EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予松山城天守・鯱

2009年08月16日 | 伊予松山歴史散策
8月14日松山城観光ガイド(松山観光コンベンション協会・奉仕活動)の当番日で天守最上階にてガイドをしていました。関東からお越しになられた方から鯱に付いて質問を受けました。
鯱(しゃち)とは、シャチが水を吹き上げるところから想像された海獣で、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っていて逆立ち状態で取り付けられており建物が火災時に口から水を噴き出し火を消すと言う守り神とされ織田信長が安土城創建の際、天主の装飾に取り入りたのが始まりで以後天主大棟の両端に雄雌の鯱を揚げるようになった。雄雌の区別は口を開けているのが雄で口を結んだいるのが雌である。(松江城の鯱の雄雌区別は、ひれで区別をしているそうだ。先般7月22日に行った時にみると両方とも口は開けてなかった・・一概に口で区別はしていない事が解った。造りは銅板張木造だそうです)また鯱の取り付け方角は殆どが大棟が東西にある場合は、東に雄、南北にある場合は、南に雄を揚げている。しかし名古屋城天守は、北側に雄を揚げているのでこの事も一概には言い切れない。製造方法は、瓦・木・石・金属等で造られている。名古屋城の金の鯱は有名で、高知城は鋳造製で、伊予松山城は瓦製でありますと説明いたしました。
次いで、対となる物を表す用語としても使用されるものに、狛犬や仁王、沖縄のシーサー・鯱など、一対で、口が開いている方を阿形(あぎょう)、閉じている方を吽形(うんぎょう)と言われ、阿形を雄・吽形を雌とされる。
転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などと呼ばれている。


画像の鯱は、平成16年から平成18年12月まで平成の大修復の時、天守の瓦の風化が酷く全て新たに葺き替えられ鯱も新しく造り取り替えた。此の鯱は修復前の鯱で阿形(雄)は大正14年4月製造の刻印がある。吽形(雌)には刻印が無いが風化の度合いから阿形より古いとされている。・・伊予松山城山麓ロープウエー乗場に展示しております。

注:天主と天守と使い分けたが、定説として安土桃山時代は天主と表記し、江戸時代は天守と表記する。
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