教育者もおられる

2011-04-02 14:50:05 | 塾あれこれ
先日の続きです。
もちろん立派な校長もおられます。

とある塾の集まりに、山口県で教えておられた校長が
講師として招かれました。(現役引退後です)
集まりを主宰する塾がしっかりしているので、招かれた
相手が塾ではあるが、臨席下さったのでしょう。

私はもちろん話を伺う十数人の中の一人です。

私個人の主義として会終了後の名刺交換もしません。
(名刺を持たない人生。・・自分勝手ですねえ)

その代わり、後刻、手紙を差し上げます。

数日後、校長先生から返信を頂戴しました。
それは予想すらせぬことで、恐縮至極となりました。
面談形式の会ならまだしも、ただの(聴衆)に返信です!

しかも私の手紙にあった不明に丁寧なご指摘・説明まで
して下さいました。

古風な、これぞ教育者という方ですね。

さらに後日、追加の説明まで頂きました。
日々(行き届く)仕事をされているのですね。


このブログでも何度か書いておりますが、私が小5で
広島市へ転居したときの学級担任がT先生でした。

後に同校の校長をされ、退職後はご自宅の地域の公民館で
活動をされています。

教え子はいったいどれほどの数になるでしょう。
私たちの時代は1クラス60名を超えていました。

卒業して暫くは年賀状を差し上げたりしていましたが
いつの間にか途絶えていました。

50近くなって小学校の同窓会があり、その折に手紙を
差し上げた処、丁寧なご返事を頂きました。

先の校長もそうですが、返事が早い。
これが教育者のコツかもしれませんね。

それから、偶に思いついたように手紙を書き
そのうちに駄句まで送りつけるようになってしまったことは
以前書きましたよね?

「俳句を始めました」と実にひどいものを2~30送ると、すぐに
「いいね」とご返事が来、いくつかの作には○が付いています。

いま思えば、先生はお忙しいのに何と言う教え子でしょう。

その後も何度か送りつけ、ある時などは珍しく先生の返事が
2週間くらい遅れたので催促までしてしまいました。

いや、恥ずかしい。

それでも限りなく優しいのが恩師。
一歩ずつ成長へ導いて下さいました。

最近は私が作句をほとんどしないので送ることもありません。
ほっとしておいでかなあ。


どこかの塾のオッサン(私)は優しさを少しは見習わないと。


『てっぱん』終わりましたね。
(ベッチャーの囃が違ってたぞ。祭りのロケも手抜じゃった)

写真は土堂小学校。
ちっとも変わっていません。

入口に向かって左、昔はウンテイやタケノボリがあったなあ。


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