ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

政府にかねをあげたくない

2008年03月31日 | Weblog

横浜みなとみらい21 無機質です。未来は明るいか暗いか、そこから声が聞こえて来ません。

ガソリン税などの暫定分を下げることに賛成です。
現在の政府の無駄使いを正すには、納税を減らす、政府に貸さないの二つの行為が必要と考えるからです。
暫定税を維持し、道路特定財源から一般財源にするという案は政府合理化に役立ちません。
平然と無駄使いを続ける政府に気前よくかねをあげるような馬鹿なことをしてはならないと思います。

政府職員といえどもちゃんと定年まで政府で働くべきです。
後輩が上位の役職についてもそれはその人の役割と理解すべきです。
後輩もそのように考え先輩を自分の下で使うことを遠慮してはいけません。
そのような職場環境に耐えられないと言うならそれこそ自己責任で定年前に転職するべきです。
その自信がないなら文句を言わずまじめに定年まで働くべきです。

政府の外郭団体などに天下った政府職員が政府の定年に準じて退職するならまだしも老人になっても高給をもらい続け、次の職場に移るときは高額の退職金をもらい、そして次の職場で同じことを繰り返していることは言語道断です。
政府は外郭団体を解体するという基本方針で自分の合理化を進めるべきです。
補助金として外郭団体に支払う政府のかねは膨大だからです。
暫定税収より多いと思います。

このような決心ができない政府を人々は支持してはいけないと思います。
福田康夫総理の言動を観察すると、彼は政府合理化の意欲を持っていないと思います。
反対に増税で政府サービスを改善できると考えているようです。
甘すぎます。

現政府を支える自民党・公明党は腐敗しています。
今の日本、政治担当政党を代えるという手法を実験した方がいいと思います。

庭づくり

2008年03月27日 | Weblog

パイプが見苦しいですが、道路と庭の境に土留めのブロックなどを使っていませんので地被類の草が覆って土が流れなくなるまで地形維持のために使っています。

私の庭づくりは、高価な木や石などを入れませんので至って経済的です。
経済横這いか縮小のこれからの時代にはちょうどいいと思っています。

町の住環境改善などと大きいことを考えるとなかなか思うようになりませんが、道路と自分の家の間の空間を美しくするぐらいなら自分でもできます。
す。
道行く人にも見える庭は、ちょっぴり町の住環境改善になっていると思います。

私が赤土の庭でどうしようどうしょうと考えながら庭仕事をしていると、道行く人が声をかけてくれて、どんな庭になるか楽しみですなどと言ってくれます。
密集した住宅街では恐らくちょっと空間があることが気持がいいのではないかと思います。

チベットはどうなったのか

2008年03月23日 | Weblog


チベットがチベット仏教政治の時代は社会変化が緩やかで生活水準の向上も緩やかだったでしょう。
人々はチベット仏教で精神的にも制度的にも統制されていました。

1950年中国政府は戦争でチベットを中国に吸収しました。
そのとき中国政府は解放という言葉を使いました。
しかしチベットでは共産主義政治が強制的に行われ、社会は、大きく変化し、混乱状態に陥りました。
抵抗する僧や信者は迫害され、差別されたり、投獄されたり、殺されたり、逃げたりしました。
中国政府に従った人々も社会混乱のため生活水準が下がったでしょう。

チベット人の反乱を防ぐため中国政府はチベットの経済拡大を企画し、中国人を植民したり、投資したりしていろいろな経済活動をやりました。
その結果、チベット人の生活水準は向上したでしょう。
しかし、チベット人は主体性を失いチベットが中国人によって荒らされたという感情を持ったでしょう。
チベットの中国化はチベット人の反中国感情を高めたでしょう。

寺や僧や信者は、反中国でないことを条件にチベット仏教を認められたようですが、その結果チベット仏教には昔の権威はなくなったでしょう。
観光の対象になってしまったと言ってもいい面があります。
チベット仏教を重んじてきた僧や信者は耐えがたい屈辱を感じたでしょう。

伝統的なチベット仏教や慣習が否定され、唯物的な共産主義を強制されて精神はすさんだでしょう。
中国政府との戦争や対立によって安定した静的精神状態から戦闘的動的な荒々しい精神状態になったでしょう。

こうして今回の暴動も発生したのだと思います。
中国政府は軍と警察を使って独立運動や反政府運動を断固取り締まる方針です。
チベットはチベット人にとってはもちろん、移住した中国人にとっても不安な地方になってしまいました。
中国政府はいまだに政治の目的も方法もわかっていない政府だと思います。

最後だけでも美しくあれ

2008年03月20日 | Weblog


このままで行くと福田康夫内閣は無能内閣として非常に低い歴史的評価を受けることになります。
参議院は野党の方が議席が多いという事実を正しく認識することができず、衆議院が与党の議席が圧倒的に多いことを利用して従来どおり与党の思うように政治ができると思い、野党にもわかってもらえると思うとか、野党が何を考えているかわからないとか、野党は反対を政争の具に使っているとか、愚かな言い方を続けています。

福田総理は誰が参議院を変えたか全く認識していません。
もし彼が国民が変えたことを理解していたら、国民は衆議院をどうしたいと考えているかと考えたと思います。

今でも遅くはありませんから、衆議院を解散した方がいいと思います。
総選挙は来年と言っていますと、政治の混乱がさらに1年以上も続き、政府の腐敗がどんどん進みます。
福田総理は衆議院を解散することで最後だけでも美を飾ってもらいたいものです。
まずは衆議院を作り直さないと政治の混乱はおさまりません。

切って捨てるな

2008年03月17日 | Weblog


林業は長期計画を要する産業です。
最近の金融業感覚で事業はできません。
不動産投機に失敗すると次は貴金属投機というような訳にはいきません。

ある山間部の村に行き、自治会長に、村の10年後はどうなっているでしょうかと質問してみました。
すると自治会長は、淋しそうな顔をして「俺はもういないな」と言いました。
村の人口はどんどん減り、今では老人だけだそうです。
そこに立派な林道があり美しい杉林があっても採算性がないそうです。
実質林業をやっている人は一人もいないそうです。
地方政府から道路工事などの仕事があると働き、補助金が出ると森林管理をやっているそうです。
山の斜面を畑にして作物を栽培し、自家消費して生活を補っているそうです。

別の村人とお話しをしました。
何とか木工を商品にして売りたいと思い、いろいろなものを試作してきたそうです。
彼の工房をみました。
孤軍奮闘していると思いました。
村はなかなかものをつくって売るという考えにならないと嘆いていました。
丸木を売ることを考えるが、製材や木工の考えがないそうです。
丸木が売れないから村には産業がないということになります。

しかし中央・地方政府の林業政策に絶望しながらも、林業の復活を心の奥底に秘めている老人の気持を感じました。
中央政府は第三次産業を重視していますが、当面苦しくても経済は第二次産業の維持と第一次産業の復興が重要と思います。

第三次産業は末期になりますと生活に必要なものの流通ではなく投機が盛んになります。
投機でかねをいくら儲けても生活に必要なものがなかったらかねは無価値です。
農業はもちろんですが林業(木)も切って捨ててはいけません。

政府の基盤崩壊

2008年03月12日 | Weblog


情況が大きく変化しているとき政治が混乱しているのは非常に危険です。
現在の衆議院は郵政民営化を問題にして選挙が行われた結果です。
その後の参議院選挙で自民党・公明党の政治に厳しい批判があったことから判断してこの衆議院で現代の問題を検討しようとすることは無理です。

自民党・公明党は、自分を正しいとせず、野党の考えを取り入れるか、衆議院解散を受け入れるべきです。
自民党・公明党に対する国民の支持率が30%程度しかないことを認識すべきです。

福田康夫内閣の本来の仕事は衆議院を解散することでした。
ところが判断を誤り、解散のタイミングを失い、国会会期を延長し、参議院で否決された案件を衆議院で再議決して自分の考えを押し通したりして、自民党・公明党の議席2/3以上の現衆議院を悪用しています。
これは民主主義日本の政治ではやってはならないことです。

常識を失った福田内閣、自民党・公明党の乱れた政治が続けば続くほど、政府の腐敗が進み、そのサービスは劣化していきます。
国民の政治不信も深まります。
国民は、税金を払いたくない、各種保険料を払いたくないという思いを強めています。
大赤字の政府にとって致命的です。
これは政府の基盤崩壊を意味します。

みなとみらい21

2008年03月09日 | Weblog
昨日横浜みなとみらい21地区を散策しました。
日差しは暖かでしたが、風は冷たく感じました。

空間が減り、一段と高層ビルの町になったと思います。
横浜美術館は高層ビルの中に埋没しました。
港の未来の美を追求したのではなく、経済主義の結果、なるようになったという感じがします。
この町を背にし(見ないようにし)、広々した横浜港や水路を見ると何かほっとします。

人の命がよみがえる条件は何か

2008年03月06日 | Weblog


横浜ですが、3月になると一気に庭に命がよみがえってきました。
未整備の庭は赤土だけと思っていましたが、あっと言う間に緑が目立ち始めました。
植え込んだことをすっかり忘れていた球根も芽が赤土を突き破って出て来ました。

春が草木に元気を与え、草木が庭を彩るように、人間に元気を与え、人間が町を美しくするようになる条件はいったい何でしょうか。

草木は与えられた命の力の範囲で精一杯生きようとしており、春が来たということでその力を十分に発揮します。
人間のように生活の心配をすることはないでしょう。

人間は、不景気だ、仕事が思うようにいかない、収入が少ない、人間関係が悪いなどといろいろな生活の心配をして、折角与えられた人の命の力を十分発揮できていないかもしれません。
まず生活の心配をやめ、人の命を信じてその力を十分発揮すると、生活が安定し、町のことを考える心のゆとりが生じるかもしれません。

昔の僧は貧乏であったと思いますが、信仰心厚く、生活の心配はあまりしなかったと思います。
建物は質素であっても庭に自然美を凝縮し、彼らは建物と庭を調和させ、自然との一体感を楽しんだと思います。
心が平安であることを無上の喜びとしたと思います。

都市は経済的に豊かですが、およそ町は美しいと言えません。
地方は貧乏と言いますが、人々は庭や路地を草木で飾っており、町全体が持つ雰囲気は落着きがあり、美しいと感じます。

その地方も、あんまり、経済だ、中央政府からの補助金だ、観光事業だ、道路建設だ、原発誘致だ、放射性廃棄物処理場誘致だ、基地容認だ、などと生活の心配をして騒いでいると町は急速に美しさを失い、下手をするともっと生活の心配が増えてしまうかもしれません。

改善されない住宅

2008年03月03日 | Weblog


私が住んでいる町のはずれに築約30年のアパートがありました。
非常に貧相な住宅で、誰かが住んでいる感じがしませんでした。
アパート経営者は十分収益を上げることができたでしょうか。
自分がつくったアパートなのに貧相すぎて見るのも嫌だったと思います。

アパート経営者はとうとうアパートを撤去し、土地を売りに出しました。
すると売りに出たその日のうちに不動産会社が買い、土地を細分化し、庭なし総二階の木造建売住宅の建設を始めました。
隣地境界線から壁までの距離は民法で許されているぎりぎりの幅です。
塔のような住宅が密集しています。

現代の若い人が買える値段にするためには住宅水準などどうでもいいという考えだと思います。
しかし30年後にはどのような住宅になっているでしょうか。
自分が買った住宅なのに貧相すぎて見るのも嫌になりそのまま住んでいるかは疑問です。
貸すか売るかすると思いますが、住宅は貧相だし、土地は小さいですから貸しにくい、あるいは売りにくい不動産になっていると思います。

最近火事が発生すると延焼し、数軒が燃えて鎮火したというニュースがよく流れています。
庭なし総二階の木造住宅密集地は延焼を防ぐことがむずかしくなります。

建築基準法の改正で建築の構造や建材の安全確認手続きが面倒になりましたが、町の問題点である、住宅と周りの空間の釣り合い、隣地境界線から壁までの距離などを見直した住宅基準の改善は全然行われていません。
日本は住文化水準が相変わらず非常に低いと思います。