今日の函館は時折青空が覗くものの、最高気温がマイナスの真冬日...、週末に暖かな日が続いたこともあってやけに寒さが突き刺さる。今週末にはまた暖かさが戻るそうなので、これこそが三寒四温ということかな...。
函館は坂の街で、函館山からの麓に下がる坂道が谷地頭から弁天まで20本近くある。坂の名の由来や景観に函館らしさがあり、改めて訪ねて見ることにした。今日はTVやCMなどでもお馴染みの「八幡坂」...、まっすぐ伸びる坂の下は函館湾で、その先に昭和63年(1988年)の青函トンネル開通まで活躍した青函連絡船「摩周丸」が係留されている。
TVやCMでよく使われるせいもあってか最も函館らしい景観と思っているが...。ところで、名前の由来は
「基坂の箱館奉行所付近にあった八幡宮が、文化元年(1804年)奉行所の拡張工事に伴い、この坂の上に移されたことからこの名が付いた。八幡宮は明治11年(1878年)の火災によって焼失し、明治13年に現在の谷地頭町に移った。」(坂道の案内板から)
卒業旅行なのだろうか、2,3人の女学生らしきグループが10分ほどの間に入れ替わり立ち替わり坂の道の真ん中に立って記念撮影...、「これが函館なんだ...」との声も聞こえ、そして、慌ただしく港ヶ丘通りを旧函館区公会堂の方向に向かう。この通りの土産店夏場は賑やかなんだけどまだ冬眠中、ちょっと寂しいもんな...。
函館は坂の街で、函館山からの麓に下がる坂道が谷地頭から弁天まで20本近くある。坂の名の由来や景観に函館らしさがあり、改めて訪ねて見ることにした。今日はTVやCMなどでもお馴染みの「八幡坂」...、まっすぐ伸びる坂の下は函館湾で、その先に昭和63年(1988年)の青函トンネル開通まで活躍した青函連絡船「摩周丸」が係留されている。
TVやCMでよく使われるせいもあってか最も函館らしい景観と思っているが...。ところで、名前の由来は
「基坂の箱館奉行所付近にあった八幡宮が、文化元年(1804年)奉行所の拡張工事に伴い、この坂の上に移されたことからこの名が付いた。八幡宮は明治11年(1878年)の火災によって焼失し、明治13年に現在の谷地頭町に移った。」(坂道の案内板から)
卒業旅行なのだろうか、2,3人の女学生らしきグループが10分ほどの間に入れ替わり立ち替わり坂の道の真ん中に立って記念撮影...、「これが函館なんだ...」との声も聞こえ、そして、慌ただしく港ヶ丘通りを旧函館区公会堂の方向に向かう。この通りの土産店夏場は賑やかなんだけどまだ冬眠中、ちょっと寂しいもんな...。
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