EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

道後温泉本館年末大掃除 2

2015年12月03日 | 伊予松山歴史散策
一昨日、(12月1日)、道後温泉本館の恒例の年末大掃除が行われた。
2年前から本館内の年末大掃除見学者を公募で限定20名募集しての見学が実施されている。
今年応募して20名の仲間入りが出来カメラ持参で見学会に行って来た。
道後温泉本館は、明治27年に初代道後町長、伊佐庭如矢が老朽化していた道後温泉建物の改築と、100年後を見越した道後温泉観光地としての発展を願って、就任早々自らは無給とし、その給料分を温泉の改築費用に充てることとした。総工費は13万5千円。
当時の小学校教員の初任給が8円といわれた時代で、あまりに膨大な予算に町民は驚き、町の財政が傾きかねない無謀な投資だと非難が起こった。
反対運動は激しさを増し、夜間自宅まで押しかけその為奥さんは心労で亡くなり、伊佐庭自身も命の危険を感じるほどであった。
しかし伊佐庭は、この事態には動じず、道後温泉が100年たっても真似の出来ない建物を造ってこそ意味がある。
人が集まれば町が潤い、百姓や職人の暮らしも良くなる。と誠心誠意を持って町民を説得してこの偉大な建物を完成させた。
棟梁に宮大工の坂本又八郎を起用し、唐破風を使用した姿を現した木造三層は、当時でも大変珍しがられた。また、本館最上部に振鷺閣(刻太鼓を鳴らす場所)を建てた。この建物も経費がかさむと議会から反対を受けたが、町の火の見櫓として町民の安全に必要として反対を押し切って造った。
現在、刻太鼓は、朝6時の開館時に6回、正午に12回、午後6時に6回鳴らしている。
平成8年に環境庁の日本の音風景百選に指定された。
今回は、伊佐庭如矢が命を掛けて創り上げた道後温泉本館内を画像で見てみましょう。・・日頃は撮影出来ない所です。


道後温泉事務局職員さんの案内で、先ずは外観から道後温泉本館内の年末大掃除見学会は始まった。


館内の年末大掃除見学会には外国人も応募していた。このメンバーが館内見学をした。


館内は、又新殿入口から入り先ずは、神の湯二階席から見学した。


神の湯二階席で、畳は早朝に除けられ畳床となり、既に床板も綺麗に掃除されていた。畳は新調され朝6時開館までに入れられる。床板も121年前のもの傷みが無く綺麗であるが歴史を感じるものがあった。
営業中は、此処に畳が敷かれ湯上りに接客員がお茶と浴衣を出しお客は一時のくつろぎの時を過ごす。


神の湯二階席の飾り棚には蜷川実花さんの大きな作品が展示してあった。


神の湯二階席の床板には、明治27年本館改築に携わった宮大工、坂本又八郎の配下の大工の名前が書かれていた。


宮大工、坂本又八郎の配下の大工の名前がここにも書かれていた。いい仕事をしたのでしょう。・・初代道後町長、伊佐庭如矢が命掛けで取り組んだ大事業、それを察しての坂本又八郎もそれに応じての仕事をした。


神の湯二階席、女子職員が丁寧に敷居を雑巾で拭いていた。障子には蜷川実花さんの作品が取り付けてある。


神の湯二階席の廻縁側に蜷川実花さんの作品をライトアップに使われる装置が3mおきに取り付けてある。


神の湯二階席の接客担当職員の職場、此処で湯を沸かし、湯上りのお客さんにお茶のお接待をする。


浴槽の外はこんな格好になっている。


本館建物は、増築が3回行われていて、館内は迷路である。浴槽の外からみても色んな建物が入り組んである。本館は、121年間火災を起こしていない。
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