一番のことば

2008-12-30 18:08:37 | 本の話
今年も国の内外を問わずいろいろありました。
私もいろいろありました。

ダラダラとブログも続けましたね。
来年はどうなるのでしょうね?


今年、一番の言葉を書いておきます。
私も忘れないように。

以前にも触れました白幡洋三郎『プラントハンター』

「時間の経過というものは酷なものだ。
 ある時代に有名だった人も忘れ去られる。
 無名だった人々の仲間入りをさせられ、歴史の中に
 埋もれてゆく。
 いやむしろ時間は公平なのかもしれない、有名も
 無名も同じ忘却の淵に投げ込んでゆく、とみれば。」

歴史上の多くの人々を見続けた方の感慨です。


今は有名になりたい人ばかりです。

名前が、名誉よりも金銭と強く結びついています。
西欧風とも現代風とも言えるでしょうね。

ただね、歴史の流れで見れば名前は速いか遅いかの
違いはあれほぼ等しなみに消えてゆくのです。

ごく有名な人を除けば。

源義経とかアブラハム・リンカーンとかになると
永遠に残るでしょうが、多くは悲劇的な最期です。

私なんぞは無名でもいいから悲劇はご遠慮したい。


フランス革命の頃、メートル法を確立するために
多くの人が努力をしています。

ラボアジエ、クーロン等学者の名前は残っていますが
大変重要な役割を果たしたルノワールという人物は
姓しか残っていないのだそうです。

良い仕事を数多く成し遂げたのに技能者であったので
フルネームが残らなかったらしいのです。

当時の政治家などは調べれば名前は分るでしょうが
実質的には無名の大衆の仲間入りです。
ルノワール{Lenoir}さんの感想はどうでしょう。
当時は政治家が遥かに著名だったが今は同じ程度・・

著名とは同時代の人間にむけ大きな顔ができる程の
ことなのです。
ノーベル賞受賞者だって我々にはほとんど分りません
よね。もらった当時は著名でしょうが。


名を惜しむ、という言葉があります。
これはある意味で著名ということと正反対のように
思います。

自分の生き方の問題だからです。
自らの心や信条に恥じない生き方をするために
名を惜しむ、のです。

著名にはなりたくありませんが、名は惜しみたい
と思います。
惜しむほどの名前があるのか、と言われればゴメン
するしかありませんけれども。

晩節を汚すな、の意味で
「折角有名なのだから、名を惜しめ」
というのは厳密には誤用でしょう。

何だかまたダラダラと書いてしまいました。
来年はどうなるんでしょう?

デフレからスタグフレーション、ハイパーインフレ
・・・?
そうじゃなくて、このブログ続くのかなあ?

追伸
 メートル法のルノワールの話などは
 高田誠二著『単位の進化』講談社学術文庫です。


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