何度か見ました。
流行ってるのかな?
どこかで流行ったのが地方まで及んできたのかな?
悪いことではありませんね。
詩を書くのに、方言の力が下支えしてくれるように
人が生きるのには暗闇の感覚が必要なのです。
暗闇を知れば昔の人々と心を共有できますから。
私の子供のころはまだ夜が濃かったですね。
鼻を摘まれてもわからない暗闇もありました。
家の中が結構暗いのですから、外は暗かった。
○
上の写真は母が生まれ育った大三島の家です。
随分前に取り壊され、後に建った家もすでに古び初めて
いるそうです。
小学生の頃お祖母ちゃんチに行くと夜が暗かったですね。
土間と広い台所と囲炉裏の間と客間、これだけ合わせて
照明の電球が一つ、それも20W。。。
用がある部屋に電球を移動させて使っていました。
他の家もそうなのです。
電気の「配給」がそれ以上の灯りを許可しなかったのです。
○
話が飛びますが大学生の時、竹富島に民宿しました。
電気が夜8時になると消えるのです。
全島真っ暗。
用がある家は石油ランプを灯していましたね。
○
「夜道が光ってたら気をつけないと、水がある」
水たまりくらいでも驚きますがねえ。
もっと暗くなると道がうっすらと浮かんできます。
周りが暗すぎるのですね。(新月など)
瀬戸内の島では道に白い石がゴロゴロしています。
どこかからの淡い光をその石が微妙に反射するのですね。
じいっとしていると道筋が浮かぶ、ホッとしたものです。
それ以上に暗い時は本当に何にも見えません。
空がうっすらとでも明るく山の稜線が見えでもしたら
まだしも、何にも見えないと一歩が踏み出せません。
子供ですからねえ。
宇宙の中にいる孤独。
孤独すぎると世界が無音の静寂に包まれます。
○
暗闇体験も一人じゃなきゃ本物じゃないのですけれど。
そばに誰かいたら怖さも半減だよね。
○
暗闇が深いほど、お月さまの有り難さも身に沁みます。
いにしえの歌人の心が伺えますね。
夜、屋外のトイレに行くのに月でもなけりゃ、ああた。
水木さんならずとも妖怪に会えます。
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