2009年 ことしの一冊たち 下半期

7月

「「落葉籠 上下」(森銑三 中公文庫 2009)
・「琵琶法師〈異界〉を語る人びと」(兵藤裕己 岩波新書 2009)
・「「茶の間の数学 上下」(笹部貞市郎 聖文新社 2006)


「極短小説」(スティーヴ・モス/ジョン・M・ダニエル 編 新潮社 2004)
「漱石覚え書」(柴田宵曲 中公文庫 2009)を読んでいたら、「短い小説」と題する1章があった。大正の頃、アメリカで1500語より少ない語で小説を書いたら、少ない1語ごとに1セント払うという小説の募集があったそう。一番短いのは76語で、142ドル40セントの原稿料をもらったという。でも、極短小説にくらべたら、まだ長い。また、日本の小説で短いものとして、鈴木三重吉の「赤菊」と、芥川の「塵労」を柴田さんは挙げている。「塵労」は全集では小品の部にはいっており、芥川のもうひとつの短い作品、「豊太閤がだれかと話をする一編」はどの本にもおさめられていないと、さすが柴田さんの指摘は細かい。

この金でなにを買ったか?
給付金をもらったことなんて、遠い昔のことのようだ。全額本代にしたら、豪遊した気分になった(かなり予算オーバーしてるけど)。それにしても、ことしは本を買いすぎた。

翻訳味くらべ 「水仙」(翻訳入門版)
「翻訳入門」という本は、とても興味深い。あと1回、「シャーロットのおくりもの」について述べた章をとりあげたいと思っていたら、1年が終わってしまった。そのうちやります。

「ティータイム七五話」(真鍋博 毎日新聞社 1982)


8月

月刊「広報」2009年7月号の記事から
これは大日本印刷を中心とした、出版業界再編成についての記事。思うのだけれど、そのうちブックオフで新刊マンガを売り出すようになるんじゃないだろうか。ひょっとすると、もうやっているのかな。

「マキァヴェッリの生涯」(ロベルト・リドルフィ 岩波書店 2009)
毎年、こんな本を読むとは思わなかったなあという本があるけれど、ことしはこの本がそう。こんな本を読むとは思わなかったなあ。その後、にわかにマキァヴェッリ・ブームが到来していくつか本を読んだ。
「マキァヴェッリの生涯」(マウリツィオ・ヴィローリ 白水社 2007)
「君主論」(マキァヴェッリ 中公文庫 1995)
あと、塩野七生さんの「わが友マキァヴェッリ」(中公文庫 1992)をぱらぱら。
「マキァヴェッリの生涯」と「わが友マキァヴェッリ」は叙述の方法が似ていて、「生涯」はマキァヴェッリが亡くなるところから、「わが友」はマキァヴェッリが隠棲をよぎなくされるところからはじめて、その後、生涯を最初から語りはじめるというカットバック方式がつかわれている。でも、塩野さんの「わが友」は、日本人が書いたものらしく随筆調で、マキァヴェッリが書いた芝居「マンドラーゴラ」の感想などがさしはさまれていた。「生涯」は、ルドルフィの「生涯」を新たに書きなおしたような本だった。
また、「君主論」の解説には、「君主論」がカトリーヌ・ド・メディティスの悪名のとばっちりを受ける話がちゃんと載っていた。訳文のためもあるのだろうけれど、マキァヴェッリの記述はきびきびしている。君主論の発刊は1532年とのこと。

「中公新書の森」(中央公論新社 2009)
これは、中公新書が2000点突破記念にだした目録風の冊子についての記事。

「ミクロの傑作圏」(浅倉久志/編訳 文源庫 2004)

「日本語の素顔」(外山滋比古 中央公論社 1981)
これを読んで、描出話法についてやっと理解できた。


9月

・「本の現場」(永江朗 ポット出版 2009)
・「臨床瑣談 続」(中井久夫 みすず書房 2009)
・「富の王国ロスチャイルド」(池内紀 東洋経済新報社 2008)

「本の現場」は重版したとのこと。よかった。版元のポット出版のサイト内にある「談話室沢辺」では、著者とポット出版代表沢辺さんの対談がみられる。ほかにもこのコーナーの対談はみんな面白い。出版流通に興味のあるひとならみて損はないと思う。

「夜の声」(W・H・ホジスン 創元推理社 1985)

「凡人伝」(佐々木邦 講談社 1946)
「悼詞」(鶴見俊輔 編集グループSURE 2008)をぱらぱらやっていたら、佐々木邦が自作を自分で英訳して出版したと書いてあった。ユーモア作家は非凡な努力のひとだ。

・「幸田露伴」(斉藤礎英 講談社 2009)
・「暗殺のジャムセッション」(ロス・トーマス 早川書房 2009)
・「欺かれた男」(ロス・トーマス 早川書房 1996)
・「忙しい死体」(ドナルド・E.ウェストレイク 論創社 2009)

「幸田露伴」を読んで、エピファニー小説ということばをおぼえたのが嬉しい。バリー・ロペスの短篇もエピファニー小説といえるかも。

・「500万ドルの迷宮」(ロス・トーマス ミリテリアス・プレス文庫 1999)
・「泥棒が1ダース」(ドナルド・E・ウェストレイク ハヤカワ文庫 2009)

ことしはインフルエンザを警戒して、みんなよく手を洗ったのでノロウィルス感染者は例年の半分だったとニュースでやっていた。にもかかわらず、ウィルス性胃腸炎にかかるとは…。


10月

・「創造者」(J.L.ボルヘス 岩波文庫 2009)
・「続審問」(J.L.ボルヘス 岩波文庫 2009)
・「ボルヘスとの対話」(リチャード・バーギン 晶文社 1973)


だいたい3周年
これは当ブログの3周年経過報告。そういえば、ブログをはじめたら当の著者からコメントをいただくということがあり、とてもおどろいた。たとえば、「12歳の読書案内」とか(いまみたら、意味不明なコメントを書いている。たぶん、編集という行為自体が「本を紹介する言葉」のひとつなのではないかといいたかったんだと思う)。ネットというのはすごいものだ。

・「無限がいっぱい」(ロバート・シェクリイ 早川書房 1976)
・「宇宙のかけら」(ロバートシェクリイ 早川書房 1967)

読み終わった本はたいてい処分しているのだけれど、「宇宙のかけら」はもったいなくてとってある。でも、ほかのひとが読めないのも、またもったいない。こういうのは、しかるべき古本屋にでも売るのがいいんだろうか。

「ウインク」(小松左京 角川書店 1972)
小松左京さんの作品は、これまでそう気にとめていなかったのだけれど、一度ブログにとりあげたら、なんだかほかの作品も読まなくてはいけないような気になり、目につくと手に入れて読んでいる。ブログを書くと、こんな副作用も。

「不幸な少年だったトーマスの書いた本」(フース・コイヤー あすなろ書房 2008)
「読書推進運動」という小冊子の平成21年10月15日号(第503号)に、「ユニークな読書活動が「人作り」のもとに」というタイトルで、オランダとベルギーの読書活動について書かれた記事が掲載されている。これを書いた野坂悦子さんは、きっと本書の訳者だろう。オランダには、全国音読コンテストというものがあるらしい。

「アニメーション美術」(小林七郎 創芸社 1996)
よくできた入門書を読むと興奮する。「水彩学」を読んだときも興奮したし、「男子厨房学入門」を読んだときも興奮した。理解できたかどうかは別にして、「音楽の教え方」(キース・スワニック 音楽之友社 2004)なんて本を読んだときも興奮した。

「ハマースミスのうじ虫」(ウィリアム・モール 創元推理社 2006)

「道化者の死」(アラン・グリーン 早川書房 1955)

「吟遊詩人マルカブリュの恋」(ジェイムズ・カウアン 草思社 1999)


12月

「第三の皮膚」(ジョン・ビンガム 創元推理社 1966)

「深夜の逃亡者」(リチャード・マシスン 扶桑社 2007)

「ケープ・フィアー 恐怖の岬」(ジョン・D・マクドナルド 文芸春秋 1991)

翻訳味くらべ「クリスマス・キャロル」

ことしの記事は以上。
ほかに、去年以前の記事についていくつかつけ加えたい。

「先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!」(小林朋道 築地書館 2007)
シリーズ第3作、「先生、子リスたちがイタチを攻撃しています!」が出版された。著者の小林さんは、大学の先生なのに、「いまどきの学生は…」なんてことを一切いわない。読むとすこぶる楽しいのは、そんなところにも理由があるのかも。

「ナポリへの道」(片岡義男 東京書籍 2008)
「ピーナツ・バターで始める朝」(片岡義男 東京書籍 2009)を読んでいたら、「ナポリへの道はまだ続く」という、この本の続編に当たるような文章が掲載されていた。昭和25年の「主婦の友」のレシピには、パスタがなければ、うどんで代用しましょうという一文があるのだそう。レシピは全部掲載っていたから、あとで孫引きしてコメントに入力しておこう。それにしても、うどんでナポリタン…。こんどつくってみなくては。

読んだけれど、むつかしくてブログに書けなかった本もたくさんある。
筆頭はこの3冊。

「遊ぶ日本 神あそぶゆえ人あそぶ」(高橋睦郎 集英社 2008)
遊びとは、もともと神様がひとを介して遊んだことをいい、ひともまた神様を介して遊んだことをいう。遊ぶ神の典型はスサノオで、以後人間がスサノオのありかたを反復していく…というようなことが書かれた本。あつかった遊びの対象は、じつに幅広い。能や和歌ならともかく、金銭、戦争、花、絵、学問にまで及ぶ。
毎日新聞に三浦雅士さんの書評が載っていたけれど、この本の内容をよくこうまとめられるものだと感心。

この本を読んでいたら、「『古今和歌集』の謎を解く」(織田正吉 講談社 2000)を思い出した。「古今和歌集」にダジャレっぽい歌があるのはなぜか。あれは、かなによって、日本語が表記できるようになった喜びが記されているのだ、というようなことが書いてあり、なるほどと思った。
なにかを思い出す本は、たいていいい本だと思う。

「マネーの意味論」(ジェイムズ・バガン 青土社 2000)
古代から現代にいたるまでの知識を総動員して、マネーとはなにかということについて肉迫した一冊。著者は、英国はスコットランド人で、「三十九階段」の作者、ジョン・バカンのお孫さん。タイトルはしかつめらしいし、本ははぶ厚いけれど、エセー形式で書かれているので読みやすい。マネーという融通無碍な対象には、エセーという手法で近づくのがいいのかもしれない。

「書物の宇宙誌 渋澤龍彦蔵書目録」(国書刊行会 2006)
渋澤龍彦蔵書目録というタイトルどおりの本。渋澤龍彦さんでなければありえない企画。創作ノートの写真も公開されている。渋澤さんにかぎらず、ひとのノートをみるのは、なんとなく楽しい。巻末の、松山俊太郎さんと巖谷國士さんの対談で、「種村季弘さんは、好きな作家はいたんだろうか?」と話しているのが面白かった。たしかにそういいたくなる。

あと、ことしの春から、絵本紹介ブログを立ち上げた。
一冊たち絵本
タイトルだけ知っていて、じっさい読んだことのなかった絵本を手にとって読んでみるのは勉強になる。

長ながと書いてしまったけれど、ことしの更新はこれが最後。
皆様、よいお年を。

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