最近故郷(静岡県西部)で中学校3年の同級会が開かれましたので参加しました。
同級生には約50ぶりに会いました。
半分以上の人が故郷またはその周辺で職につき、元気に生きてきたことを知りました。
当時静岡西部では工業が発達しましたから仕事がたくさんあったのでしょう。
現在でも工業はまずまずで、労働力が不足し、ブラジル人などが大勢働いているそうです。
私の記憶では水田、茶畑、山林からなる広大な農業地帯でしたが今は工場や住宅がこれらの地帯を侵食していました。
それでも全体から見ると緑が多く、都市部から来た私には心和む風景でした。
同級会の後、同級生の家に泊めていただきましたが、その家は水田と茶畑に囲まれた所にあり、田園そのままでした。
上の写真は付近を流れる小川にかかった橋の欄干に掲げられた方言で書かれた標語です。
堤防の則(のり)面の草刈などは住人が協力して行います。
堤防の上の道や農道の脇には花や木が植えられており、美しい田園を維持しようとする住人の心意気が伝わってきます。
同級生と田園を散歩しましたが、行き会った人はみんな挨拶をします。
そしてちょっと会話を交わします。
私も旧知のあいだであったかのように会話に入ることができました。
戦後日本は工業で経済成長しました。
しかし工業が世界に分散する中、日本の工業は縮小の時代に入りました。
すでにサービス産業も知的生産もかなりの発達水準にあります。
今後は、ちょっと軽視されてきた農林水産業を重視し、各産業の釣合いを見直すべき時と思います。
虫に食われたように工場などに侵食された農業地帯を本格的な農業地帯として再生するような国土開発が必要と思います。
週日は工場で、土日に農地で働くという中途半端な形ではなく、農業を専門とし、農業技術開発も行うような農業経営を目標とすべきと思います。