「せんせ、教えて」・・これは甘いささやき

2011-07-27 11:24:09 | 教えない
しつこく書いていますが、勉強は教えてはいけません。

人の勉強の大きな流れは、サンドイッチ。

初めは教えないとできません、
真ん中で「教えず」
最後にはまた教えてもよい。

自律を促すためにどうしても真ん中の「教えない」を
通りぬけてもらわねばなりません。

この部分が現代の日本では脆弱極まりないのです。
国を挙げて甘やかしているのですから、そうなる。

よって塾業界でも少数派ではありますが「教えない」を
皆で叫ばなくてはならないのです。



「○○の資格をとるなら△専門学校、☆塾」

こんな宣伝ばかり目立ちます。
近頃は高等学校まで(私立など特に)手に職を路線です。

悪いことではないのですが、きっと、手とり足とり
楽しく学んで資格も取れる・・「良い学校」

ニーズが大いにありますからどこもそうなるのでしょう。

しかしそこで資格を得ては、ベルトコンベアに乗ったまま
受け身の態勢で社会へ出てしまうのが目に見えるようです。

できればそうやって資格をえた人の世話にはなりたくない
ですね。
マニュアル通りのケアだけしか行わないでしょうから。

新聞にU17のサッカーの記事が載っていました。
対ブラジル戦、日本チームは選手が自分たちで考え
実行に移すことができなかったそうです。
トライしたかもしれませんが敗戦に終わりました。

もっと自立を、いつまでこんなコメントがつくのでしょう。


自立を促すべく塾が少しずつ「教えない」に移りかけると
生徒はシンドイし、早く出来るようになりたいものですから
親や出来る友達、学校や塾の別の先生などに
教えてもらおうとします。

勉強をしようというのですから、元々は褒められるべき
ことなのですが、ある時点では「教えない」「自律を」
ということの妨げになります。

中学の後半から高校生にもなって自助努力はせず安易に
「せんせ、教えて」はないでしょう。

楽をしたいだけじゃないか・・私は冷たく対応しますが
普通の人は(勉強する気を認めて)分かり易く教えます。
しかも「~だけ覚えればよい。××は出ない。」
なんて情報までお土産につけてやったりするのですねえ。
(そんなことは自分で見つけるべきことでしょう。
 一見ロスのような道こそ将来伸びる道なのです)

教えない、自分で考えなさい、は骨抜きにされます。

そのまま自立せずに指示待ち人間へ育つならば
教えた人の罪は大きいといえます。

・・・説明が短絡的すぎますが。


教えて、という生徒が可愛いのは分かります。
ただ、少なくとも、その生徒に何が分かっていて、
どこまで考えたかを探りつつ教えて欲しいですね。

面倒がらずにじっくりとつきあって欲しい。
たとえ生徒が結論だけを求めてきても。

それを安易に対応するのは、一見生徒のためのようで
(私も以前は「~のため」と思って教えてました)
実はその人の可能性の足を引っ張っているかもしれません。

分かり易く、面白く教えて、自分の収入に結び付く
それって、魯迅のいう「食人」ではありませんか?


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