「教えない」で楽しいか

2012-11-16 10:35:26 | 教えない
教えない、で楽しいワケがない。

では楽しくなければ、しないのが良いか?
楽しいことをしていれば世の中が上手くいく、というのが
ここんとこの世相でしたね。
それで、上手くいってるのだろうか?

学校の先生の場合、子供が目の前で喜んでいるから
間違えやすいですが、楽しいメリットは実は教える側に大きい
これはやってみれば分かります。

問題は上手くいかないときに責任が取れるかということで
そこまで考えて、証明を得て、生徒に向かっている人が
全てだとは思えません。
(間違ってたらゴメンなさい)

本当に相手のことを考えれば嫌われても苦いことを言う
こんな文化は絶滅危惧種、それもCRに近いかもしれません。
すでに団塊の世代でそんなやつ少ないもの。

あるいは楽しくないけれど必要な仕事をする、これを人は
どう見ているか。
昔ほどの敬意が払われているとは思えません。


「教えない」とは加減が難しいことです。
昔じゃないんだら、現在目の前にいる子供たちは
今の世の中でそれなりの育ち方をしてきました。

彼らに一気に昔の厳しい「100%放っておく=教えない」では
付いてくる子供はいないでしょう。

教える側もその重さは我慢できないでしょうね。

よって、徐々に「教えないで済む」方向に導くのですが
様子を見ながらの微調整が延々と続くことになります。

場合によれば甘ったれているのを厳しく指導しなければ
なりません。

教育というのは、気恥かしい言い方ですが、愛が必要。
その愛する可愛い子供が苦労して助けを求めているのに
嫌われることを覚悟で臨むなんて
「正気の沙汰」ではないのかもしれません。

楽をしたい若者にはお勧めできない世界ですね。

私もクタビレタ。あと数年後には完全リタイアです。

カミサンは「ボケないように」ボランティアでも
続けられるのでは、と言ってくれますが
趣味で子供に厳しくして、誰がついてきます?

「やだ、ウゼエ爺」に決まっています。

老後、どうしよう?


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