今の日本が崩壊している原因に団塊世代の責任も
ひとつあるのではないかと疑っています。
もちろんただの感想で、証拠はないのですが。
過去から伝わる文化を途切れさせたのではないか?
学生時代、紅衛兵ばりに旧来の価値を否定した感覚
が残っていて、古いものを継承すべきという心性を
持っていないのではないかなあ。
自分達は幼いころに教育されているので、向上心や
努力などの日本文化のよさを身につけているのだが
後の世代にそれらを伝える努力ができませんね。
そうしておいて(ないものねだり)をします。
例の「今の若いものは・・」
○
伝えるためには苦言を呈する必要もあります。
何を伝えるべきか意識をはっきりとすることと
嫌われる覚悟をすることが大切です。
嫌われることはつらいことです。
でもね、苦言を呈さなくてもどうせ嫌われてます。
私達だって若い頃意味もなく年寄を嫌いました・・
無自覚に生きてきましたねえ。
○
十年以上前、勤めていた塾をやめ、送別会を開いて
いただきました。
酒が回るほどに
「イノさんがいなくなると誰も言わなくなるな」
バカヤロと思いました。
嫌われ役を押し付けていたのは誰だ!
まあ口うるさいのは性格だからそう言われても
反論はできなかったのですけれども。
◎
鼻の穴の黒い、ひげもきれいに剃らない、一言で
いえば見るからに汚い若手落語家がいました、
三十年前の話です。
今はTVにもしばしばお出になってご立派になら
れたらしいのですが、小器用な人物でした。
ただ(噺家)にはなれないでしょう。
先代正蔵の弟子でしたので彼が一門会で落語を
披露する場にめぐり合わせました。
「たがや」
(ご存じない方はネットで調べてね)
下げのところで
「首をポーンとはね、あがった、あがった~
たーが や~」
こうやって高座を降りました。
下げの印象的な噺ですよね。
一門会ですから最後は先代正蔵です。
「あれはいけませんね」と苦言を呈した。
「稽古をしに来ないでレコードで覚えるから
ああなる。
首がぽーんと上がるのを目で追って
たがや、と声をかけて終わるのだ。
あがった、あがった、はいけません。」
ひゅるひゅると上がる花火に「あがった」と
声をあげるのは江戸っ子らしくありません。
録音ですと目で追うだけでは分りませんから
やむを得ず「上がった」と言います。
それを知らないで手抜きの勉強をするので
形だけの落語になってしまうのですね。
○
師匠とソリがあわなかったのでしょう。
先代正蔵=彦六と晩年ケンカ状態にあった
円生一門に走っちゃった。
戦国時代で言うなら「寝返った」という
(武士の風上にも置けねえ)ことです。
鼻黒君は意趣返しをしたつもりでしょうが
あれが弟子かと言われずに済んで気が楽に
なられたでしょうね。天国で。
○
鼻の穴が汚くて客の前に出られるという神経は
衣装が不潔な舞妓みたいで、ありえねー
・・はずなのですがね。
師匠が勉強をしろと言った苦言も彼には
届いていなかったのでしょう。
まあ、苦言というものはおよそそういう運命に
あります。
無視とセットですね。
ただ、それでも言わねばなりません。
そこで手をぬくから官民あげてのブザマな日本に
なってしまうのです。
苦いことをいうものがいなくなれば、ガタガタと
崩れるスピードが速まるのは事実のようですね。
ひとつあるのではないかと疑っています。
もちろんただの感想で、証拠はないのですが。
過去から伝わる文化を途切れさせたのではないか?
学生時代、紅衛兵ばりに旧来の価値を否定した感覚
が残っていて、古いものを継承すべきという心性を
持っていないのではないかなあ。
自分達は幼いころに教育されているので、向上心や
努力などの日本文化のよさを身につけているのだが
後の世代にそれらを伝える努力ができませんね。
そうしておいて(ないものねだり)をします。
例の「今の若いものは・・」
○
伝えるためには苦言を呈する必要もあります。
何を伝えるべきか意識をはっきりとすることと
嫌われる覚悟をすることが大切です。
嫌われることはつらいことです。
でもね、苦言を呈さなくてもどうせ嫌われてます。
私達だって若い頃意味もなく年寄を嫌いました・・
無自覚に生きてきましたねえ。
○
十年以上前、勤めていた塾をやめ、送別会を開いて
いただきました。
酒が回るほどに
「イノさんがいなくなると誰も言わなくなるな」
バカヤロと思いました。
嫌われ役を押し付けていたのは誰だ!
まあ口うるさいのは性格だからそう言われても
反論はできなかったのですけれども。
◎
鼻の穴の黒い、ひげもきれいに剃らない、一言で
いえば見るからに汚い若手落語家がいました、
三十年前の話です。
今はTVにもしばしばお出になってご立派になら
れたらしいのですが、小器用な人物でした。
ただ(噺家)にはなれないでしょう。
先代正蔵の弟子でしたので彼が一門会で落語を
披露する場にめぐり合わせました。
「たがや」
(ご存じない方はネットで調べてね)
下げのところで
「首をポーンとはね、あがった、あがった~
たーが や~」
こうやって高座を降りました。
下げの印象的な噺ですよね。
一門会ですから最後は先代正蔵です。
「あれはいけませんね」と苦言を呈した。
「稽古をしに来ないでレコードで覚えるから
ああなる。
首がぽーんと上がるのを目で追って
たがや、と声をかけて終わるのだ。
あがった、あがった、はいけません。」
ひゅるひゅると上がる花火に「あがった」と
声をあげるのは江戸っ子らしくありません。
録音ですと目で追うだけでは分りませんから
やむを得ず「上がった」と言います。
それを知らないで手抜きの勉強をするので
形だけの落語になってしまうのですね。
○
師匠とソリがあわなかったのでしょう。
先代正蔵=彦六と晩年ケンカ状態にあった
円生一門に走っちゃった。
戦国時代で言うなら「寝返った」という
(武士の風上にも置けねえ)ことです。
鼻黒君は意趣返しをしたつもりでしょうが
あれが弟子かと言われずに済んで気が楽に
なられたでしょうね。天国で。
○
鼻の穴が汚くて客の前に出られるという神経は
衣装が不潔な舞妓みたいで、ありえねー
・・はずなのですがね。
師匠が勉強をしろと言った苦言も彼には
届いていなかったのでしょう。
まあ、苦言というものはおよそそういう運命に
あります。
無視とセットですね。
ただ、それでも言わねばなりません。
そこで手をぬくから官民あげてのブザマな日本に
なってしまうのです。
苦いことをいうものがいなくなれば、ガタガタと
崩れるスピードが速まるのは事実のようですね。