この度新潟市では、「新潟市民文化遺産制度」を創設した。
制度の概要は、文化財保護制度(指定・登録)とは異なり、地域に根差している文化資源を広く拾い上げ(認定)、地域の文化的な遺産の認知度の向上と後世への継承する活動を支援することにより地域の活性化を図るものである。
地域の宝を「新潟市民文化遺産」として認定し、地域の文化的な遺産の認知度の向上を図
るともに、後世へ継承する活動を支援し、地域の活性化に繋げる。
地域に残る文化的な遺産が、その生い立ちにおいて本市または地域にとって重要であり
また生活の一部として継承されてきている以下の文化的な資源。
1、建造物など、その技法や建造等に至る歴史的背景が貴重であり、地域の特色として認められている有形の地域遺産(例:建 造物、旧跡、記念碑など)
2、古くから伝えられてきた芸能や風俗慣習などの生活文化や、地域又は本市を象徴する無形の地域遺産(例:風俗慣習、伝承 芸能、伝統技術など)
次のいずれかに該当するもの
1.郷土の歴史や文化を象徴しているもの
2.世代を超えて地域で受け継がれ、今後も保存すべき貴重なもの
3.地域の生活文化の特色を示しているもの
4.地域の伝統行事等として親しまれ、今後も地域の活性化のために欠かせないもの
5.本市の文化遺産として国内外に発信することで、文化創造都市づくりに寄与するもの
応募資格は、地域遺産を保存・継承している団体、又は地域遺産を活用した地域活性化を実践できる団体とある。
募集は、10月7日から11月18日まで。推薦を受けた文化遺産に対し、11~12月にかけて学識経験者により、候補の調査と審査が行われ、来年1月に「新潟市民文化遺産」として複数認定する。・・とある。
秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」が新潟市江南区にあり、横越地区から申請されることになったと知人から連絡を受けた。現在好古揮毫石碑は、全国に51基発見されており、日本海側に発見された唯一の石碑である。現在も石碑の前で慰霊祭が行われている。
是非とも認定される事を切にお願いしたいと念じており、認定が決定されたら松山市の秋山兄弟生誕地からお喜びとお礼に伺いたいと思っております。
市民文化遺産制度を創設しているのは、岩手県遠野市と京都市が制定している。
平成22年3月17日撮影、この石碑は、平成21年11月18日、新潟市江南区横越中央在住の北方文化博物館理事、神田氏からの所在情報を得て現地取材をした時の画像。揮毫は秋山好古陸軍中将時代に揮毫した石碑で、建立は大正2年、2番目に古い石碑で台座を含めて最大級の石碑である。
所在は、新潟市江南区沢海二丁目15番30号、日枝神社・・北方文化博物館の隣接にある。
画像は、平成22年9月6日、秋山好古揮毫「忠魂碑」の前で行われた慰霊祭に参列させて頂いた時撮影。毎年慰霊祭を実施しておられる。
画像は、平成24年10月29日秋山兄弟生誕地の研究員7名を引率して行ったとき撮影、石碑建立と好古が揮毫した経緯の説明を北方文化博物館理事、神田氏から伺った。
石碑の裏側に建立した年月日と、修復した年月日が石碑として保存されている。
揮毫した秋山好古書の名前が刻印されている。
この忠魂碑は、日露戦争で横越地区から出征し2名の兵士が戦死され、その兵士を村葬として葬儀を行い、後世に伝えるために石碑を建立した。揮毫した好古は、陸軍第13師団長として新潟県高田に大正2年1月28日に赴任、同年3月22日渡満のため高田を去った。2ヶ月間しか赴任していなかった。横越村神田村長は「忠魂碑」を好古師団長に揮毫して頂きたく新潟県知事にお願いした。県知事は、伊澤多喜男氏で、奇しくも前任の地が、好古の故郷、愛媛県で新潟県に赴任したところであった。高田に着任した秋山師団長を伊澤知事は、表敬訪問している。同年2月6日、から師団配下の新発田・村松・小千谷の各連隊を巡視、8日新発田連隊の巡視を終えて、9日に伊澤県知事の招待で新潟市に立ち寄っている。この時に「忠魂碑」の揮毫を知事は好古にお願いしたものと推察される。
画像は、平成24年2月11日積雪の忠魂碑で、撮影は、北方文化博物館専務理事、佐藤氏が撮影し送って頂いた。新潟市の積雪は少なく久しぶりの大雪だった様子。
好古が揮毫した石碑は51基ある中で、新潟市のこの石碑は市民文化遺産選定されると確信している。地元の皆さんが大切に保存され毎年慰霊祭を行っている遺産である。来年1月が楽しみである。
画像は、平成24年10月29日、秋山兄弟生誕地の研究員が見学に伺った北方文化博物館、この博物館は、連合国軍最高司令官総司令部長官(GHQ)・マッカサー元帥が、戦後初めて許可した博物館で、柳 宗悦(評論家・文化功労者)、浜田庄司(益子焼・人間国宝)、バーナード・リーチ(英国の陶芸家)等の文化人に薦められ、司馬遼太郎も絶賛した博物館である。
平成24年10月29日、秋山兄弟生誕地の研究員が見学に伺った。北方文化博物館の説明を、第8代北方文化博物館伊藤文吉館長さんが案内して頂いた時き、大広間での記念写真。・・博物館とはいかに有るべきかを聞くことが出来た。