井上家累代墓

2013-05-05 11:26:07 | 塾あれこれ
随分前叔父が死んで、祖父母の家はその時に壊しました。
借地の上に建てた家だったのです。

よって私と尾道を繋ぐものは墓だけとなりました。
街で同級生とお会いしても、お互い分からないしね。

駅からむかって本通り商店街に入るとS薬局
ここの娘さんは美少女だった、あこがれてたなあ。
少し行くとTスポーツ店、
頭も性格も良く、かつスポーツ万能=Tくんの家

今のしみず食堂の向かいに幼馴染のOHくんの家

などなど
・・・いずれも家に入ってゆく勇気はありません。


朝広島を出ればJRを遣っても夕方になるまでには戻って
こられますから、墓を移すほどの距離ではありません。

ま、移すとなればお金もかかりますしね。

それよりも尾道の町との縁が切れるようで
移す気にはなれません。

祖父母がせっかく建てた墓ですしね。


尾道の家は戦前に建てられたようです。
奥に小さな庭を持つ二階家で下が二間、上も二間、
私が生まれて幼少期と、中断があって小学四年前後と
住んでいましたから記憶は鮮明です。

二階の奥、中庭に面して廊下がありました。
今なら小さなベランダ風でしょうか。

ものゴコロついた頃にはすでに「モノ置き」に
なりかけていました。

その奥の方に琴が立てかけてありました。
「はて?」

母は音楽に無縁、祖母も琴など弾きそうな感じは
ありませんでした。
「なんで琴があるん」と尋ねても、だれも返事を
しませんでしたが、あるとき家族が触れないでいたことを
チラと耳にすることがあったのです。

長男である父の上に女の子がいたこと。
若死したこと。

きっと彼女が弾いたのでしょう。

明治44年生まれ、後年に知ったことです。
大正13年10月死去。

ショックであった筈です。
可愛がられていたらしい。

孫である私にも、何も言わない祖父母でした。
写真もまったく残っていません。


井上家累代墓は、井上幸兵衛が建てています。

大正十三年十一月。


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