍総理は何でも自分が最高責任者になって問題を解決すると言います。
しょってます。
あれもこれもできる訳がありません。

地方の人は地方意識では地方を発展させることはできないと思います。
自分の地域を国のように思う気持ちが大事と思います。
中央政府が何かしてくれたらという依存心を捨てることが必要と思います。

安倍総理の自信たっぷりの中央集権的政治を信用するのは危険です。
江戸時代で言うならば後半の幕府建て直しの試みに似ています。
あれも失敗、これも失敗となり、藩は藩で生き残りを考えないといけなくなりました。

今は中央集権的税制になっていますが、地方分権的税制にするといいと思います。
国が地方のことを考えることはいいのですが、地方の自立を損なうまで権限を集中してはいけないと思います。
地方のことは地方が責任をもって考える姿勢がないと地方は中央政府依存心を強めるだけになります。

2011.3.11の東京電力福島第一原発事故では福島県や原発周辺の町は全然責任感がありませんでした。
原発が危険という認識もなく、放射能漏洩・汚染が起こったらどうするという対策も持っていませんでした。
国の安全基準で安全と思っていました。
放射能汚染被害は甚大です。
地域も国の一つとの国意識で国と同等の責任感で自分の地域をどうすると考える地方になってほしいと思います。

原子力安全委員会同様、原子力規制委員会も放射能汚染を残して消える

2014年08月20日 | Weblog
前の原子力安全委員会同様、現在の原子力規制委員会も原発推進を基本としています。
こうすれば原発は安全という基準を設け、原発を推進します。
問題はその安全基準です。

前の原子力安全委員会の基準は危険であったことが東京電力福島第一原発事故で明らかになりました。
この原発事故は非常に大きな被害を残しました。
3年以上たった現在も事故原発処理も放射能汚染処理も終わらず、放射能汚染被害が続いています。

そこで新しい原子力規制委員会は安全基準を上げていますが、やっていることは安全の確率を上げているだけで安全を保証している訳ではありません。
原子力規制委員会は事故原発処理も担当しています。
委員は経験不足、知識不足ですから自分達の安全基準が失敗に終わることを心配しています。
しかし政府からの指示は原発推進です。
失敗したら原子力規制委員会が解体されて委員を解任されるだけ、それ以上の罰はないと開き直って安全基準を考えています。

このような原子力規制委員会に原発推進を任せておいて日本は安全でしょうか。
危険です。

最近のニュースでは、凍結技術で放射能汚染水の流出を防ぐ試みを今年の4月から部分的にやってきましたが、電気を食うだけで終わり、東京電力は凍結技術の限界を原子力規制委員会に報告したそうです。
原子力規制委員会の知識が不十分である証拠です。
凍土壁で事故原発を囲むという未経験技術を実行すると政府は発表しましたが、専門家からはむずかしいとの意見も出ており、これまでの部分的工事の失敗からも凍土壁だけに執着すると電気を食っているだけで放射能漏洩防止に失敗する恐れが大きいと思います。
お金がかかっても周辺を掘り下げ、鉄板や鉄筋コンクリートで囲む大土木で事故原発を密閉系に入れないといけないと思います。
お金が経済成長に回らないと心配する人が多いと思いますが、生活・生産環境が悪い状態で経済成長など考えられません。
まず安全な環境を取り戻さなければなりません。

そのほかの原発をどうするかは国民が決めるべきです。
国民の大半は危険と思っていますが、政府は原発推進です。
電力供給をどうするのだと迫る原発推進派に押されて政府は昔通り原発や放射性物質の危険性に目をつぶりました。

今私達は放射能汚染の被害を受けていますが、政府に従っているだけでは放射能汚染被害は増えていきます。
子孫はもっと苦しむことになります。
こんな無責任な政府を国民は放置しておいていいのでしょうか。

戦前戦中の無責任政府を放置して、先祖は地獄を経験しました。
もし私達が現在の無責任政府を放置するなら再び私達も子孫も放射能汚染地獄を経験するでしょう。
私達は声を大にして政府に原発廃止を求めるべきです。
原発賛成の政治家を落選させ、国会に送らない決意が必要と思います。

電力供給については、東京電力のような大会社による広域電力供給ではなく、水流のある町は水力発電で、会社や家の近くを勢いよく水が流れているなら会社や家単位の水力発電で、温泉の出る町では地熱発電で、会社や家の近くで温泉が出るなら会社や家単位の地熱発電で、町や大きな建物は廃熱も給湯に利用する最新火力発電で、神奈川県、静岡県、愛知県、岡山県など太陽光が豊富な地域は町単位、会社単位、家単位の太陽発電で、風がよく吹く地域では町単位、会社単位、家単位の風力発電で電力供給を考えるといいと思います。
こうすると日本は世界一発電技術が進歩した国になり、発電技術は輸出にも貢献するでしょう。
省エネルギー技術についても世界一を目指して国、会社、個人が技術開発競争するといいと思います。

原発技術世界一を目指しても、放射能汚染処理技術がない限り、放射性廃棄物を安全に宇宙に捨てる技術がない限り、また地表に蓄積される熱を宇宙に捨てる技術がない限り、原発は地球環境を破壊する原因になるだけで将来性はありません。
これから大規模放射能汚染事故が続き、また廃熱も問題になって人類は原発廃止を決めることになります。

日本は未来を予測して賢く行動する国や人々になってほしいと思います。

社会悪は因習あるいは慣習に潜んでいる

2014年08月17日 | Weblog
今問題になっているイスラム国では、不満、怒り、憎しみの感情が支配的です。
このようなイスラム国は発展しないと思います。
この反乱を警察や軍が抑え込んでいるだけでは反乱はやみません。
やはり社会悪を取り除くことが大事です。
イスラム世界では因習あるいは慣習に社会悪が潜んでいると思います。

イスラム教は世界三大宗教の一つですが、聖戦が問題です。
殺人あるいは戦争で社会悪を取り除こうと思っても今度は自分が社会悪の原因になります。
聖戦という名のもとに殺人あるいは戦争が行われている限り、イスラム世界には平安がないと思います。

イスラム教でも殺人や戦争は否定される方向です。
何が聖戦か神にしかわからないことと思い、人間は聖戦を遠慮するといいいと思います。

人が生きる目的は生きることです。
自分はもちろん生きなければなりませんが、他人も生きなければならないことを知るべきです。

人間界にも作用反作用の法則が作動しています。
殺す者は殺されます。
戦争する者は戦争されます。
悪循環が永遠に続きます。
殺人や戦争を罪とし、放棄して初めて悪循環を断ち、社会が平安になります。

ところで現在の日本の風潮は悪循環に戻る方向だと思います。
憲法を変更して戦争放棄条項を変えようというのですから世界の最先端から後退です。
戦争放棄という人類の崇高な目的を見失うとは悲しいことです。
日本が平和である理由は、人の命を重視し、殺人や戦争を罪として法律で禁止し、その法律を実施する司法を持っているからです
この仕組みを世界に応用しようとするのが常識ですが、その反対の行動をとろうとしています。
社会悪が復活しつつあるからではないでしょうか。
放射性物質の危険を無視し、原子力を推進する一派、兵器産業拡大をもくろむ一派、自衛隊を軍にしたいと暗躍する一派など人々の幸福を抑圧する勢力が支配的になりつつあります。

横浜も都市計画なき危険都市

2014年08月14日 | Weblog
数年前、横浜市港南消防署を訪問したとき、港南区には、消防車が入ることができないほど道が細い町があると言われました。
港南消防署は鎌倉街道に面していますが、その鎌倉街道の東側には急斜面を持つ丘陵が南北にのびています。
鎌倉街道から見ても狭小住宅が斜面を覆い尽くしているのを見ることができますので消防署はこの辺りのことを言っているのだろうと想像していました。

最近スポーツ関係の用事があってこの丘陵の斜面に住んでいる人を訪問しました。
地図で道を調べ、その人のところに行けると思って車で鎌倉街道から一つの細い道に入りました。
曲がりくねりながら道を登って行きましたが、やがて道は行き止まりになり、その先は階段になっていました。
しょうがないので鎌倉街道に戻り、隣の細い道から丘陵に登りました。
やはり曲がりくねった道で今度は目的の家に行くことができました。
家は行き止まりの細い道の途中にありました。
鎌倉街道を挟んで向こう側、西の方の丘陵が見渡せて眺望は広々していいのですが、町はまさに消防車が入ることができない細い道の町でした。

それではこの町は古い町でしょうか。
違います。
ここ数十年の間に金銭主義だけの不動産会社が丘陵の斜面を乱開発してできた危険な狭小住宅の町です。

横浜市はこのような乱開発を長年認めてきました。
今も認めています。
横浜市が町の住環境や安全より土地が動くことによるいろいろな税収を重視していることは明白です。

横浜市は都市計画税をとっていますが、幹線道路や港の建設を重視し、町の住環境や安全は軽視しました。
お金をかけなくても、条例で町中の道路や住宅建設基準を設けるだけで、住環境がいい安全な町をつくることができたのに横浜市は町づくりのロマンなく、消防車も入らない最低の町を数多くつくってきました。
出来てしまった町は百年ぐらいでは改善できないでしょう。

幕末、世界の文化の入り口となった文化的な横浜ですが、戦後の経済成長期は無計画にただ東京勤務者のベッドタウンとしてひたすら住宅個数を増やしてきました。
美しい都市をつくるロマンを欠き、財政を住宅の固定資産税に依存したため丘陵の下も上も斜面も狭小住宅が覆う町ができるのをよしとしてきました。
人口が急増し始めた50年ほど前、一時期、大手不動産会社の大規模宅地造成についてはいろいろ厳しい条件をつけた横浜市ですが、そのほかの宅地造成については不動産会社のいいなりだったと思います。
唯一の救いは当時設定した市街化調整区域や市民の森が何とか残り、灰色となった横浜の中で緑の島となって残っていることです。

東京がいいか、地方がいいか

2014年08月11日 | Weblog
私は地方で育ち、地方の技術系大学を卒業し、製造会社に入社しました。
研究所か工場を希望しましたが、何んと東京本店勤務になってしまいました。
以来、56歳まで東京で働きました。
東京での仕事は嫌いではありませんでしたが、東京については地震に弱い危険都市と思い、東京勤務はやめました。

大雨については、昔神田川が氾濫して太ももぐらいまで水がついた道路を歩いて社宅に帰った経験がありますが、その後、太い地下水路、巨大な地下貯水池の建設で町中の川の氾濫はなくなりました。
しかし日本橋あたりの地下鉄で天井や側壁から水が大量に漏出しているのを見たとき、地下鉄は実質水中にあるに等しいと思いました。
つまり大地震があり、トンネルに亀裂が入れば大量の水が地下鉄に浸入し、仮に排水ポンプがフルに作動しても排水は間に合わないと思いました。
ポンプが動かなければ逃げる間もなく水没する恐れがあると思いました。
地下鉄に限らず地下道も同様です。
しかも地下道は非常に複雑で普通でも出口がどこかわかりません。
まして地震で混乱し、照明が消え、暗くなったら、人々の狂った激しい流れが生じ、多くの人が倒れ、踏み殺されるのではないでしょうか。

東京は地上も非常に複雑です。
明らかに建造しすぎです。
ブレーキが効かないまま、上に横に見通しの効かない複雑建造物が東京を覆っています。
東京都は、東京オリンピック開催を機会に東京を安全にすると言いますが、あと6年で何ができると言うのでしょうか。
さらにいろいろなものを建造し、もっと複雑にして、決定的に危険な都市にすると思います。

大地震が来たら東京は地獄になる。
これは地震学者、安全工学者、土木工学者、土木技術者、建築工学者、建築技術者の共通認識ではないでしょうか。
東京都は、シミュレーションで大地震による大被害を予測しながら、予測とは裏腹に東京を複雑危険都市にしてきました。
そんな馬鹿なことをと思っても、政治とは何か異常な力が働いて破滅を予感しながら破滅に吸い込まれるものです。
東京都にしっかりせよと言っても東京都はしっかりしません。

生きるも死ぬも最後は個人の責任ではないでしょうか。
東京都の責任と言っても自分が死んでしまっては意味がありません。

今日においても地方に住む若い人は東京に来たがります。
仕事がある、刺激があるということでしょう。
しかしすでに東京は人が住むべき都市ではなく、危険都市になったと認識すべきです。

若い人にとっては地方に理想の町をつくる方がロマンがあっていいと思います。
東京で燃やせるのはロマンではなく、欲望の渦に巻き込まれる運命ではないでしょうか。
もしかしたら大地震で地獄に落ちる運命ではないでしょうか。

高齢化社会はどうしても老化現象を示す

2014年08月10日 | Weblog
私は都市部に住んでいますが、町は非常に高齢化しており、65歳以上の老人割合は40%をこえています。
近年は町内会の活動力の低下が著しく、お祭りはやらないと決定したり、防災訓練は防災グッズの展示をやるだけの手抜き訓練をやったり、さらには行政から来る広報などの各戸配布も拒否したりしています。
見るに見かねてボランティアが町の行事や仕事に協力しています。

ボランティアの協力で町は活力を取り戻したかと思ったら今度は町内会役員や住民からボランティアはやりすぎと批判が出るようになりました。
ボランティアがやるのだからいいではないかと思うのですが、町の仕事をしない老人は、同じ老人のボランティアが町の仕事をすることを好まないようです。
老人は誰も町の仕事をしないでほしいという心理が働くのでしょうか。

数年前、私は町内会の防災訓練を企画しました。
最初はボランティアがやるということで町内会役員は賛成してくれましたが、折角の機会だから関心のある役員は防災訓練指導員(ボランティア)が指導員になるための研修にご参加くださいと親切心から役員に案内を出したら突然町内会長の態度が変わり、次の役員会で、しかも私がいるところで、役員は研修に参加してはならないとの指示を出しました。
私は参加は強制ではないと説明したが、どうやら町内会長は、役員が、参加する人、参加しない人に分かれることを嫌ったようです。
みんな同じでなければならないという心理が働いていると感じました。

しかし、研修には若い役員と老人役員の一部が参加してくれました。

公園の管理でも同じ現象が観察されます。
班を動員した町内会の公園掃除は近年は月1,2回のごみ拾いと枯葉集めだけです。
老人にとって草取りや草刈りはきついからです。
すると公園は草茫々です。
見るに見かねてボランティアが草取りを始めると、公園の近所の人から草取りをやめよとの意見が出ます。
ボランティアが驚いて理由を聞くと、草を取ると土が流れる、土埃がまう、雑草が生えている方がいいなどの返事が来ます。
そんな不合理があるかと思ってさらにほかの近所の人からも意見を聞くと、同様の批判をする人は全部老人で、若い人々は、公園が美しくなった、子供達が安心して公園で遊べるようになったと言ってボランティアに感謝します。
老人は、自分が草取りをやらないから、同じ老人のボランティアが草取りをやるのは好まないという心理が働いているようです。

私が住んでいる町は高齢化社会の老化現象をよく示していると思います。
高齢化社会を活性化するという考えは美しいのですが、現実は非常にむずかしいと思います。
ボランティアは町の仕事をしない老人の意見を聞いて仕事をしないのではなく、若い人の希望を聞いて町の仕事をするといいと思います。
その際、町の仕事をしない老人をなるべく刺激しない配慮が必要だと思います。
老人になれば体力も気力も衰えます。
病気の人も増えます。
自分のことしか考えることができない傾向が強くなります。
町の仕事をしない自由はあります。

ただ、老人はみんな町の仕事をしてはならないと思うのはちょっと問題と思います。
老人が町の仕事をする自由もあります。