山頭火

2013-10-18 18:26:55 | 塾あれこれ
山頭火も好きです。

好きな俳人は多いですが、山頭火は
やはり気になる存在ですね。

といっても文庫本の句集を持っているくらいです。

人気が高い人ですから、それを「好きです」というと
いかにも安っぽい感じがしますよね。
ですから友達には言えない。

でも、馬鹿にされそうだけれどやっぱり好き。


といっても自由律は難しい。
分かりませんね。

五七五が分かりやすい。
芭蕉や蕪村の字余りだって、私には
よく分からないところもあります。

「かれえだに烏のとまりたるや秋の暮」

思いっきり字余りですね。
学校でこんなことしたら叱られます。

名句だろうと言われると、なるほど、とも思い
ますが「からすのとまりけり」はどうか。

中を7音にして「からすのとまる」ではどうか。
「からすの一羽」なら?

私が作るなら「枯れ枝にからす一羽か秋の暮」

そりゃ芭蕉が良いけれども、自分が五・十・五の
季重なり俳句を発表できるか、全く自信はありません。

つまり、分かっていない。


自由律となると更に格段難しい。

有名な「まっすぐな道で さびしい」

たしかに凄い句だけれど、以下と比べて
何が違うのか、説明できません。

つまり、分かっていない。

「まっすぐなみち さびしい」
「みちまっすぐで さびしい」
「みちまっすぐの さびしさ」
「みちまっすぐはさびしい」

「まがり道を安堵」
「ひたすら西方 道ひとつ」
「西日さすまっすぐなみち」
「いっぽん道つづくさびしさ」
「さびしくて みちまっすぐ」

いくらでっちあげても遥かに及びません。

で、何が違うのか
どうすればよいのか


メディアのさわぐ句には作者のドラマが
くっついていることが多いですね。

薄幸、夭折、美人、百歳超、小学生・・

山頭火も芭蕉も、ドラマがあって評価を
上げている面がありそうです。

子規も健康で長生きしていたらどうか?

句は、余りに凝縮された世界であるために
一見、見通せるようでいて、分からない。
そこで付加価値のストーリーが要るのです。

「すっごい、耳が聞こえないのに交響曲を
作曲するんですって」・・みたいにね。

普通の平凡な生き方をしつつ世に出るのは
至難のわざ。
目立てばよい、という風潮が蔓延します。

がんばってね。


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