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秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」新潟市市民文化遺産認定証書交付される

2015年12月12日 | 伊予松山歴史散策
昨年、新潟市が市民文化遺産を創設、秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」が認定され、新潟日報新聞の記事になった事は私のブログ(平成26年7月10日掲載)に掲載しましたが、この度認定書が公布され昨日(12月10日)推薦先の、新潟市江南区横越コミュ二ティ協議会に認定書が公布されそれの写しが私に送られて来ましたのでブログに掲載いたします。
認定日は、平成26年3月13日付なのに認定書の交付が1年以上遅れています。その理由は分かりません?です。
なお、新潟市民文化遺産に認定された遺産は、市内各地区から文化遺産となる貴重な遺産が200件余りが推薦され、認定調査委員会が調査・ 審査した結果159の遺産が認定、平成26年7月5日付の新潟日報新聞にその内容が記事になり、記事の見出しの写真に取り上げられたのが秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」でありました。
新潟市民文化遺産制度は下記の通りです。
「新潟市の郷土の宝を再認識を促す」 を目的で、認定基準は「郷土の歴史や文化を象徴しているもの「世代を超えて地域で 受け継がれ、今後も保存すべき貴重なもの」とする・・が対象です。
対象となる文化遺産は「建造物・旧跡・記念碑・芸能・有形・無形文化財の等々」だそうです。
新潟市江南区横越地区からは、秋山好古揮毫の石碑「忠魂碑」を推薦する事に 横越コミュ二ティ協議会(平成25年10月16日開催)の会議で決定し今回晴れて認定されたものです。
新潟市は、認定文化遺産を紹介するガイド ブックを発行する予定とありますが、認定書の交付が遅れていると言う事は、・・ガイド ブックの発行はかなり遅れるのではないか?です。
認定書は、松山市の秋山兄弟生誕地に掲示して来館者に見て頂く様準備をします。
写真等々の掲載は重複しますが再度掲載します。
なお、全国の自治体で市民文化遺産制度を制定している自治体は、京都市・岩手県遠野市・新潟市の3市のみです。


新潟市市民文化遺産に認定証書で何故か交付が遅れていた。
全国の自治体で市民文化遺産制度を制定している自治体は、京都市・岩手県遠野市・新潟市の3市のみです。


新潟日報は、新潟市市民文化遺産認定を記事として7月5日付で掲載した。記事に使った写真が秋山好古揮毫した「忠魂碑」であった。新潟日報新聞は昨日(7月9日)新潟市の神田氏から送って頂いた。


秋山好古の生誕地愛媛県松山市、地元紙愛媛新聞でも、新潟市市民文化遺産認定を報じた。


1.碑   文 :  忠魂碑
2.所 在 地:  新潟県新潟市江南区沢海二丁目15番30号 日枝神社
3.揮 毫 者:  陸軍中将 秋山好古
4.建 立 者:  賀表講
5.建立年月日:  大正2年7月 
6.碑石大きさ:  高さ 2m70cm 横幅 1m48cm 厚さ 42cm


忠魂碑の揮毫は、秋山好古が、第13師団長として大正2年に新潟県高田に赴任していた時に、横越村の村長さんが新潟県知事伊澤知事さんに、忠魂碑の文字を揮毫依頼し、そして伊澤知事が秋山好古にお願いしたそうです。伊澤知事は、奇しくも前任地が愛媛県であり、好古は伊澤知事を「私の郷里愛媛県で財政を立て直した有能な知事である新潟県でもいい仕事をすると思いますと」新潟県民に紹介しております。
伊澤知事はその後、東京市長を歴任後、東京警視庁総監になられた。








遺族会の関係者一人一人が祭壇の奥に見える忠魂碑に向かって玉串を供え英霊に拝した。
私は、秋山好古が揮毫した石碑の調査を現在も調査しているが、現在全国に51基の石碑が発見されている。内訳は、東京都1基、千葉県3基、神奈川県1基、静岡県1基、新潟県2基、愛媛県43基で、その内慰霊碑(忠魂碑・慰霊碑・表忠碑・招魂碑)が20基ある。忠魂碑の前で慰霊祭を開催しているのは、ここ新潟市江南区沢海の忠魂碑だけである。この事も踏まえて新潟市は、市民文化遺産の一つとして認定されたものと私は思います。


忠魂碑は、日露戦争で戦死された三名の兵士と、先の大戦(大東亜戦争)で戦死された兵士の方々との合同慰霊祭として毎年9月に忠魂碑の前で開催されている。私も平成22年9月6日に開催された慰霊祭に参列させて頂き写真を撮らせて頂いた。
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