EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山好古揮毫石碑紀行 24 松山市石手一丁目岩堰の碑

2015年12月24日 | 伊予松山歴史散策


1.碑   文 :  藤岡 翁 頌功碑
2.所 在 地:  松山市石手一丁目2番「岩堰橋・袂」
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  記載無し
5.建立年月日:  昭和 4年 5月 
6.碑石大きさ:  高さ:2m78㎝ 横幅:1m52㎝ 厚み:25㎝

この石碑は上部に、題額として秋山好古が「藤岡翁頌功碑」を揮毫し、題額の下部に藤岡翁(藤岡勘左衛門)の功績を近藤元晋が撰文して石碑となっている。


藤岡翁頌功碑の裏面で、藤岡 勘左衛門は、嘉永5年10月2日・末広町、勘三郎の子で伊予鉄道会社創業に参画し、松山商工会を起し会長に推され、銀行の創始・市場の開設・伊予がすりの販路の拡張に努める等地方の実業界の発展に尽くした。
また趣味多く茶花道・謡曲・調理・・和歌俳句を楽しみ、石手川の岩堰遊園地を開き晩年好んでここで遊んだ。昭和3年12月没 76歳 湊町円光寺に葬られている。・・この様な事項が書かれている。


岩堰に掛かる「岩堰橋・通称(あかばし)」で、橋長18,2m、幅員1,4mのつり橋、岩堰に咲く桜や菜の花等々の季節の花々とともに地域の方々に親しまれている。
大正13年に竣工した。
松山市景観形成重要建造物、平成15年9月1日指定、指定番号第1号である。


大正13年に竣工したこの「岩堰橋・通称(あかばし)」は秋山好古が北豫中学校校長として就任した年でもある。
好古は、東京に奥さんと子供を残し松山に帰り、昭和5年3月、北豫中学校長辞任まで故郷松山の青少年教育の普及に尽力した。そして生活は、独身に近い質素な生活をした。


「岩堰橋・通称(あかばし)」は、石手寺から東約200mにあり、「あかばし」を渡った正面に藤岡翁頌功碑がある。


松山市湊町四丁目5番地5、圓光寺にある「藤岡翁頌功・(藤岡勘左衛門)」の墓所。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする