ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

原発会社は社会性を持ってほしい

2012年10月29日 | Weblog


東芝、日立などの原発会社は原発に執着しているが、これからも起こりえる大規模放射能汚染にどのような責任を負う考えでしょうか。
手に負えなくなれば会社は倒産するだけではないでしょうか。
現在の収益を考えているだけではないでしょうか。

東京電力福島第一原発事故を見ればわかるように結局放射能汚染対策は国の責任となります。
つまり人々の責任となります。
放射能によって遺伝子が破壊することを恐れながら、否、恐らく実際に放射線障害に苦悩しながら人々は対策に苦闘するでしょう。
苦闘するが対策がなく絶望するかもしれません。

原発会社は無責任だと思います。
製造者責任を果たしていないと思います。
もうちょっと社会性を持ってほしいと思います。

衆議院選挙が近いとの予測があります。
私達人々は自分の命と子孫の命に責任があります。
目先の収益だけ考える思慮の浅い政治家を国会に送ってはならないと思います。

原発を稼動しない苦しみより、遺伝子の破壊や放射線障害の苦しみの方がはるかに大きいと思います。
自民党は原発を稼動し続けると言います。
消えてほしいと思います。
民主党は2030年代に原発ゼロにしたいと言います。
仮にそうしたとしてこれから20年も原発を稼動することになります。
大規模放射能汚染の恐れが続き、また確実に放射性廃棄物は増えていきます。
これでは大規模放射能汚染対策を実行したことにはなりません。

原発ゼロの社会に対応するためにはまだ経済力がある今、原発稼動をやめ、背水の陣でエネルギー技術革新に取り組むべきです。
10年後、20年後と遅れれば遅れるほど原発問題は解決がむずかしくなります。
原発処理処分も長引きます。
人々の苦悩も大きくなります。

次の衆議院選挙は原発稼動反対の政治家を選ぶことが必要と思います。
一時的な経済収縮に怯え、危険な原発に執着するような保守では日本の未来をつくれません。

国は沖縄の自治を尊重すべき

2012年10月25日 | Weblog

沖縄那覇首里城から

誤った戦前の国の外征方針によりアメリカなどの連合国と戦争し、大敗し、1945年以来、沖縄はアメリカ軍に占領された状態で今日に至りました。
1972年に沖縄の施政権がアメリカから返還され、沖縄県が誕生しましたが、在沖縄アメリカ軍基地はそのまま残りました。
沖縄県は基地について発言権がなく、今日においてもたとえば県が垂直離着陸輸送機オスプレイの配備に反対しても、国は県を無視し、アメリカは強引に配備しました。
森本敏防衛大臣によると国すら配備に反対する権限はないとのことです。

在沖縄アメリカ軍は支配者然として沖縄県に臨んできました。
今日においても町中でのアメリカ軍人の行動は傍若無人です。
野放しの不良のようです。

沖縄県民が感じる屈辱は、県外の日本人が到底理解できない耐えがたい屈辱だと思います。
67年たっても沖縄はアメリカ軍の島です。
国は沖縄の人々の思いを理解できていません。
国があまりひどいことをし続けると、沖縄は日本から独立したいと思うのではないでしょうか。
これまでは国から特別交付金をもらって我慢していたようですが、これからはもう沖縄はお金では我慢しないと思います。

沖縄は自分の主権を求めて直接アメリカと交渉しています。
今後も自由と独立の精神をもって頑張ってほしいと思います。
在日アメリカ軍基地も国からの特別交付金も要らないという決心で沖縄の産業を考えてほしいと思います。

日本は中国との関係が悪化しつつありますが、沖縄はその渦中に巻き込まれつつあります。
沖縄は中国とも直接交渉して戦争回避の道を探らなければならないかもしれません。

海岸部の火力発電ではなく町で火力発電

2012年10月21日 | Weblog


炭酸ガスは地球温暖化の原因と言って火力発電を減らし、原子力発電を増やせと主張する人がいますが、原発は人工的放射性物質を増やすことを忘れてはいけません。
人の遺伝子に放射線が当たると遺伝子が破壊されます。
するとガンの発生、奇形児の誕生、死産などが起こりやすくなります。
原発は非常に危険です。

放射性物質の放射能を取り除く技術があればいいのですが現在はありません。
したがった人工的放射性物質の増加は人にとって致命的です。

中央政府、原発のある地方自治体、主要経済団体などが原発に執着することは犯罪と言って過言ではありません。
生命を軽視しすぎです。

省エネルギーや、自然エネルギーなど安全新エネルギーに全力を注ぐべきですが、それだけではエネルギー不足で社会が混乱すると心配であるならば、暫定的に火力発電を町で行い、廃熱を熱源として有効利用することを推進すべきと思います。

ほとんどの町にガス会社から都市ガスやプロパンガスが供給されています。
これらは家庭などで熱源として利用されています。
このエネルギー利用方法は非常に効率が悪いと思います。

町で最新火力発電技術で発電を行い、家庭等には電気と温湯を供給するシステムに切り替えると、海岸部で火力発電を行う方法に比べ、海に捨てていた熱を有効利用することになりますからエネルギー効率が倍増します。
また、家庭等でガスではなく電気を使うようにした方がエネルギー効率が大幅に改善します。

ガス会社が電力事業を拡大していますが、まだ海岸部に火力発電所を建設し熱は海に捨てています。
これは単なる原発非稼動による電力減を補う考えであり、炭酸ガス排出を減らす目的には合っていません。

中央・地方政府はエネルギー供給システムの見直しを行い、暫定的になると思いますが、町での火力発電を増やすことを推進すべきと思います。

政治家や公務員の政治知識は人々の政治知識と同程度

2012年10月16日 | Weblog

美しい田園を放射能汚染から守りたい

政府は、原発のある地方自治体と原発に対する主要経済団体の要望を無視して原発の稼動を止める訳にいかないと言っています。
原発の安全性より、現在の経済を重視しています。
未来予測ができておらず政府は危険です。
次の衆議院総選挙で人々が原発稼動派の立候補者や政党を否定しない限り原発稼動は止まらないと思います。

もし次の衆議院総選挙で原発稼動反対派が負け、原発の稼動が止まらないならば、今後起こる大規模放射能汚染の責任は人々にあります。
政府や電力会社が悪いとの人々の批判は無責任です。

自分は原発の危険性について知らない、政府の責任において原発を稼動してくれという姿勢は無責任です。
政治家や公務員の政治知識は人々の政治知識と同程度です。
人々は自分の政治責任を自覚すべきです。
民主主義国では政府の失敗は人々の失敗です。

放射能汚染で自分の町を捨てるような運命をよしとしてはいけません。
現在の東京電力福島第一原発周辺の町の人々に同情すべきです。
しかし過去の町の人々のようであってはいけないと思います。

大規模放射能汚染は私達の責任

2012年10月11日 | Weblog


原発事故責任というと電力会社が問題になりますが、電力会社だけではありません。
原発は国が推進してきました。
一番責任が重いのは国です。
つまり日本は民主主義ですから私達です。

次に原発を導入した地方自治体です。
やはりその地方の人々に責任があります。

そして忘れてはいけないのが原発会社です。
破壊して大規模放射能汚染を起こすような原発を売った責任は非常に重いと思います。

国は東京電力福島第一原発を国が長期的に管理する「特定原子力施設」に指定する予定と言っています。
この考えですと東電が原発を処理処分し、国は東電の仕事について安全性に問題ないか監視するということになります。

これまで原発管理にずさんであった東電が安全に原発を処理処分できるでしょうか。
処理処分の資金、人材、技術等を出し続けることができるでしょうか。
できる訳がありません。

国は相変わらず無責任です。
つまり私達は無責任です。

国は、つまり私達は、高負担を覚悟で原発の処理処分に真剣に取り組むべきです。
放射能汚染は私達に責任はない、「国や福島県や東電や原発会社の責任である」では済まされない大問題です。

青森県の第一次産業と原子力施設は両立しない

2012年10月07日 | Weblog
青森県と言えばリンゴ、帆立貝などの第一次産品で有名ですが、原子力の危険性について真剣に考えているでしょうか。

昔は原子力船の母港を陸奥湾に面する大湊につくりました。
しかし陸奥湾の養殖にとって危険ということでついに原子力船は原子力で航行することなく廃船となりました。

原子力の危険を知ったかと思いきや、青森県は太平洋側の六ヶ所に核燃料リサイクル施設の建設を認めました。
使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、プルトニウムを核燃料として再利用することが目的です。
すでに建設は10年以上前に終わり、本格稼動しているはずですが、いまだに問題が発生し続け、稼動していません。
処理待ちの使用済み核燃料棒が貯まる一方ですでに貯蔵は限界に来ているそうです。
そうこうしているうちに恐るべき東京電力福島第一原発事故が発生し、原発の危険性が大問題になりました。
リサイクル施設は今後も稼動することなく廃止となり単なる放射性廃棄物保管施設になるかもしれません。
青森県は永遠に放射性廃棄物から解放されないでしょう。

青森県には東北電力の原発が1基太平洋に面した東通にあります。
そして新たに東通と下北半島北端津軽海峡に面した大間に新たに原発を建設中でした。
福島第一原発事故のあと、これらは建設中断になっていましたが、このほど大間は工事を再開したそうです。
大間原発は最初からウラン酸化物とプルトニウム酸化物の混合燃料(MOX)を使う予定になっています。
工事再開の理由は建設中の原発は建設再開と国の取り扱いが明確になったからだそうです。
このお話しは変です。
しかし当の青森県や大間町からは反対の声が聞こえてきません。
青森県は原子力中毒に侵されてしまったのでしょうか。
なお、津軽海峡の反対側にある函館市は工事再開に断固反対しています。

それにしても国は無責任です。
新たに発足させた原子力規制委員会は早くも大間は問題ないと判断したとでも言うのでしょうか。
原子力規制委とは規制という名を持った原子力推進機関でしょうか。
まず原発を続けるという国の方針があって、その方針に従って安全基準をつくり、あの原発は安全、この原発は危険と判断するならば国の御用機関にすぎません。
昔の原子力安全委員会と何も変わりはありません。

今の日本に必要なものは原発は安全か危険か判断する機関です。
原子力推進を目的とした原子力規制委ではありません。

中央政府依存を捨て、自立した町づくりを考えよう

2012年10月03日 | Weblog


戦前の政府は地方から貧乏男性を集めて軍を大きくし、消耗品のように軍人を戦場で殺し、最後は政府も国も滅びました。
現在の政府は貧乏県とその貧乏町をお金でつって原発建設を認めさせ、消耗品のように町を放射能汚染で潰し、最後は政府も国も滅びるでしょう。
昔の政府も今の政府も政治水準の低さにおいて何も変わりはありません。
国民も変わっていません。
昔は「富国強兵」の言葉に踊り、今は「経済成長」の言葉に踊っています。

貧乏県とその貧乏町は原発がほしい、原発を動かしてくれと叫んでいます。
東京電力福島第一原発周辺の町の悲劇をどう思っているのでしょうか。

人々は経済々々と叫びますが、どうしてそんなに経済の心配をするのでしょうか。
貧乏人の割合が増えていることは問題ですが、平均で言いますと日本は経済が半分になっても人々は大丈夫生きて行くことができます。
お金持ちのお金をうまく貧乏人に回す政治を行えば餓死者などでません。
平均寿命が下がるなどということも起こりません。
お金ではなく思考知識、生産知識、保健知識、防災知識などの知識が人生を助けます。
知識は今では地方にも流通しています。

現代人は経済成長という言葉から自分を解放することが大事です。
第一次産業だけでは貧乏と思うでしょうが、放射能汚染で町を捨て不慣れな別の町で避難生活を続けるよりは第一次産業の町を愛した方が幸福と思います。

町や住居を草木で飾り美しい町づくりをやってみてはどうでしょうか。
それでは退屈だと言うなら、学問や技術開発や伝統文化づくりをやってみてはどうでしょうか。
中央政府依存を捨て、自立した町づくりを目標にするとやるべき仕事はいっぱいあると思います。
電力も町でつくってみてはどうでしょうか。
川があれば小水力発電をやってみてはどうでしょうか。
町づくりを続けているとやがて外から人々が視察や観光に来るでしょう。