小せぇ

2018-04-17 09:40:25 | 塾あれこれ
第二次大戦をはさんで「沈没」した祖父母の頼りは長男だったでしょう。
私の父です。

ところが長いシベリア抑留で半分壊れてしまって
これも頼りになりません。

そこで戦後に生まれた私に期待が掛かった、
昔は長男という言葉に重みがあったのですね。

ところが私ときたら期待を裏切る虚弱体質
「よく生き延びた」と思われた存在でした。

祖母の溺愛の条件がそろっていますね。


運動能力のない、気分屋の私には友達も少なく
彼らとの摩擦も多かったようです。
今の私からみても嫌なガキでした。

それでもジジイのこの年まで生きてこられました。
周りの方々には感謝しても、しきれないですね。

『モヤシでも木々の真似してへろり立つ』


体力がないだけでなく頭もトロかった私は
転校してきたここ広島では中学になると坊主頭、という
話に抜け道があると聞き、母に言い放ちました。

「ぼく、私立に行きたい」

いくら子供とはいえ家の経済くらいは知っていた筈、
情けないガキでしたねえ。


何とか近くの私立中学に入れたものの
今度は周りとのギャップに悩まされます。

生活水準、学力、体力、運動能力・・・

中でも自分ちの貧しさは恥ずかしく
周りに溶け込めませんでした。

中1のこの時期でしたか、周囲の会話についていけない
ことがありました。

TV

どの家庭にもあったようですが我が家にはない!

親に必死で頼みました。
「テレビ買うてぇ」

バチあたりでしたねえ。

『馬鹿息子 親に同情するわたし』


最新の画像もっと見る

コメントを投稿