極端な秘密主義だった

2007-02-26 13:49:12 | 塾あれこれ
山口塾に勤めていたときです。

組織のことを最優先させました。
小さなことでもできるだけ他人には教えなかった。

山口塾中学部を立ち上げるときに前の塾長が
「保険」をかけたのですね。
井上という、さして実績も上げていないものに全面的
にまかせるのは不安だったのでしょう。
別会社にして発足、安定したのち吸収と以前書きまし
た。しかも発足のときに前塾長と親しい別の塾の経営
参加をさせたのですね。なんと、でしょ?

それがイヤで。
その塾をイヤというのではありません。
考えが違うところとの機械的な結合が無理なのです。

向こうも早々に引き上げられました。

そのあと次第に秘密主義が強くなりました。
毎月のテストも完全に自前で作りました。
先生方からは負担の大きさに、ぶ~ing

3A態勢になってからは他塾からの見学も
その教室だけは見せませんでした。
3Aの教室にどんな本を置いているかすらダメ

それらは企業を優先させたからです。

今は反対に
差し支えのないことは全てオープンです。
隠すほどのことは持っていないというのが正しい!

自分のオリジナルがあるならまだしも、人に教わり
本を読み、仲間と競争し、授業を盗み聞き・・
そんななかからできた「自分流」です。

中でも山口恭弘前塾長には教わりました。
塾で一番ぶつかったのが私で、一番尊敬していたのも
私でしょう。
生徒たちにはよく「あのハゲ」とか言ってましたので
先生、気分は悪かったでしょうね。


何でも書くとかいっても法令遵守はきちんと。

それとプライバシーの保護。

つまり、今の塾でのことは書けないということです。
多少個別の事例を書いているのは全て山口塾時代の
話です。(それもなるべく抽象化して)

さてそうすると、教育というのは「個別」に対応すべ
きというのに個別事例を書けないというジレンマに
とらわれるのです。

小説にモデルの人物がいるときに使う手法で書く?
考えましたが止めます。

前置きばかり長くなっていますが
書きづらいという証拠でしょうね。

今日は企業経営を考えなければ何でも言える
という話でした。
つづきます。


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