ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

庭が持つ効果を考え直そう

2006年05月31日 | Weblog


現代人は経済重視で庭の効果をあまり考えなくなっています。
事務所や工場はまず庭がありません。
しかし庭がないため、お昼休みなど居場所に困った経験を持っている人は多いでしょう。

料亭、レストランなどは庭なしが増えています。
これらは落ち着いた内装であっても何か物足りません。
やはり庭があるところはくつろげます。

庭なしが都市部では住宅にまで普通になりつつあるのは問題ではないでしょうか。
現代人は心から美に関する感性を追い出しているような気がしてなりません。
心まで美しさを失ったら大変です。

庭は人工的ですが、大昔から先祖が見慣れた風景を小さくして美の形として残しています。
庭は都市部に生きる人間の知恵と思います。
仕事空間でも生活空間でも庭が持つ効果を考え直してみる必要があると思います。

囲いのない家

2006年05月28日 | Weblog


私の家づくりは、
1. まず何とか土地を買い、
2. 次に何とか家を建てた
という感じでした。
どちらも当時としてはいつ返済が終わるかわからないような借金をしました。

土地に家が建っているだけという状態が10年ぐらい続きました。
木は少しずつ植えました。

30年以上たちましたが、とうとう囲いはつくりませんでした。
したがって門扉もありません。

角地ですので2面道路に面しています。
1面は隣家が4面に囲いをつくりましたので囲いがある形になっています。
もう1面は、隣家の方が面白い人で、3面を囲いで囲っているのに何故か私の土地との境界には囲いをつくりませんでした。
私は広がりを感じて気持ちがいいので囲いがないことに何の抵抗もありません。
隣家の方も抵抗がないようで、もう20年ぐらいになりますが、一向に囲いをつくる気配がありません。

道路に面している2面は植えた木が何となく生垣のような感じになっています。
しかしいろいろな木が植わっていますから通常の生垣とは全然雰囲気が違います。
木と木の間や前には草花を植えています。

ときどき道行く人が立ち止まって、囲いがない、緑に囲まれた家っていい雰囲気だと言ってくれます。
庭師も来ますが、哲学を感じるなんていいことを言ってくれます。
私の場合はお金がなかったから囲いをつくらなかっただけですが、今ではすっかり気にいっています。

私が住んでいる町では囲いがない家が結構あります。
貧乏だからではないようです。
しゃれた土留がしてありますからわかります。
住んでいる方は草木が大好きのようで、よく庭を手入れしています。
そして散歩をする人の目を楽しませてくれます。

総合的に見てこの町は美しいということで、横浜からはもちろん、何と千葉県など県外の人までグループで散策に来るほどです。

最近空き巣が多く、囲いがない家は危ないという人もいますが、石のブロック塀でしっかりと囲まれたある家は何とこれまでに三度も空き巣に入られました。
警察の説明では、ブロック塀があって誰も気付かないから空き巣狙いが安心して家に侵入するのではないかとのことでした。
町の美観を悪くしている上、地震の時には道行く人が危険とか、庭の風通しが悪いとか、その上空き巣に会うのではブロック塀はいいところがありません。

無計画に破壊的に建設

2006年05月25日 | Weblog


都市計画とは、都市生活に必要とされる区画、住居、街路、交通、衛生、経済、文化などに関する秩序を維持、改良する計画のことを言います。

ところで私が住んでいる横浜は、市民は都市計画税を取られてきましたが、都市計画があったという実感はほとんどありません。
臨海部再開発計画と主要幹線道路計画とその建設でここ30年は終わってしまったと言えるでしょう。
衛生は頑張ったと思いますが、普通の町の区画、住居、街路、交通、経済、文化などはなるようになったというのが実情です。

急速に人口が増加したため急いで間に合わせる感じで市は対応したので、都市計画どころではなかったのでしょう。
変な表現ですが、今も無計画に破壊的に建設が進んでいるのが横浜だと思います。

横浜市は、広すぎて各区、各町のことまで考えることができない状態ではないでしょうか。
区は自治体ではありませんから市の命令で動き、仕事は事務的です。
区の特長を出そうとは考えません。

しかし市民の間で区議会をつくれとか、区長選挙をやれという声はあまり強くありません。
横浜は均質な一都市として平面的に広がったため区や町の特長がまだ出せないでいるのでしょう。
恐らく新しい住人が多く、とりあえず住む家があるということで満足し、町をどうしようとか、区をどうしようなどと考える段階に達していないのでしょう。

私も東京から移住して横浜にすでに30年も生活しているのに、横浜がわからず、なかなか市民感覚が出ません。
町の自治とか区の自治についてより深く考えることができるようになりたいと思っています。

今の山間部の集落の姿は未来の都市部の住宅地の姿

2006年05月23日 | Weblog


22日に東京都の山間部のある集落に行きました。
若い人々は都市部へ出て行くので集落に残っている人はほとんど老人だそうです。
人口がどんどん減るので空き家になって放置されている家が増えています。
すでに人が住めなくなり、廃墟のようになった家が目立ちます。
木造はまだ処分しやすいと思いますが、鉄筋コンクリート造はなかなか処分されないでいつまでも残るでしょう。
家の周りも荒れ放題で何とも言えない物悲しさを感じます。
集落に美しさなんてありません。
地方自治体が買い上げて処分すればいいと言っても地方自治体にはそのようなお金がないでしょう。

今後の人口減少は、都市部の住宅地にも大きな影響を与えると思います。
都市部の住宅地でも数十年後には山間部の集落と同じことが起こるのではないでしょうか。
住宅密集地や集合住宅で空き家が増えた状態を想像してみてください。
荒れ放題になった家が存在するだけで町全体の美しさが損なわれるでしょう。
人が住まなくなった家が、処分されないままいつまでも残り、その周りも荒れ放題となり、危険な状態で放置されるのではないかと心配です。

無計画に建設された住宅群からなる町は、再開発が容易ではないでしょう。
将来の町の姿を想像し、水準が低すぎる建築基準法や民法でよしとせず、独自の条例を制定しないと、地方自治体は、町を美しくするどころか、町の安全も維持できず、住みにくい町に苦悩することになるでしょう。

反対の人がいますから

2006年05月19日 | Weblog


「反対する人がいますから・・・。」
これは私達の町の町内会長の口癖です。
少数派を大切にする心の持ち主と思います。

しかし町の単位になりますといろいろな考えの人がいますから、全員一致ということはありえません。
したがってこの町内会長の考えですと、町が決定できることは非常に限られます。

町でも町民主主義の考えが必要ではないでしょうか。
応用は重要な問題に限定し多用しない方がいいと思いますが、大いに議論した後、町の住人による多数決という決定の仕方はあっていいと思います。

このように町の自治性が高まると面白いのですが、都市部では住人の町意識が乏しいという弱点があります。
町内会長や役員はプロではないと言って政治的になることを嫌がるでしょう。

ボランティアグループが町内会に協力するか、町内会がボランティアグループを組織の中に組み入れるようにすると、町内会の自治機能を向上させることができると思います。
町内会長は、グループを制御しなければならないのは面倒と思うでしょう。
しかし町内会が政治的にならないと解決が容易ではない町の問題は結構多いと思います。

(注)たとえば都市部の町の防災ですが、町内会の動きが鈍いからでしょうか、防災ボランティアグループが頑張っている場合があります。
しかし実際に災害が生じたときグループの活動で大丈夫かという不安があります。
町内会とグループが密接に連携して消防署や町の人々に働きかけていると、いざという時大きな力になるでしょう。

集合住宅は日本に向いているか

2006年05月16日 | Weblog


近年集合住宅がよく売れています。
相変わらず都市の中心に職場が集中しているからでしょう。
比較的買いやすい価格と駅に近いことで人気があるのでしょう。
庭のある住宅は、高く、遠くなってしまったからでしょう。

しかし集合住宅に将来性があるかどうかは疑問です。
将来性なき集合住宅建設には貸さないという貸し出し基準を明確にしている金融機関がありますが、本当に将来性を評価できているかは疑問です。
つきつめれば、金融機関が利益が出ればいい、損しなければいいという貸し出し基準でしょう。

集合住宅の中には建物は低層に押さえ、空間を広く取って草木を植え、毎日管理会社が建物や空間のメンテをやっている高級集合住宅があります。
私もこのような集合住宅ならいいかなとときどき思います。

しかし高級であろうとなかろうと集合住宅の問題点は、人が永住したいと思うかということと、老朽化したときの修理や再建のむずかしさと、長い目で見て本当に経済性があるかどうかということだと思います。
私は集合住宅は今は高級であってもやがて安アパートになると予測しています。

庭がない戸建住宅の密集地も問題ですが、集合住宅も問題があると思います。

今後人口が減ると予測されています。
集合住宅慣れするより、庭がある戸建住宅が日本の標準と考えていた方が賢明と思うのですがいかがでしょうか。
その方が長期的に見てかねの使い方として有益と思うのですがいかがでしょうか。

衣食住の中で日本は住が一番遅れてしまいました。
いつまでも貧乏ですからと言い訳を言わないで、これではいけないという問題意識を持つことが重要と思います。

民主主義と言うが、民主主義ではない

2006年05月13日 | Weblog


日本は民主主義と言いますが、民主主義を認識している国民は何%ぐらいいるでしょうか。
政治のことはわからないとか、関心がないという人が半分以上ではないでしょうか。
言いたいことがあるが、政府に言ってもどうにもならない、言って嫌な思いをするより黙っていた方がいいと思っている人が多いのではないでしょうか。
中には、不言実行、政府にわからないようにやりたいことをやった方がいいと思っている人もいるでしょう。

政府には、政府がやりたいことをやるか、やりたくないことはやらない傾向があります。
したがって政府は民主主義を守らない場合が多いと考えた方がいいと思います。
つまり民主主義とは、人々が守らなければ守れないものだと思います。
もっと言いますと、民主主義を守るには人々の側に非常な努力がいると思います。

町の問題も同じだと思います。
町のことはわからないとか、関心がないという人がほとんどであり、そのことをいいことにして町内会長が、自分の意向で町の問題を放置したり、適当に処理することが多いのではないでしょうか。

個人が民主主義を認識しないため、身近な町の問題すら民主的に処理することが行なわれていないと思います。
こうして町内会は地方政府の下部機構として利用されるだけになり、町内会の役員はただ働きの仕事が多すぎると不平を言うことになります。 

住宅産業は問題だらけ

2006年05月10日 | Weblog


私の下の娘は結婚して子供が二人おり、現在木造アパートの2階に住んでいます。
3DKですが、玄関、洗面所、キッチンセット、物干し場が非常に狭いアパートです。
どうしてこんなひどいアパートをアパート経営者はつくったのかと思いますが、日本のアパートはほとんどこの程度のものでしょう。

彼らは単なる儲け主義で、住みやすいアパートを適正な家賃で提供するという事業家精神がありません。
建設会社も彼らに迎合しています。
高くて悪いのが現状です。

一番つらいことを娘に聞いてみますと、子供が走り回ると階下の人が、下から棒のようなもので天井をドンドンと打ったり、さらには玄関に来て、静かにせよと言うことだそうです。
クッション材を床に敷いて騒音を減らす努力をしていますが、いつか乱暴を受けるのではないかとこわくなるそうです。

上の娘の家族はエレベータのある鉄筋コンクリートの高層集合住宅に住んでいたことがありますが、やはり下の人から静かにせよと言われて、集合住宅暮らしが嫌になって1年ぐらいで戸建住宅に引っ越しました。

高級集合住宅は上下の防音に配慮しているかもしれませんが、普通の集合住宅は防音不十分です。

日本は産業が高度に発達しました。
会社は性能、デザイン、安全性、コストを競って良品を提供してきたと思います。

ところが、何故か住宅となると不良品が現在もつくられ、政府も人々も容認してきたと思います。
住宅そのものがこの程度ですから、政府も住宅産業も人々も町の住みやすさ、美しさを考えるはずがありません。

一生の間で一番高い買い物である住宅が、不良品という現状は恥ずかしいことです。
幸か不幸か、今後日本の人口は大幅に減るそうです。
不良住宅から住む人がいなくなるでしょう。
不良住宅を提供する住宅産業はどんどん倒産するといいと思います。

まず私達自身が住宅基準を上げ、政府をして住宅基準を上げさせ、もって住宅産業の水準を上げるべきです。

日本はまだ政府社会であり、会社社会

2006年05月07日 | Weblog


私はこれまでに二度町の住環境を守るため建設側に対する反対運動に参加しました。
町を上げて反対しましたが、いずれも建設を阻止できませんでした。
建設側の合法という主張を崩すことができませんでした。
すでに建設を認可していますから、市は町がお願いしても何も配慮してくれませんでした。

二つのうちの一つは、何が何でも建設を阻止したいということで、町は建設妨害までやりました。
建設側の連絡で警察まで現場に来ました。
町は、町の考えや決定を警察に説明し、破壊活動ではなく、市民運動であることを理解してもらいました。
警察は一応納得して傍観の態度をとってくれました。

すると建設側は裁判所に訴えました。
裁判所はもちろん町を助けてくれませんでした。
弁護士は町の人々が負けると予測し、建設側と示談に入り、反対運動は中止になりました。

町の人々には深い心の傷が残りました。
国も横浜市も町のことを考えてくれないという不信が残りました。

しかし市民運動は空しいと思ってもやはり反対は反対と言うべきです。
もし町の人々がしぶとく反対運動をやらなければ法律も条例も変わらないでしょう。

それにしても町の人々の苦悩を理解しない市側、建設側はどのような社会観をもって政治や事業をやっているのでしょうか。
個人より会社が上、市はそのまた上という考えがいまだに支配的で、個人の要望は町単位の要望になっても軽視されます。
市民権という言葉が空しく響きます。

反対運動中止

2006年05月04日 | Weblog
問題になっている宅地細分化・建売住宅建設販売に関し、業者が提案してきた妥協案について反対運動をやっている住人の間で先日会議が行なわれました。
業者の妥協案は、宅地細分化はやめないが、隣地境界線から家の壁までの距離を1mとるというものです。

住人の評価は二つに割れました。

1. 業者は全く譲歩しないと思っていたのによく譲歩したと思う。妥協案をのむべきだ。
2. 宅地細分化反対という目的は達成できていない。それから建売住宅は2戸立つが、その間の距離は50cm+50cm=1mしかなく、町の住環境保全にはなっていない。妥協案は五十歩百歩だ。反対運動を継続すべきだ。

隣家の人は、救われたような気持ちだったのでしょう、妥協案が出たことは反対運動の成果と言っていました。
向う3軒の人は終始不満そうな顔をしていましたが、反対運動を続けても業者は細分化し家を建てるとの予測が強く、約2時間の激論の後、業者の妥協案をのむことになりました。

反対運動は業者から多少の妥協を得たのみで失敗に終わりました。

町内会長、建築協定運営委員長が同席していました。
住人の間から、問題が起こる度に反対運動をやっていても町の住環境は守れないと厳しい意見が会長、委員長に投げかけられました。
地区計画への移行を検討すべきだとの意見が出ました。

しかし会長は、町には細分化賛成の人もいると述べ、町の住環境問題が委員会から町内会に移管されるのを嫌がっているようでした。
一方、委員長は現状では穴抜け地、隣接地が多く、宅地細分化は続くと予測しており、建築協定の限界を認識しているようでした。
しかし、集まった住人の前で、町の住環境問題を町内会に移管したいとは言いませんでした。

司会者は、この問題は今日の議題ではないし、時間も来たと述べ、会議を解散にしました。
不完全燃焼で後味の悪い会議でした。
しかし今回の会議で建築協定の限界が一段と明確になり、地区計画への移行を重視する人が増えたと思います。

なお、このブログは今後は町がどのように動くかに注目しながら町の住環境保全について考えていきたいと思います。