ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

地方政府は具体的行動をとれ

2007年03月31日 | Weblog


概して美しい町並みと思いますが、電柱と架線が景観を駄目にしているし、風雪が激しい時は電柱が倒れたり、架線が切れたりする恐れがあります。

次のデータは日本がいかに無電柱化に遅れているかを示しています。

 


(出所)国土交通省

決心すればできることは決心してやるべきです。
関連業者との話し合いを面倒と思っていると、美しい町並みを大切にしようなどという地方政府の掛け声は空しく響くだけです。


地震で破壊しやすいものをつくってはいけない

2007年03月28日 | Weblog

一度つくってしまうとなかなかつくりかえる決心ができません。
地震がきて破壊しないとつくりかえません。

07.3.25の能登半島地震は死者が少なかったのですが、この地震でもいろいろな建造物が破壊しました。
この破壊が人間の死傷の原因になる訳ですから何が破壊したか情報を整理することが大切です。

破壊したもの

○老朽家屋
○瓦屋根の家など上が重い家
○1階が車庫や倉庫になっている1階が弱い建物
○大地が流動化しやすい土質条件下にある建物、道路、トンネルなど
○石積みの土留め、ブロック塀、墓石、石碑、石の鳥居、石灯籠などの石造物

報道機関は、死傷者が出た、建造物が破壊した、避難生活が大変と報道するのですが、報道は情報量に制限があり深みがないため、将来に役立つ教訓はえにくいと思います。
地震はこわいと言いながら、地震に弱い建造物をつくり、その建造物が地震で破壊し、死傷を受けるということが起っているのが現実です。

今回は石灯籠が倒れて一人死んだそうです。
石灯籠が地震に弱いことを知っていても石灯籠を建てたいと思うと地震のことを考えなくなるものです。
地震の知識が生活の中に生かされていないことが多いと思います。

共同溝にした方がいい

2007年03月25日 | Weblog


今激しい風雨が南側の雨戸を打っています。
咲き始めの桜の花は強いですからこの嵐で弱ることはないでしょう。
来週からお花見を楽しめるでしょう。

さて電柱や架線は町の景観を駄目にする上、風雪などで電柱が倒れたり、架線が切れたりするので共同溝を設けてその中に配線した方がいいのですが、これまではコストに問題があって日本ではむずかしいと思っていました。

ところが私の住んでいる町では昨年から今年にかけて数か月に渡って水道管取替工事、下水道管取替工事、ガス管取替工事が行なわれ、工事ごとに道路が掘られ、埋められ、仮舗装が行なわれました。
そしてこのほどようやく本格的な道路舗装工事が行なわれ、一連の工事が終了し、町に静寂が戻りました。

この掘っては埋め、仮舗装する工事の繰り返しと最後の本格的道路舗装工事を見て、共同溝を建設して、その中に各種配管配線を行なった方が総コストが安いのではないかと思うようになりました。

土中埋設工事の場合、管の定期検査が不可能で、ときどき水もれ、ガスもれで大事故が起ったりします。
共同溝では定期検査が可能であり、事故を避けやすくなります。

また共同溝に電線、電話線、同軸ケーブル、光ケーブルなどを配線すれば、町の景観破壊の一原因である電柱と架線をなくすことができます。

都市部の景観破壊は恐るべき速度で進んでいます。
何かをきっかけにして環境改善に転換する必要があります。
地方政府、ガス会社、電気会社、通信会社が共同して共同溝建設に向かうなら絶望的な住環境に改善の希望の灯をともせると思います。

屋外での食事が楽しい

2007年03月22日 | Weblog


横浜は昨日、今日と明るくて暖かい日が続いています。
昨日は庭があまりにも気持ちがいいので、庭にビニールシーツを広げて孫達と遊んでいますと、家の中から、庭でお昼ご飯にしますかと声がかかり、そうしようということになり、家族6人で庭で雑談をしながら昼食をとりました。

もしかすると来週には舞岡公園の桜が開くかもしれません。
舞岡公園は山桜の多い広大な自然公園です。
ソメイヨシノが植わっている場所もあります。
家から歩いて数分の所にありますから気軽にお弁当を用意して舞岡公園で食事をしようかと思います。

昔私は東京神田の近くの会社で働いていましたが、桜の季節になりますと、毎年お昼休みお弁当をもって部全員で上野公園に行き、1時半ぐらいまで遊んでいました。
屋外での食事はみんな大歓迎で、今日はお天気がいいとなるとみんな行こうということになり、楽しい行事でした。

都市部に住んでいても緑に囲まれたちょっとした庭や、近場に緑豊かな場所があれば、春の楽しみ方が大いに豊かになります。

今後は森林所有者の乱伐が心配

2007年03月19日 | Weblog

近くに行けなくて花をよく見ていないことと山の木に詳しくないので間違っているかもしれませんが、ふさざくらでしょうか。
奥多摩の山の斜面で咲いているのを見かけました。

木材資源の世界的枯渇から木材輸出国は伐採を規制しつつあります。
一方で開発途上国の経済発展で木材需要は増えつつあります。
その結果は木材の値上がりです。
この値上がりのおかげで日本の木材自給率が上向いており、一時期の10%台から現在は20%台になっているそうです。

3月17日奥多摩に行きましたが、地元の人が杉山を見上げながら「この斜面の杉を全部伐り出そうかな」と言っていました。
売って利益が出る最近の情況を反映しているのでしょう。

スギ花粉対策だけで東京都が杉林を切り倒しているそうですが、これは再検討した方がいいと思います。
東京都が点で杉林をなくしてもほとんど花粉症対策にはならないでしょう。
面でなくせばその後どうするかが大問題になります。

森林所有者は、儲かるとなれば我も我もと伐採を始めるかもしれません。
伐採後裸になった山の植林計画を持たないまま、今かねをつくりたいとの思いで伐採をするかもしれません。

日本の林業は崩壊状態にあると言われています。
業界に今後の林業をどのように育てるかというしっかりした長期計画なきまま、森林所有者が乱伐を始めたら大変です。
政府は、森林保護と林業振興のため閣僚会議を設け、間伐を促進すると述べていますが、民間の乱伐を防ぐことができるかが重要です。

住宅の建設を土地所有者や住宅関連業者の乱開発に任せた結果、都市の住環境が再開発不可能な状態に陥ってしまったことを政府も私達も忘れてはなりません。

東京の恥

2007年03月16日 | Weblog

東京の町ではありませんが、東京の町もこのように空間なき、森と林なき住宅密集地と化しています。

石原慎太郎都知事の説明を聞くと、東京には世界に通用する競技場がないからオリンピックを開催することによって建設するとのことです。
彼は、このような競技場がないことは東京の恥だと言います。

数十年前の東京についてはこのような論理も説得力があったかもしれませんが、今は石原都知事がこのような発言をすること自体が東京の恥ではないでしょうか。

世界に通用する競技場を建設したいと思ったらオリンピックの開催関係なく建設すればいいと思います。
その建設維持、減価償却に自信がないなら建設しなければいいと思います。

オリンピックを開催するため建設したとしましょう。
オリンピックは毎年東京で開催するわけではありません。
次の開催は数十年後でしょう。
建設した競技場の維持管理はもちろん、減価償却もできず、数十年後、また世界に通用する競技場がないのは東京の恥と言うでしょう。

それでは東京の誇りのために泣くのは誰でしょうか。
東京都民でしょう。
競技場は国立でしょうから都民以外も迷惑を受けます。
東京の恥をすすぐため何でほかの都市の市民が税金を払わなければならないのでしょうか。

東京の町は、環境が悪いだけでなく、防災上非常に危険な町になっています。
シミュレーションの結果、非常に危険だという情報を都民に流していますが、安全のための改善は何もできていません。
空間を設ける、森や林を増やす、土建の耐震性、防火性を上げるなどは絶対必要なのに、空間は土建で埋める方向ですし、土建は、基準が甘い上、基準が守られているかチェックする機能が作動せず、近年建設の土建も基準値以下という問題が起っています。

世界に通用する競技場がある反面、防災上非常に危険な町が放置しされている東京を考えてみてください。
何が東京の恥でしょうか。
防災上非常に危険な町が放置されていることの方がはるかに東京の恥と思います。

美術を住宅や町に応用しよう

2007年03月13日 | Weblog

山と谷と海と温泉に恵まれながら乱開発でかえって不経済になり、再開発に苦闘中の熱海

資産価値のある美術作品を持っている人はほとんどいないでしょう。
したがって美術がこのような美術作品の中に閉じ込められると美術の効果は大幅に減じてしまいます。

小さいときから美術を勉強する目的は自分の生活の中に美術を生かすことです。
美術作品をつくるとか、持つとか、どこか美術館に行くことだけではありません。

自然の美しい所に行きますとよく美術館がありますが、自然が美術館で一段と美しくなった訳でも、美術作品が美しい自然の中にある美術館で一段と美しくなった訳でもありません。
自然美と人工美が調和するのではなく反対に対立し、自然に行った人の美意識を混乱させる恐れすらあります。

美術が狭い領域に閉じ込められる原因は、美術を美術の才能がある人の技術と考えることにあると思います。
才能を気にせずすべての人がその人なりの美術を身につけることが大事と思います。

生活の場として一番重要な住宅や町が美しくないのは、折角小さい時から学んできた美術の教養が自分の生活の中で生かされていないからだと思います。

美術とは絵、彫刻などのように全体から遊離した個の美しさを追及することだけなく、全体の中でその個の存在が美しいと感じ、また全体が美しいと感じるような美を追求することでもあります。

墓場の巨大な墓石のよう

2007年03月10日 | Weblog

横浜駅の近くのかながわ県民センターから見た横浜港

独立行政法人建築研究所によると、超高層ビルの地震対策は万全ではないとのことです。
特に上の方では、振幅が数メートルで数分続くことがあるそうです。
恐らくこのような揺れに対して人間は予想以上の不安を感じるのではないかと思います。

家具が横滑りを起こし、ぶつかってきたり、倒れたりすることもあるそうです。
死傷の恐れもあります。

私は土建の専門家ではありませんからわかりませんが、ビルの倒壊もあるのではないかと心配しています。
日本で初めて超高層ビルを設計した人が、超高層ビルの安全性について、コンピューターシミュレーションの結果だけではわからない、すべての地震を想定したわけではない、実際に地震が来てみないとわからないと述べました。

以来、約40年が過ぎましたが、幸か不幸か、日本では地震で倒壊した超高層ビルがありません。
それで安心したのか近年は超高層ビル建設ラッシュです。

しかし建築研究所の問題提起は素直に受けとめ、日本では超高層ビル建設は抑制的であった方が安全と思います。

それから大きくて高いビルがいいなどという価値観は、従来の価値観の惰性と思います。
超高層ビルは景観としては都市という墓場の巨大な墓石のようです。

利益主義では日本の美が消える

2007年03月07日 | Weblog

熱海市指定有形文化財「起雲閣」

大阪万博は1970年に大阪で開催されました。
当時30歳であった私はこの企画に反対しました。
大きいこと、数が多いことなどを重視する浅薄な価値観を感じたからです。

大阪万博前は、20代の一会社員でも京都に行きますと、日本庭園の内庭がある情緒豊かな旅館に泊まることができました。
内庭の周りを部屋が囲んでおり、宿泊者は美しい内庭を見ながら旅の疲れを癒すことができました。
ところが大阪万博の企画が発表されると、京都の旅館まで、集合住宅のようなホテルに改築されました。
旅館業者が部屋数を確保し、高利益を得たいと思ったからです。
私がよく利用した旅館も数だけこなす集合住宅のようなホテルになりました。
従業員の教育もいい加減で、客の接待の基本もできていませんでした。
悲しい思いをしながらこの旅館の利用をやめました。

また大阪万博に対する反対の意志表示として一度も大阪万博を見に行きませんでした。

上の写真は熱海の起雲閣です。
最初は大正の海運王内田信也の別荘だったそうです。
次の所有者は昭和の鉄道王根津嘉一郎で、彼が今日残っている緑豊かな庭園を整えました。
戦後旅館となり、日本の伝統的な旅館の形である内庭の周りに部屋を設ける配置にしました。
起雲閣は熱海を代表する旅館となり、多くの人々に愛されたそうです。
しかし20世紀の終わりとともに旅館は廃業となり、熱海市指定有形文化財として建物と庭園が公開されました。
この起雲閣を見学した時、私が若い頃よく利用した京都の旅館を思い出しました。

起雲閣のような旅館では経営はむずかしいでしょう。
しかし今熱海に林立する集合住宅のような大きなホテルでも経営はむずかしいでしょう。

利益主義の結果、皮肉にも利益の確保が怪しくなり、その上日本の美が消えました。
現代は、大きいこと、数が多いことを重視する価値観を反省するべき時です。

単なる復古では日本の美の復活は不可能と思います。
利益主義だけでなく、美を追求する心を加えた建物づくり、町づくりを、政府も業者も人々も心がけると、日本は美しい国になるのではないでしょうか。

熱海は滅びる?

2007年03月04日 | Weblog

熱海梅園

熱海梅園に行ってきました。
熱海駅から来宮駅の方に狭い歩道を歩いていくとやがて熱海の町が左手眼下に見えます。
熱海は海から山の斜面にかけてできた町ですから坂道が多く、しかも道は細く、町の散策はそれほど楽しくはありません。

来宮神社に立ち寄って樹齢2000年と言われる楠の巨木を見ました。
半分は枯れてしまっていますが、まだ半分は何とか葉が茂っており、新しい幹が古い幹の外側に発達する形で生き残っている様子がよくわかります。

熱海駅から歩いて30分ぐらいで来宮駅の西側谷部につくられた熱海梅園に着きます。
この辺りも大きな建物が迫っていますが、何とか山の斜面の緑が保全され、地形は素晴らしい所です。
梅は残念ながらほぼ終わりで、多少残っている状態でした。
それでも上の写真のように梅は所々に見ることができました。

有名な梅園だけあってよく手入れされていると思いました。
しかしここでもあれこれ建造物をつくりすぎる傾向が見られ、自然美との調和を失いつつあると思いました。
特に奥の方に作られた韓国庭園は、韓国の美とは思えないものを展示しており、造園の意図が理解できませんでした。

熱海は衰退していると聞きました。
地元の方が、熱海は滅びると嘆いていました。
熱海市の税収が伸びず、町の再開発ができないからでしょう。
ここでも開発は業者任せで業者による乱開発が進んでいると思いました。
その結果がいいはずはありません。

折角、山、谷、海、温泉に恵まれながら、その自然を生かすことができず、大きなホテルや集合住宅が山の斜面を覆って自然を破壊してしまったのは町づくりとしては大失敗だったと思います。

温泉は地から湧いて出ます。
その温泉を、周りに自然なきホテルの中の浴室のようなところで浸かっても温泉を楽しんだ気持ちにはならないでしょう。
露天風呂と言ってもホテルの上にあっては興ざめです。
熱海は、温泉が自然から離れ、ただのお湯になったことでその価値を失ったと思います。