今日(11月12日)愛媛県本館見学会が開催され行って来ました。
地元松山に居住しながら市役所に行く機会はありますが、県庁それも本館に行くことは滅多にないことです。見学募集定員は20名であったが、40名の申し込みがあり、全て受け入れての見学会でありました。
さて、愛媛県庁本館は、昭和4年2月9日竣工で、工期は、昭和2年11月11日~昭和4年2月9日、明治6年に愛媛県誕生後、第4代目庁舎であります。現在全国の都道府県庁舎で、知事が執務する庁舎としては全国で3番目に古い庁舎で、大阪府庁本館、神奈川県庁本館そして愛媛県庁舎です。国会議事堂(昭和11年竣工)より古い庁舎です。
愛媛県庁本館の概要は下記の通りです。
記
1、竣 工 昭和4年2月9日竣工
2、建築様式 鉄筋コンクリート造り 4階建て
3、建築面積 2,030㎡
4、延べ面積 8,414㎡
5、高 さ 32,6m 幅:東西80m 南北:43m
6、建設費 102万円(現在に換算すると100~120億円。
但し、現在、実際に建設すると120億円かけても建設出来ないと言われている。貴重な建造物。
7、特 徴 中央にドームを配した、左右対称の構えで、空から見ると鳥が翼を広げた形で、どっしりとした中にも優しさ と美しさがある。アーチや装飾が多く取り入れられた、格調の高い建物。
8、設計者 木子 七郎で、東京帝国大学建築科を卒業後、大林組を経て設計事務所を開き、大正末期から昭和初期にかけて大阪を拠点に、多くの公共建築などを手がけた建築家。仏のレジオン・ドヌール勲章受賞。明治17年、京都生まれで、東洋一のベルト王と言われた、新田長次郎(松山大学創設者)の娘婿。
昭和4年2月9日、完成の愛媛県本庁舎正面で、全国で3番目に古い県庁舎。
一番古いのは、大阪府庁舎、二番目が、神奈川県庁舎。
愛媛県本庁舎正面玄関から二階ロビーへ。本日の見学会の集合場所である。
二階ロビーの床は大理石で、アンモナイトの化石がある。
愛媛県本庁舎二階ロビーに集合した見学者40名、担当職員が見学コースの説明があり見学開始。床は全て大理石。
先ず最初の見学場所は、迎賓室で、天皇陛下、各皇族方、外国大使、総理大臣など県の公式の特別なお客様をお迎えする部屋。
続いての見学場所は、知事が記者会見や、市町村の関係者、知事に陳情にくる人たちと会見する部屋。
その次は、正庁で、正庁とは、辞書には「正面の大広場」とある。現在では講堂。この部屋では、叙勲や県功労賞の伝達式などの式典を行う。
正庁に掲げてある、日本国旗と、愛媛県旗で昭和27年5月5日制定。
4階上塔屋「ドーム会議室」で、ドームの真下にある塔屋という場所。建設当初は会議室。近年は書庫、しかし芸予地震(平成13年)で本棚崩壊再び会議室になった。壁には愛媛県が誕生してからの歴代県庁舎の写真が展示してある。
明治6年誕生した愛媛県で、初代県庁舎、場所は松山市堀の内三の丸にあった国立病院付近に粗末な平屋建ての庁舎として発足した。画像左下の建物。
第2代目県庁舎で、明治10年6月、現在地にあった松山藩家老奥平家の屋敷跡を買収し、翌明治11年11月25日木造平屋建ての庁舎を新築した。
第3代庁舎で、事務量増大により庁舎が狭いと言う事で、明治42年6月26日、木造二階建の洋風庁舎が誕生した。
現代の庁舎で、画像は現庁舎が建設されている最中の写真で、昭和4年、木子七郎の設計で建てられた。
昭和22年の画像で、迷彩の残る現庁舎。
昭和20年7月26日の松山大空襲に焼け残った。空襲を避けるために県庁本館の前面に施された迷彩は、この年(昭和22年)になっても黒っぽく残されていた。
現庁舎を上から見た写真で、撮影場所は、NTT四国のビル屋上から撮ったものと推察。
地元松山に居住しながら市役所に行く機会はありますが、県庁それも本館に行くことは滅多にないことです。見学募集定員は20名であったが、40名の申し込みがあり、全て受け入れての見学会でありました。
さて、愛媛県庁本館は、昭和4年2月9日竣工で、工期は、昭和2年11月11日~昭和4年2月9日、明治6年に愛媛県誕生後、第4代目庁舎であります。現在全国の都道府県庁舎で、知事が執務する庁舎としては全国で3番目に古い庁舎で、大阪府庁本館、神奈川県庁本館そして愛媛県庁舎です。国会議事堂(昭和11年竣工)より古い庁舎です。
愛媛県庁本館の概要は下記の通りです。
記
1、竣 工 昭和4年2月9日竣工
2、建築様式 鉄筋コンクリート造り 4階建て
3、建築面積 2,030㎡
4、延べ面積 8,414㎡
5、高 さ 32,6m 幅:東西80m 南北:43m
6、建設費 102万円(現在に換算すると100~120億円。
但し、現在、実際に建設すると120億円かけても建設出来ないと言われている。貴重な建造物。
7、特 徴 中央にドームを配した、左右対称の構えで、空から見ると鳥が翼を広げた形で、どっしりとした中にも優しさ と美しさがある。アーチや装飾が多く取り入れられた、格調の高い建物。
8、設計者 木子 七郎で、東京帝国大学建築科を卒業後、大林組を経て設計事務所を開き、大正末期から昭和初期にかけて大阪を拠点に、多くの公共建築などを手がけた建築家。仏のレジオン・ドヌール勲章受賞。明治17年、京都生まれで、東洋一のベルト王と言われた、新田長次郎(松山大学創設者)の娘婿。
昭和4年2月9日、完成の愛媛県本庁舎正面で、全国で3番目に古い県庁舎。
一番古いのは、大阪府庁舎、二番目が、神奈川県庁舎。
愛媛県本庁舎正面玄関から二階ロビーへ。本日の見学会の集合場所である。
二階ロビーの床は大理石で、アンモナイトの化石がある。
愛媛県本庁舎二階ロビーに集合した見学者40名、担当職員が見学コースの説明があり見学開始。床は全て大理石。
先ず最初の見学場所は、迎賓室で、天皇陛下、各皇族方、外国大使、総理大臣など県の公式の特別なお客様をお迎えする部屋。
続いての見学場所は、知事が記者会見や、市町村の関係者、知事に陳情にくる人たちと会見する部屋。
その次は、正庁で、正庁とは、辞書には「正面の大広場」とある。現在では講堂。この部屋では、叙勲や県功労賞の伝達式などの式典を行う。
正庁に掲げてある、日本国旗と、愛媛県旗で昭和27年5月5日制定。
4階上塔屋「ドーム会議室」で、ドームの真下にある塔屋という場所。建設当初は会議室。近年は書庫、しかし芸予地震(平成13年)で本棚崩壊再び会議室になった。壁には愛媛県が誕生してからの歴代県庁舎の写真が展示してある。
明治6年誕生した愛媛県で、初代県庁舎、場所は松山市堀の内三の丸にあった国立病院付近に粗末な平屋建ての庁舎として発足した。画像左下の建物。
第2代目県庁舎で、明治10年6月、現在地にあった松山藩家老奥平家の屋敷跡を買収し、翌明治11年11月25日木造平屋建ての庁舎を新築した。
第3代庁舎で、事務量増大により庁舎が狭いと言う事で、明治42年6月26日、木造二階建の洋風庁舎が誕生した。
現代の庁舎で、画像は現庁舎が建設されている最中の写真で、昭和4年、木子七郎の設計で建てられた。
昭和22年の画像で、迷彩の残る現庁舎。
昭和20年7月26日の松山大空襲に焼け残った。空襲を避けるために県庁本館の前面に施された迷彩は、この年(昭和22年)になっても黒っぽく残されていた。
現庁舎を上から見た写真で、撮影場所は、NTT四国のビル屋上から撮ったものと推察。