住んでよかったと思う町にしよう

観光旅行に行くのに自分の町を美しくすると考えません。よく考えると大半の時間を過ごす自分の町の美化が重要ですね。まちびと

町では町の美を追求する心を

2006年06月30日 | Weblog


美しい町があったら写真で紹介したいと思い、外出するときはデジカメを持っていくのですが、なかなか感動した景観がありません。
緑と空間と奥行きと住宅が調和した景観に出会って一応写真を撮るのですが、電柱と電線が幾重にも重なって写ってしまいます。

トリミングで電柱と電線を除くと町の写真にはなりません。

私達は悪い景観を見慣れているため町では美しい景観を求めなくなっているかもしれません。
しかし町は人工的であっても町では町の美を追求する心を持ちたいものです。
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老人だって住宅や町を楽しまなければ

2006年06月27日 | Weblog


ある不動産会社のちらしを読んでいたら次のようなことが書いてありました。

老人は住宅について次のように考える。
戸建について、
1. 庭の手入れが面倒。
2. 維持にお金をかけるのはもったいない。
3. 毎日の雨戸の開け閉めが大変。
4. 防犯が心配。

集合住宅について
1. 鍵一本で戸締りができる。
2. 便利で快適。

私は老人ですが、住宅については次のように思っています。
戸建について
1. 草木が好きで庭の手入れが楽しみ。
2. 維持は近所のなじみの工務店に依頼しているが、それほどお金をかけていない。
3. 毎日の雨戸の開け閉めは運動。
4. 防犯より窓を広々と開けて庭との一体感を楽しむの好き。
5. 孫達が喜んで遊びに来る。
6. 訪問客が来るし、庭にいると道行く人々が声をかけてくれ、立ち話や付き合いが楽しい。
7. 土地に資産価値があり、高く売れる。
8. リフォーム、建て替え、建て増しなど自由。

集合住宅について
1. 住宅が画一的でつまらない。
2. 集合住宅の入り口から階段、エレベータ、廊下などがあり、自分の住宅の入り口までが遠くつまらなくかつ不安。
3. 玄関を閉めると隔離されたような孤立感がある。
4. 狭い無機質な空間でやることがなく息苦しい。
5. 管理費、修繕積立金、駐車場使用料などを合わせると高いお金がかかりもったいない。
6. 訪問客がないし、孫達が来ても喜ばない。
7. 売ろうと思っても資産価値がなく、高く売れない。
8. 建て増しはもちろん、リフォーム、建て替えなど勝手にできない。

集合住宅は老人向きではないと思います。
不動産会社の発想は集合住宅を売らんかなの発想で、老人を病院や施設に入れる感覚です。
思いやりがないと思います。

老人だって住宅や町を楽しまなければ。
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まだ住む人が甘い

2006年06月24日 | Weblog


日本の自動車は、買う人が厳しいから世界最高の車になったそうです。
日本のサッカーチームは、サポーターが甘いから上手にならないそうです。

とすると日本の住宅や町の質が上がらないのは、住む人が甘いからではないでしょうか。

この程度でも人々はお金を払うと思えば、業者はその程度のものしかつくりません。
政府だって住宅や町の水準を上げようとしないでしょう。
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高層集合住宅はよく考えた方がいい

2006年06月21日 | Weblog

横浜の舞岡公園 都市部には珍しい緑が多い広大な自然公園です。
しかし、残念なことにどんどん古木が切り倒され、庭園化が進んでいます。
横浜市は鳥獣保護と言っていますが、反対ではないでしょうか。

経済性、利便性が強調され、高層集合住宅ブームになっていますが、ブレーキをかけた方がいいのではないでしょうか。
本当に日本向きのいい住宅かはもっと時間をかけて検証すべきです。

耐震性については建築基準をクリアしていても安全かどうかはわかりません。
地震国日本では基準や技術過信は禁物ではないでしょうか。

今エレベータの安全が問題になっていますが、技術のかたまりになってきた高層集合住宅の機能維持、安全性維持は一段とむずかしくなっていると思います。

地に足がついていないとか、高所恐怖症という言葉がありますが、大昔木から下りて地上生活に慣れてしまった人間が、本当に高所生活に慣れるでしょうか。
身近に草木がないか、少ない無機的な生活空間ですが、心が落ち着くでしょうか。
地上に行くのに時間がかかりますが、隔離されているという感覚は悪影響がないでしょうか。

よくヨーロッパ人は、高層ではありませんが、古い集合住宅を上手に使っていると言われています。
しかし集合住宅での彼らの生活実態はよく研究してみる必要があると思います。
そこに高層という条件を加えて数十年後の高層集合住宅での生活を想像してみるといいと思います。

高層集合住宅は、周りの低層住宅に住む人にとって不愉快な存在です。
それだけでなく、高層集合住宅に住む人にとっても実は安心できる住宅ではないかもしれません。
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町の住環境保全にはそれ相応の法律が必要

2006年06月18日 | Weblog


今住環境がいい町に住んでいる人は、隣地境界線から50cmのところに壁があるような住宅の建設はよくないと言います。

それでは宅地を売るとき所有者はどのように考えるでしょうか。
これからの自分のことを考え、できるだけ高く売りたいと考えます。
そこで高く買ってくれる不動産業者がいるなら、その宅地が細分化されようがどうなろうが気にしないと言う人が大勢います。

こうして今住環境がいい町に住んでいる人々と、新しく建売住宅などを建設する不動産業者らの間で争いが多発しています。

中央政府や地方政府は概して不動産業者らに味方をしてきました。
住宅需要に答えることを重視したからでしょう。
したがって法律を厳しくすることには消極的でした。

その結果、政府は一方で町の住環境は重要と言いながら、町の住環境の悪化は放置するという矛盾を犯してきました。

過密住宅地は危険です。
10年ぐらい前に大地震で大変な被害を受けた神戸市のテレビ映像を覚えていない人はいないでしょう。
そこで数千人の人が死にました。
悪いことに火事が起こり、延焼したからです。

でもひとごとのように軽く考えている人がほとんどでしょう。
殊勝にも、大地震が来たら運命と思って諦めますと言います。
そんな悟った人はいるはずがないのにです。

個人も業者も政府も、矛盾、欺瞞に満ち満ちています。
延焼の恐れを下げるためにはせめて隣地境界線から1m以上離して住宅を建設すべきです。
そうすれば住宅と住宅は2m以上離れることになります。
空間があり、ちょっと草木を植えることもできるでしょう。

町の住環境保全にはそれ相応の厳しい法律とその遵守が必要です。
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ゴミの集積場問題

2006年06月15日 | Weblog


各国のゴミの量に関するデータは政府が把握することができたデータか、民間調査機関が推定したデータしかないので誤差が非常に大きくて国の比較がむずかしいのですが、大雑把に言えばロシアとアメリカという非常に多いグループと、ヨーロッパ諸国、日本などの多いグループと、貧困国の少ないグループに分かれると思います。

ゴミの中で多いものは、紙、生ゴミ、プラスチックです。

非常に多いグループは1トン/人・年です。
ロシアやアメリカはゴミ捨て場が広大で、大量にゴミを出すことに抵抗がないのでしょう。
町は何とかきれいにしているかもしれませんが、ゴミ捨て場はものすごい状態になっているでしょう。
ロシアやアメリカは環境に対する配慮がない国として批判されています。

多いグループは、0.5トン/人・年です。
スペイン、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、日本などはこのグループです。
非常に多くないのは、広大なゴミ捨て場がないので、廃棄物を減らしたいという思いが作動しているからでしょう。
それでも多いですから、まずは半分ぐらいに減らす工夫と努力が必要でしょう。

少ないグループは生ゴミが多いと思いますが、その生ゴミも少ないでしょう。

ゴミが多いと問題になるのが町のゴミの集積場です。
私が住んでいる町ではちゃんとした集積場がありません。
そこで道路に集積場を設けています。
ゴミ収集車が来るまで道路の脇にポリバケツが並んでいたり、ビニール袋が山積みになっています。

生ゴミはビニール袋に入れ、さらにポリバケツに入れて出すことになっていますが、それでも腐敗臭が集積場に漂います。
ビニール袋だけで出す人は後をたたず、時々、生ゴミが路面に散らかっています。

このゴミ集積場問題は従来の都市計画から全く抜け落ちていた部分で、今となっては打つ手もなく、町の美観を悪くしているだけでなく、集積場の近くの家の住人の苦悩の種になっています。
抜け落ちていたということは、昔はゴミの量が少なく、また空き地があったりして、集積場があまり問題にならなかったのでしょう。
住宅が密集すればするほど集積場問題は深刻になります。
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美しい景観例、悪い景観例

2006年06月12日 | Weblog


最近美しい景観を創る会が悪い景観100景(現在70まで発表)を発表しました。
日本人は観光が大好きですが、確かに身近な悪い景観については鈍感です。
自分の住宅やその周りの町が美しくないからどこかに観光に行って心を癒す面があるかもしれません。

この会が主張しているように、まず悪い景観例を写真で見て、身近な町の美を軽視していることをしっかりと認識することは美しい景観をつくる出発点でしょう。

土地が細分化されて個人が所有している、個人には個人の生活の都合や心配がある、個人の自由を制限すると個人の生活力が失われる、・・・。

法律で美しい景観を個人に強制することはいろいろと問題があります。
その法律で誰かが生活できないなどとなると本末転倒です。

しかし日本人に共通の美意識があることは明白です。
美意識とは、祖先が気が遠くなるような年月日本で生活してきたことによって発達してきた精神に染み付いたようなものですから全くばらばらということはありません。
そしてこの共通美は日本人の生活にとって重要な価値と思います。
美しいものを見ると感動するからです。

したがって人々が美しい町という問題意識を持てば、やがて町に関する共通の美意識を持つことができ、みんなが協力し、工夫し、努力し、美しい町を実現できるのではないかと思います。

できるだけ多くの人々が、これは悪い景観だ、あれは美しい景観だと写真をインターネット上に公開して、人々の美意識を刺激することは望ましいことと思います。

しかし悪い景観例として写真を発表するとその中の建造物などに関係ある人が怒る恐れがあります。
美観は人によって違いがある、勝手に悪いと決め付けるのは人権侵害だ、と怒る人がいるかもしれません。
そこで悪い景観例は個人が同定できないように工夫して写した写真がいいでしょう。
会社の建造物などはちょっと微妙ですが、政府の建造物などは批判されてもしょうがないでしょう。
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アンテナの次は電柱

2006年06月09日 | Weblog


屋根の上のアンテナがやっと少しずつ消えています。
CATVの普及のおかげでしょう。

ところが今度は電柱に張られている線がどんどん増えています。
電線、電話線、同軸ケーブル、そして近年は光ケーブルが張られています。
今日も近くの電柱で工事をやっている人がいましたので、光ケーブルですかと聞くと、「そうです。契約者が増えて足りなくなったので増設しています」とのことでした。

電柱はコンクリート柱で強度は十分実験済みと思いますが、それでも台風や地震で倒れる恐れは大きいと思います。
私の町では台風でコンクリート柱が数本並んで倒れ、住宅に寄りかかってしまったことがあります。
張られる線の数が増えるほど台風や地震に弱くなると思います。

この安全性のほかに大きな問題は美観です。
アンテナもみにくいですが、電柱と線も劣らずみにくいものです。

共同溝という技術があります。
自治体は、しっかりした都市計画をつくらないとなかなか共同溝建設の決断ができないでしょう。

普及しないのはコストが高いからでしょう。
しかし現代の土建技術の発達を見ると、やってやれない技術ではないでしょう。
電柱をなくしたいと思っていると、共同溝技術の進歩普及が加速するのではないでしょうか。
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建築協定運営委員会、方針変更

2006年06月06日 | Weblog


私が住んでいる町のお話しですが、建築協定に入らない人が悪いと言い張ってきた建築協定運営委員会ですが、やっと建築協定の限界を知り、町内会に地区計画など別の方法を検討するように提言しました。
今年の1月にはまだ町内会の無力を批判し、町の住環境問題は委員会が建築協定で守ると言っていましたので大変な方針変更です。

町内会が町の住環境問題を考える条件はやっとそろってきました。
次の問題は町内会がしっかりとこの問題を受けとめることができるかどうかです。

現在の町内会長は、町の住環境が大切という意識は持っていますが、おとなしい人で町の人々をまとめることは消極的です。
私も数回会いましたが、町の住環境問題は委員会に任せてあるという言い方をして町内会の問題であるという認識を示しませんでした。
最近は4月にも会いましたが、建築基準法や民法に違反しなければいいと主張する人もいるので町の基準をつくるのはいかがなものかなどと気の入らない言い方をしていました。
今回委員会から町内会で検討するように提言を受け、町内会長は苦悩しているかもしれません。

一番いけないのは町内会長が面倒がって一存でこの問題を放置することです。
役員会も突然降って湧いたような大問題に頭が固まってしまうかもしれません。

町には住環境問題に関心を持っている人が大勢います。
現在の役員がこの問題を取り扱うのは仕事が増えて大変です。
そこで別に住環境問題検討会を設け、各班から新たに代表を出してもらうというやり方なら実行可能です。

反対者がいても、町民主主義の考えで決定しなければならない問題もあるということを町内会長に理解してもらいたいと思っています。
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私達の要求が低すぎる

2006年06月03日 | Weblog


約40年前私が結婚して初めて住んだ住宅はマンションと名がついた鉄筋コンクリート製のアパートでした。
家の広さを犠牲にし、日当たりと新しさを重視しました。
普通の畳より一回り小さい団地サイズの6畳と4畳半の和室二間と小さなキッチンセットがついた住宅でした。

妻の友人達がお祝いに来てくれましたが、部屋を見て、笑いながら、重なって寝るしか方法がないわねと言いました。
冗談ではなく、本当にそうでした。

太った先輩が遊びに来てくれました。
玄関のドアを開けて中を見るなり、これは入れないなと言って帰ってしまいました。

私達は最初は我慢していましたが、すぐアパート経営者に怒りを感じるようになりました。

契約を更新することなく、次は普通サイズの畳の6畳二間、4畳半の台所を持った鉄筋コンクリート製のアパートに引っ越しました。
今度は新しさを犠牲にし、日当たりと広さを重視しました。
しかし鉄製の窓枠が錆びて窓が閉まらない、台所にゴキブリが多い、壁がカビだらけということで、とても住み続ける家ではないと思いました。

当時は本当にひどい住宅事情でした。

それでは約40年たった現代はどうでしょうか。
アパートの質の悪さは全然変わっていません。
日当たりなどは昔よりはるかに悪くなっていると思います。
アパート経営者に怒りを感じている居住者は多いでしょう。

先日住宅基本法に関する国会の委員会で北側一雄国土交通大臣がした答弁をインターネットで聞きました。
数ではなく、質に重点を移したい、周りの住環境も住宅にとって重要な条件なので重視したいと言っていました。
えっ、今頃と思いました。
経済大国と呼ばれて久しい日本で国交相がこの程度の言い方しかできないのが日本の現実です。

何が問題だったでしょうか。
私達の住宅意識が貧困ではなかったでしょうか。
貧乏のためいい住宅に住むことはできないという諦観が変わることなく現代まで続いて来てしまいました。
都市部に人口が集中する傾向が続き、住宅がないという切迫感に負け、いい住宅に住むという価値観を二の次にしてきました。
その結果まともな住宅産業が育ちませんでした。
政府も住宅産業を放置しました。

私達が、住みにくい住宅を否定し、住みやすい住宅を強く求めるようにならないと、政府も住宅産業も住宅改善に動き出さないと思います。

出生率が低下し、人口が減り始めたのは、日本の住宅事情の悪さに対する抗議かもしれません。
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