EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市平和通「銀杏」紅葉

2013年11月17日 | 伊予松山歴史散策
昨日、知人から平和通りの銀杏が紅葉して見頃である聞き、今朝カメラ持参で出掛けてみた。この通りは、松山市が管理する市道で一番幅員が広く大きな市道で、中央分離帯に画像の銀杏が植栽されている。両サイドには、歩道と自転車道が整備されており、俳句の街松山の象徴として句碑が沢山建立されている。中でも正岡子規の句碑が一番多く、夏目漱石・中村草田男・河東碧梧桐・内藤鳴雪等々の句碑がある。
平和通は、松山市の公称町名で、昭和39年6月11日、旧市内区画整理事業周辺の区域名称変更で、平和通一丁目から六丁目が生まれた。戦後松山市の都市計画は、昭和36年7月、から戦災復興都市計画が、本格的に始まり、平和通も出来上がった。平和通り、平和通(へいわどおり)は、日本の各地にある通りの名前の一つで、多くは第二次世界大戦直後に命名されたものと思われる。全国に平和通と称する町が、15ヶ所の市町に存在する。

さて、銀杏は、和名の由来については、葉の形をアヒルの足に見立てた 中国語: 鴨脚 (イアチァオ)の転訛であるとする通説がある。また日本語ではイチョウの実を指して「ぎんなん」と呼ぶが、これは「銀杏」の唐音読み「ぎん・あん」が、連声と呼ばれる現象によって転訛したものである。・・とある。
黄葉時の美しさと、剪定に強いという特性から、街路樹として利用される。平成19年の国土交通省の調査によれば、街路樹として57万本のイチョウが植えられており、樹種別では最多本数。東京の明治神宮外苑や、大阪御堂筋の街路樹などが、銀杏並木として知られている。秋期に落下した果実(銀杏)が異臭の原因となる場合があるので、街路樹への採用にあたっては、果実のならない雄株のみを選んで植樹される場合もある。
銀杏は日本全土で生産されているが、特に愛知県稲沢市は生産量日本一である。火に強い性質があるため、江戸時代の火除け地に多く植えられた。

イチョウは油分を含み水はけがよく、材料も均一で加工性に優れ、歪みが出にくい特質を持つので、カウンターの天板・構造材・造作材・建具・家具・水廻りなど広範に利用されており、碁盤や将棋盤にも適材とされるほか、特にイチョウ材のまな板は高級とされている。
また、長寿であり、成長すると巨木になる。日本の各地に幹周が10mを越えるようなイチョウの巨木も存在しており、環境省の調査における最も太い株は、青森県深浦町にある「北金ヶ沢のイチョウ」で、幹周は22mを越え、日本で有数の巨木に位置づけられている。
以上のような事が資料にある。


17日(日)天気が良かったので行ってみた。午前8時39分撮影。日曜日なので車が少ない時間帯にと思いながら現地に行ってみたがご覧の通り。午後は雨天となった。


片側二車線の松山市で一番広い市道。


銀杏並木は、完全に紅葉しているものと、未だ青みが残っている銀杏があった。


銀杏の実が落ち始めると拾いに来る者たちが車道を横切り中央分離帯に渡るので非常に危ない。


信号が赤になった時に車道に出て撮った。




写真を撮っていると後ろから「お早う」と言う声が聞こえた。振り返ると今流行の「ノルディックウォーキング」を楽しむグループがやってきた。お揃いのユニホームを着込んで楽しそう!!でした。この通りは電線が地中に埋め込まれてなく画像としては電線・電柱が邪魔である。




平和通一丁目から六丁目までの車道と歩道の境に画像の形、略同じ大きさの句碑が建立されている。句碑は、子規が圧倒的に多く、夏目漱石・中村草田男・河東碧梧桐・内藤鳴雪等々の句碑がある。裏面には、説明板が付いているのでよく理解して句碑散策が出来る。以前句碑を数えたがその記録が不明。またの機会に調べてみる。その時に銀杏の木が何本あるかも調べてみたい。


子規の句で、句碑裏面には、説明が書かれているので、句碑散策には参考になる。
コメント
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