第三の皮膚

「第三の皮膚」(ジョン・ビンガム 創元推理社 1966)
訳は中村能三。

先日読んだ、「ハマースミスのうじ虫」(ウィリアム・モール 創元文庫 2006)には、巻末に川出正樹さんによる充実した解説がついているのだけれど、その解説に「第三の皮膚」のことが引き合いにだされていた。

それによれば、ジョン・ビンガムもウィリアム・モール同様、英国情報局保安部(MI5)に所属し、のちに作家に転進したという(「第三の皮膚」の解説には、ただジャーナリストとして活躍した、とだけある)。
ビンガムが「第三の皮膚」を発表したのは、「ハマースミスのうじ虫」発表の前年。
川出さんはそこから想像をひろげ、ウィリアム・モールはかつての“戦友”であるビンガムの作品に触発されて、「ハマースミスのうじ虫」を書いたのではないかと推察している。

では、その「第三の皮膚」とは一体どんな作品なのか?
気になって読んでみた。
ひとことでいうと、内面描写に重点をおいた犯罪小説。
素晴らしく面白い。
この本も復刊すればいいのにと思った。

犯罪小説といっても、銀行を襲う経緯が書かれているわけではない。
扱っている題材はいたって地味。

前半の主人公は、19歳のレス。
新聞社で下働きをしていて、怠け者で、見栄っ張りで、自負心ばかり強い。
悪い人間ではないのだけれど、性格が弱く、たちの悪い女(ズベ公なんてことばが使われている)にそそのかされて、同じくたちの悪い友人であるロンの強盗の手伝いをするはめに。
このあたり、内面描写により記されるレスの勘ちがいい振りが読んでいて痛々しい。
また、さんざん逡巡しながらも、悪事に加担してしまう様子にはらはらさせられる。

けっきょく、ふたりの強盗は失敗。
それどころか、ある惨事を引き起こしてしまう。
ロンとレスは警察にマークされることになるのだけれど、ここから後半の主人公となるのがレスの母親であるアイリーン。
アイリーンは、毛を逆立てた母猫のようになって、必死で息子をかばおうとする。

登場人物のうち、内面が描写されるのは、レンとアイリーンのほかに、アイリーンの茶飲み友達である2人、オールド・ミスのグエン・ドレイバーと、外務省勤めで定年まぎわの独身男、フレデリック・ペリー。
アイリーン以外、登場人物にたいする作者の評価は手きびしい。

ところで、作者が登場人物にたいしてあまり批評的な態度をとると、その小説はうるさくなり、読めないものになるのが普通だろう(と思う)。
でも、不思議なことに本作はそうなっていない。
じつに面白い。
とくに、警官のレスへの尋問のシーンなどは、読む手を休めることが不可能なほどだ。

これは一体なんでだろうと考えてみたのだけれど、ひとつは、その人物がそれをするのかしないのか、さんざん迷うところをえがいているためだろうと思う。
ああ、それをやっちゃうのかと続きがじつに気になる書きぶりなのだ。

もうひとつは、ある人物の内面を通して、別の人物をえがく面白さだろう。
このひとはあの人物のことをこんな風に思っていたのかという、噂話的面白さ。

また、ある人物のを通して別の人物をえがくのは、場合によってはじつにスリリングになる。
警官がレスを尋問するシーンには、そばに母親であるアイリーンがついている。
「あの子はちゃんと教えたとおりに踊れるかしら」という具合にわが子を見守るアイリーンに、読んでるこちらも身をのりだしてしまう。

つまり、登場人物の内面描写がそこでいき止まりになっておらず、別の人物や、別の行動につながっているのだ。
登場人物を批評的にえがいても面白い理由は、このあたりにあるのかも。

とすると、後半、起きた事態にすっかり受身になったレスの影が薄くなり、事態に対処しようと奮闘する母親が目立つのは当然かもしれない。
おかげで、ラストは悲劇なのか、そうでないのか、なんともいえない皮肉の効いたものになっている。

ところで、作者のビンガムは、もともと捕まえる側の人間。
そのせいか、警官の描きかたが親切に見える。
もっとも、これはビンガムが捕まえる側の人間だと、事前に知って読んだせいかもしれない。


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