タナカの読書メモです。
一冊たちブログ
道化者の死
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/9d/916ece70495cd592ea021332ca42d62c.jpg)
「道化者の死」(アラン・グリーン 早川書房 1955)
訳は衣更着信(きさらぎ・しん)。
装丁は勝呂忠。
ポケットブックスにしては、めずらしく具象画だ。
本をひっくり返すと、江戸川乱歩とアントニー・バウチャーの推薦文が載っている。
乱歩のはこう。
「古来、ユーモア探偵小説は数多いが、そういう作品に限って謎解きの論理性は極めて希薄である。ところが、本書『道化者の死』は滑稽文学の要素と、本格探偵小説の要素とが二つながら盛りこまれている点に特徴がある。…」
作者のアラン・グリーンは、なんとなく聞いたことがある。
グリーンつながりで、「見えないグリーン」(早川文庫 2008)の作者だっけかと思ったけれど、これを書いたのはスラデックだった。
だれだったかなあと読んでいたら、次の一節に当たって思い当たることがでてきた。
「マーリン・ブラツドストンがメキシコ湾にある自分の保養地で殺害された時、マーリンの義弟で、その財産の一部の相続者でもあったアーサー・ハッチがその他の経営をひきついだ」
さらに読み進めると、この事件のさい、フロリダ市で警部補を勤めるジョン・ヒューゴーが、ハッチの姪であるサンドラに求婚し、結婚したとある。
もう間違いない。
作者のアラン・グリーンは、「くたばれ健康法!」(創元推理文庫 1995)を書いたひとだ。
ハッチもヒューゴーもサンドラも、「くたばれ健康法!」にでてくる登場人物。
続編があったなんて、ちっとも知らなかった。
(個人的には、「くたばれ健康法!」は文庫ではなく、フレドリック・ブラウンとともに収められた「別冊宝石」で読んだ。そのときのタイトルは「健康法教祖の死」だった)
前置きが長くなったけれど、さて、ストーリー。
前述のように、マーリン・ブラツドストンから保養地の経営を受け継いだハッチ。
なかでも、ニューハンプシャー州セント・バーナードにある、セント・バーナード・ホテルの売り上げがもっとも良好。
いまは、ハッチの義理の甥となり、経営を手伝っているジョン・ヒューゴーの(ハッチにとってはじつに馬鹿げた)発案で、冬のシーズン開きに、〈ふた粒の阿片と一滴の魔液〉というコメディ劇団を呼んで、TVショーをすることに。
ところが、劇団がくるとホテルは大雪。
下界から隔絶され、あまつさえ劇団の座長であるジュニア・ワトキンスが密室状態の部屋で、死体で発見される。
大雪のため、警察もこられないなか、ハッチが探偵役をつとめて調査にのりだすと、第2の死体があらわれ――。
という、大雪のホテルで起こった密室殺人という典型的なシチュエーションをあつかった作品。
前半、ジュニア・ワトキンスとその相方のエルロイ・シュナイダー、そして二人の相手役である女性コメディアン、ベーブ・ブルーによる一座結成の顛末などがユーモラスに語られる。
後半は、探偵役であるハッチによる、各人への事情聴取。
ユーモラスな語り口はなりをひそめるのだけれど、もし後半も前半の調子で書かれていたら、うるさくて読めたものではなかったろう。
このあたりの呼吸はじつにうまいもの。
密室ができた動機にもひと工夫してあり、楽しめる一冊だった。
ところで、ユーモアと推理は両立しがたいといわれるけれど(最近はそうでもないか)それはいったいなぜだろう。
それはたぶん、情報のあつかいかたのためだろうと思う。
作者、登場人物、読者と、それぞれ情報のもちかたがちがうとして、作者と読者が知っていることを登場人物は知らないというのが、ユーモアの基本的なありかただろう。
でも、ミステリとかサスペンスは、作者は知っているけれど、登場人物や読者は知らないという状況が起こる。
そのため、ユーモアと推理は両立しがたいといわれるんじゃないだろうか。
ただ、ミステリでも、部分的には作者と読者が知っていて、登場人物は知らないという状況がでてくる。
ユーモア・ミステリというのは、この状況をうまくつくりだし、利用している作品ではないかと思う。
この本の後ろにある、アントニー・バウチャーの推薦文も引用しておこう。
「はじめから終わりまで、馬鹿騒ぎに終始するような滑稽小説でありながら、しかもこの馬鹿騒ぎのうちにちゃんと伏線があり、脈絡があって、トリック小説としても充分の面白味をもつ作品を、わたしはたった二つだけ知っていた。その一つはカーの「盲目の理髪師」であり、もう一つはアラン・グリーンの“What a Body”(「くたばれ健康法!」)である。…」
カーの「盲目の理髪師」はまだ読んだことがない。
いずれ読んでみなくては。
訳は衣更着信(きさらぎ・しん)。
装丁は勝呂忠。
ポケットブックスにしては、めずらしく具象画だ。
本をひっくり返すと、江戸川乱歩とアントニー・バウチャーの推薦文が載っている。
乱歩のはこう。
「古来、ユーモア探偵小説は数多いが、そういう作品に限って謎解きの論理性は極めて希薄である。ところが、本書『道化者の死』は滑稽文学の要素と、本格探偵小説の要素とが二つながら盛りこまれている点に特徴がある。…」
作者のアラン・グリーンは、なんとなく聞いたことがある。
グリーンつながりで、「見えないグリーン」(早川文庫 2008)の作者だっけかと思ったけれど、これを書いたのはスラデックだった。
だれだったかなあと読んでいたら、次の一節に当たって思い当たることがでてきた。
「マーリン・ブラツドストンがメキシコ湾にある自分の保養地で殺害された時、マーリンの義弟で、その財産の一部の相続者でもあったアーサー・ハッチがその他の経営をひきついだ」
さらに読み進めると、この事件のさい、フロリダ市で警部補を勤めるジョン・ヒューゴーが、ハッチの姪であるサンドラに求婚し、結婚したとある。
もう間違いない。
作者のアラン・グリーンは、「くたばれ健康法!」(創元推理文庫 1995)を書いたひとだ。
ハッチもヒューゴーもサンドラも、「くたばれ健康法!」にでてくる登場人物。
続編があったなんて、ちっとも知らなかった。
(個人的には、「くたばれ健康法!」は文庫ではなく、フレドリック・ブラウンとともに収められた「別冊宝石」で読んだ。そのときのタイトルは「健康法教祖の死」だった)
前置きが長くなったけれど、さて、ストーリー。
前述のように、マーリン・ブラツドストンから保養地の経営を受け継いだハッチ。
なかでも、ニューハンプシャー州セント・バーナードにある、セント・バーナード・ホテルの売り上げがもっとも良好。
いまは、ハッチの義理の甥となり、経営を手伝っているジョン・ヒューゴーの(ハッチにとってはじつに馬鹿げた)発案で、冬のシーズン開きに、〈ふた粒の阿片と一滴の魔液〉というコメディ劇団を呼んで、TVショーをすることに。
ところが、劇団がくるとホテルは大雪。
下界から隔絶され、あまつさえ劇団の座長であるジュニア・ワトキンスが密室状態の部屋で、死体で発見される。
大雪のため、警察もこられないなか、ハッチが探偵役をつとめて調査にのりだすと、第2の死体があらわれ――。
という、大雪のホテルで起こった密室殺人という典型的なシチュエーションをあつかった作品。
前半、ジュニア・ワトキンスとその相方のエルロイ・シュナイダー、そして二人の相手役である女性コメディアン、ベーブ・ブルーによる一座結成の顛末などがユーモラスに語られる。
後半は、探偵役であるハッチによる、各人への事情聴取。
ユーモラスな語り口はなりをひそめるのだけれど、もし後半も前半の調子で書かれていたら、うるさくて読めたものではなかったろう。
このあたりの呼吸はじつにうまいもの。
密室ができた動機にもひと工夫してあり、楽しめる一冊だった。
ところで、ユーモアと推理は両立しがたいといわれるけれど(最近はそうでもないか)それはいったいなぜだろう。
それはたぶん、情報のあつかいかたのためだろうと思う。
作者、登場人物、読者と、それぞれ情報のもちかたがちがうとして、作者と読者が知っていることを登場人物は知らないというのが、ユーモアの基本的なありかただろう。
でも、ミステリとかサスペンスは、作者は知っているけれど、登場人物や読者は知らないという状況が起こる。
そのため、ユーモアと推理は両立しがたいといわれるんじゃないだろうか。
ただ、ミステリでも、部分的には作者と読者が知っていて、登場人物は知らないという状況がでてくる。
ユーモア・ミステリというのは、この状況をうまくつくりだし、利用している作品ではないかと思う。
この本の後ろにある、アントニー・バウチャーの推薦文も引用しておこう。
「はじめから終わりまで、馬鹿騒ぎに終始するような滑稽小説でありながら、しかもこの馬鹿騒ぎのうちにちゃんと伏線があり、脈絡があって、トリック小説としても充分の面白味をもつ作品を、わたしはたった二つだけ知っていた。その一つはカーの「盲目の理髪師」であり、もう一つはアラン・グリーンの“What a Body”(「くたばれ健康法!」)である。…」
カーの「盲目の理髪師」はまだ読んだことがない。
いずれ読んでみなくては。
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