EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

ソロン観音菩薩立像

2009年08月12日 | 伊予松山歴史散策
敗戦して今年が64年になる。8月15日がまた来る。
昭和18年のカイロ宣言・昭和20年2月のヤルタ秘密協定・昭和20年7月にポツダム宣言を発令8月15日正午、14日深夜に録音された天皇陛下のポツダム受諾に関する放送が全国民に対して行われ戦争を停止した。
此処に紹介するソロン観音菩薩は、下記によるものである。

米軍の海兵隊に当たる部隊として、わが国で初めての4個の海上機動旅団が昭和19年3月31日に陸軍の作戦命令により関東軍の主力部隊で編成された。第二旅団は当初はシンガポール作戦に参戦するはずであったが命令変更により西部ニューギニア戦線に変更されソロンに上陸した。

日本陸軍最南端の飛行場「サマテ飛行場」の防衛に死力を尽くし、米軍はフイリッピン、沖縄戦線の足がかりとしてビヤク飛行場を占領しようとする両軍の熾烈な防衛戦線の中、3000名の日本兵士が戦死した。

生存者は昭和21年5月25日に帰還復員された。機動第三大隊第一中隊(エフマン島で活動)で無事帰還復員された皆さん方はエフマン朋友会(代表 物江啓止氏)を結成し一昨年まで全国各地で戦死した戦友の慰霊を兼ねた会合をされて来たが高齢のため中止された。

私も遺族として13年前から参加していた。私の父親は機動第三大隊第一中隊第一小隊長で昭和20年4月28日将校斥候途中米軍と遭遇し戦闘状態となり密林の中で戦死現在も西部ニューギニアの密林で眠っている。親父以外の斥候隊員は全員無事司令部に帰還され復員された。親父の戦死状況は、エフマン朋友会の斥候隊員の方から聞き始めて詳細が分かった。今から僅か13年前の事である。

画像の観音菩薩は、西部ニューギニアで戦死された方々の英霊のご冥福をお祈りし、世界恒久平和と人類の幸福を祈念して昭和62年6月に西部ニューギニア(インドネシア)のソロン市バナナ台慰霊碑苑に建立された。しかしソロン観音菩薩像が平成15年8月心無き者により、光背・両腕・両衣・を破壊され盗難の大被害の惨事にあい、以後ソロンに安置する事が出来ないと判断され、日本に持ち帰り修復し、平成16年4月25日愛媛県西宇和郡伊方町田部に於いて再入魂式(地元住職により)を行い再建立されたソロン観音菩薩立像である。

ソロン慰霊巡拝世話人、石井さん(東京在住)は観音菩薩建立地を全国の各地を調査したが適当な場所がなかった。現在地の所有者が敷地の提供をして頂き建立する事が出来たと感謝していた。

場所は、眼下に宇和海を望み遥か彼方で戦友が眠る西部ニューギニアを遠視し出来る最高の場所で英霊を見守っている。

ソロン観音菩薩立像再建立所在地:愛媛県西宇和郡瀬戸町田部
               国道197号線沿い・伊予鉄バス田部越バス停横


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする