社労士(社会保険労務士)さんのひとり言

社会保険労務士ブログは早く卒業して、グルメブログにしたいものです。

時代は確かにめぐっていた3。

2005年10月05日 21時48分13秒 | Weblog
 「sr-ta3」さん。「時代は確かにめぐっていた。」に関するコメント、ありがとうございました。

 「人間関係に使うエネルギーの総和は不変である」と言うのは本当なのかもしれませんね。

 くらげのように、ただ存在していただけの高校時代。人間関係なんか考えてもいなかった時代です。それから地方の大学に進学するために地元を離れました。そして、小学生時代からの親友の事故死。

 地元の人間関係は、ほとんど皆無となりました。

 会社時代は、繰り返される転勤。その都度、生まれては消える人間関係。

 会社を辞めて驚いたのは、年賀状の3分の2が入れ替わったことでした。そして段階的に、会社時代の年賀状が消えていく・・・。

>しかし、その瞬間に生まれた普遍的なもの(幻想かもしれないが)は、今の人間関係に投影されている。
>そして、途切れた人間関係は歴史となるのであった。

 古い人間関係を整理しながら、新しい人間関係を作っていく・・・。消えていった人間関係は、私の中で蓄積しているのでしょうか? 
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時代は確かにめぐっていた2。

2005年10月05日 19時39分48秒 | Weblog
 私が会社を辞めた時、二人の先生にはお会いできませんでした。お二人には手紙を書いたのですが、返事が来たのは一通。もうお一人からは返事は来ませんでした。

 返事をくださった先生は、私が会社を辞めた当時、入院されていました。若い(その時、まだ40歳後半ぐらい。)先生だったので、軽い病気だと思い「先生。早く元気になって退院され、病院に戻ってきてください。」と書いたのですが・・・。

 私が地元に帰ってしばらくしてきたハガキには、「君の性格ならどこに行っても大丈夫。グッドラック。」と書かれていました。黒々とした跳ねるような字でした。

 数ヵ月後、今度は奥さんから手紙が来ました。中身は・・・。

 先生が亡くなられたと言う内容でした。奥さんが切々として書かれた内容には「最後まで神経を病むことなく亡くなったこと。」「『まるで夏休みが終わるのに宿題が終わっていない学生みたいなもんだ。』と笑っていた。」とありました。

 おそらく、私へのハガキは病床で書かれたのでしょう。自分の事を他に押しやって、私を励まされたのだと思います。

 社会保険労務士となって、先生の家に行き、仏壇に線香をたむけさせていただきました。生前と同じ、ヒゲもじゃの優しいお顔がかざってありました。

 会社を辞めた5月になると、先生を思い出します。そして、「私の宿題は終わったのだろうか?」と自問自答するのです。

 
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時代は確かにめぐっていた。

2005年10月05日 07時41分19秒 | Weblog
 隣県出張のご報告です。

 確かに時代はめぐっていました。私が会社を退職したのが平成8年。そこから9年もたてば当然なのかもしれません。

 O先生。私が会社を辞める時、最後に家にまで呼んでくださり、食事をご馳走していただきました。9年ぶりに医院を訪ねたのですが…。出てこられたのが娘婿の先生でした。

 話によると、先生は5年前に倒れられ、意識不明の状況なのだそうです。

 私としては、不義理をしてしまったな・・・と言う気持ちが残っています。

 会社を辞めると言うことは、それまでの人間関係を失うと言う面が強いです。実際、あれだけ仲が良かった(と思っていた)会社の同期からは、年賀状すら来なくなりました。(こちらも出せなかったのですが。)

 しかし、人間関係を失うことは簡単。放っておけば消えてしまいます。しかし、いつどこでその人間関係が必要になるかわかりません。仕事上、関係が消えてしまっても、最低の義理は果たしておくべきだ…と思うのです。

 娘婿の先生によると、先生は私の話題を良く出されたそうです。それをお聞きして、仕事を超えた人間関係を失ってしまったことを悔やんでいます。 

 それが仕事を離れた関係であっても大事にしておくべきでした。
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