EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

旧松山海軍航空隊・掩体「戦闘機格納庫」の紹介

2009年08月17日 | 伊予松山歴史散策
昭和12年7月7日中国北京郊外で起きた武力衝突を契機として戦線は拡大の一途をたどり、ついに昭和16年12月8日に、米、英、蘭と戦争状態に突入太平洋戦争になった。
ここに紹介する、戦闘機の格納庫は、ゼロ戦、紫電、紫電改を敵機襲撃から保護するためのものです。
松山航空隊は、ハワイ真珠湾奇襲攻撃をするために、ここ松山で訓練を極秘で実施していました。
訓練の場所は、西宇和郡瀬戸町三机だそうです。(愛媛県佐田岬半島の中頃伊予灘に面した所) ここは、真珠湾によく似た湾で、「ニイタカヤマノボレ」命令発信その日のため訓練が行われたそうです。
それから、終戦間近の海軍航空隊は、三四三航空隊を編成しその司令官に「源田 実」海軍大佐が航空隊指令官として任命され、隊の編成は横須賀であったが、訓練基地は松山が一番いいと源田大佐の意向で急遽松山に決定したそうです。(源田 実は、戦後国会議員となり、またノンフイクション作家として海軍航空隊に関する多くの著作物を出版している。また、松山航空隊三四三航空隊を源田実の事実に基づいた映画が製作され、主演は確か三船敏郎だったと思う)
源田大佐は、昭和20年1月15日に松山に赴任しここで世界最強の航空隊を結成することを目的にしており、戦線で活躍の優秀なパイロット、撃墜王と呼ばれるゼロ戦パイロット達でこれを紫電改の訓練と、ドイツ空軍が始めた集団戦法の訓練が目的で、パイロット1200名その他整備兵等関係兵士総勢3000名の編成航空隊でした。
三四三航空隊の編成は次のようなもので、三四三航空隊(属名:剣部隊)指令:源田大佐、その下に、戦闘三○一飛行隊(新撰組)、戦闘四○七飛行隊(天誅組)、戦闘七○一飛行隊(維新組)、偵察第四飛行隊(奇兵隊)、戦闘四○一飛行隊(極天組)が昭和19年12月正式に編成され、昭和20年1月15日に源田航空隊指令が松山に赴任した。
しかし初期訓練、集団戦法訓練をする間もなく、20年3月13日米機動部隊が松山飛行場などを沖縄上陸作戦に先立って四国沖に接近、3月19日松山航空隊は編成早々四国上空で多数の米機と大空中線のため遂に紫電改の発進の時が来た、紫電改51機が松山飛行場を一斉に飛び立った。
この日、飛来したのは、約150機のグラマン機で、42機を撃墜、この日初めてグラマン機の一部が松山飛行場を攻撃したそうです。
この時私は6歳でしたが空中戦の様子が記憶にあります。

米国は、優秀な世界最強の零式戦闘機に対抗する戦闘機を開発、それがグラマンF6F、F4Uでこれに打ち勝つために、紫電改を製機した。
しかし、米国はすでにその先を見込んで昭和17年9月にB-29の製作に取り組んでいたそうです。
このB-29を使い日本本土を攻撃するには航続距離550K(爆弾搭載4トン)これに必要な滑走路は、マリアナ、サイパン、グァム、テニアンが必要であった。
それが、ミッドウエー海戦でこれが日本の敗戦が決まったのも同然であったのではないでしょうか。
米国は、この四国での空中戦で手痛いダメージを受け改めてB-29の必要性を感じたそうです。(B-29、スーパー・フォートレス、空飛ぶ要塞と呼ばれた。)
20年5月4日初めてB-29による松山攻撃が始まりその後10日、14日の攻撃で松山飛行場一部使用不能と記述がある。
その後松山大空襲があった。
時、昭和20年7月26日午後11時08分に始まり27日午前1時13分頃まで約2時間余り爆撃は継続、攻撃要領は、大都市に対するものと同じ方法で行われ、攻撃の先頭部隊は無数の小型焼夷弾を投下次いで、後続の部隊が大型の焼夷弾を投下した。
これで松山は一夜にして焼け野原と化した。
但し、松山城は攻撃から外されていたそうです。
東京大空襲(昭和20年3月9日)から約4ヶ月後の事である。
 
画像は、松山大空襲で残ったのがご紹介したこの「掩体」(えんたい)格納庫です。
物の経緯、事情の分からない人々はなんだろうと不思議に思い、そして見逃してしまうのではないかと思います。
此れは、太平洋戦争の遺物の一つとして保存し後世に悲惨な出来事を語り伝えて行かねばならない。
現在、三個の格納庫が松山市に残って降りますが、私も初めて格納庫を見ました。
今年もまた終戦の日が来た。
世は正に日本は平和そのもの、これでいいのであろうか?
参考文献「松山城は残った」松山大空襲の記録より、一部引用

追記
 一昨日、奇しくも「終戦の日」デジカメ3台を持参して撮影した。子ども心に記憶に残る戦争の出来事を回想しながらカメラに納めた。 
 私の父も関東軍の将校でしたが、昭和20年4月28日ニューギニアで戦死、父親の顔は記憶になく、撮影しながらこの事も脳裏を掠めた。
仏壇に線香を捧げながら合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする