ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

再録「汗かき日記」第四部(中のはじめ)

2010年11月28日 | 日記
      「フラフラでございますわ」

だがあふれる期待に反して、不安が勝ってしまった。第1ホー
ル(510ヤード、パー5)は、13打もたたくことになった。これ
では前回と同じではないか、どこに練習の成果があるというの
だ。憤懣やるかたない気持ちでいっぱいだ。

2番ホール(405ヤード、パー4)は、瀬戸内海を眼下に豪快な
ショットを打つという設定で、ドラコン(ティーショットの飛ばし
を競う)のかかったホール。

数年ぶりにゴルフをするというO氏は、大きなクラブを使わず、
アイアンを2,3本肩にかついで、広いフェアウエイをのんびり
闊歩してゆく。練習する間もなかったと本人が語るように、ゴ
ルフ道具は手入れされることなく、昨日まで倉庫のどこかに押
し込められていたと想像できた。それでも、数年ぶりのプレー
を確かめながらする所作や、ゴルフそのものを楽しもうという
O氏の人柄があちこちに出て、とても好感が持てた。O氏は、
健康のためにと、この日とうとう最後までカートに乗らなかっ
た。(8打)

3番ホール(290ヤード、パー4)8打
4番ホール(151ヤード、パー3)6打
5番ホール(380ヤード、パー4)8打
6番ホール(181ヤード、パー3)7打
7番ホール(365ヤード、パー4)11打
8番ホール(410ヤード、パー4)7打
9番ホール(528ヤード、パー5)10打
ハーフトータルは、78打というサンザンな結果であった。

クラブハウスの入り口で、K夫人が
「もうフラフラでございますわ。」とおっしゃられたが、私自
身も全身びっしょりで、すぐさま更衣室で着替えてこなければ
食堂に入れないほどだった。


      「ひろし」のポーズ

食堂に入ると、八分の入りで、どのテーブルもプレー談義の声
がざわついていた。後半スタートまで50分間の時間待ちと伝
えられ、食事と休憩をする。息子はK師匠とN社長のテーブル
にいた。親に似ず183cmで大食漢の彼は、何品も注文したのか
、テーブル狭しと置かれたものを一心に平らげている。

K師匠は1番ホールで出したOBを、その後のホールで取り返し、
N社長と切迫した勝負になっているようだった。後半戦にむか
って、二人の舌戦が始まっているみたいだ。私は自分のテーブ
ルでリフレッシュするつもりでいたが、ハーフ78という期待は
ずれの成績に、みんなに顔見向けできないでいた。さらに疲れ
がでていた。

コースデビューした6月は、てんぷらスイングが効を奏し、グリ
ーンに乗せることが予想より楽にできた。400ヤード、パー4の
コースなら、単純に100ヤードづつ4回打って、3回パットすれ
ば7打『トリプルボギー)で上がることができる。ところがどう
だ、パー4なら2倍の8打なら良いほうで、3倍ほどもたたいてし
まっている。練習したはずのアイアンが、昇りや下りのコース
に慣れない結果、OBになったり、グリーンをオーバーしたり
と、前より飛び始めたボールは、さらに困難な結果を招いてい
た。中途半端に当たるようになったので、手がつけられないハ
メになったのだ。もうクラブを持ってスイングすること自体が
不安だ。

というのも今日の私のスイングは、いつの頃からか、ひざを折
って、体を傾ける「五木ひろし」の熱唱ポーズに似てきている。
これで拳を握ったら「五木ひろし」そのものだ。クラブをボー
ルに当てなければ、という意識が強すぎて、ちょこんと当てに
いっているのだ。斜めに構えたかっこうでは、とてもまともな
球は飛ばない。でがけに、もう一度背筋を伸ばして、後半戦を
スタートした。
10番ホール(461ヤード、パー4)8打
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再録「汗かき日記」第四部(前の後半)

2010年11月26日 | 日記
        頼みの渦巻きショット

息子の番になっていたが、もう子供のことを見ているゆとりは
なかった。その方向を目にとらえてはいても、「見えず」とい
う心理状態に陥っていた。秋のコンペ(競技会)まで時間があ
ると思っていたら、ほんの数回、各1時間ほど練習場へ行ったぐ
らいでは、やっぱりドライバーまで練習できていなかった。自
分の番が回ってくると思っただけで、その悔いが不安となって、
津波のように押し寄せてきていたのだ。

ただ、見よう見まねで素振りのかっこうはできていた。ちょっ
と見たところ普通に見える私の素振りは、ボールを目の前にし
てアドレスした際には、恐ろしいアッパースイングに豹変し、
ボールの上側をかすり、その反動でボールは懐かしのジェンカ
でも踊るかのようにジャンプしながら20、30メートルで立ち止
まってしまう癖があった。

初心者にとって、ドライバーのフェイス(ボールにあたる面)
が、ボールにまともに向いていることは至難の業に近い、とい
う。初心者のスゥイングは、きちんとした円が描けないのだか
ら、当たる直前のフェイス面は上を向いたり、下を向いたりし
てるのだ。またフラブヘッドが通過する位置も、その時々で変
わってしまっている。ボールに当てなければという「深層心理」
が働き、その場その場のよけいなおせっかいをしてしまうのが
原因だ。
私の場合、結果を良くしようと思う心が、さらになる不幸を招
いている。出来ない子ほど、なんとかしたいのも親心。前回、
周りの人々を驚かせた赤道鈴の助の「渦巻きショット」で行こ
う、前に飛んでくれれば幸いだ。

K師匠の奥様が、まことに綺麗なショットをされた。K夫人は
海外生活が長いようで、インドネシアでゴルフを覚えたと言っ
ておられた。話し方が丁寧で、「そうでございますわ」の口癖
が、嫌味なく聞こえる気配りの方であった。

次に、大阪から来たというOさんがアドレスにはいった。それ
を見ていて、次は自分の番だと意識し、焦り、こころの葛藤は
続いていく。でも今回の唯一の救いは4番アイアンを練習でき
たこと。ドライバーを打つ自信のないホールは、それでいこう
と決めた。
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準備万端、でも、

2010年11月24日 | 日記
12月が、もうまもなくですね。

私、ほなさんは本コースへ出る機会があるため、
たいへん楽しみにしています。

本コースへ出る時は、
ボールの準備、OK
当日汗をかきすぎた時の万一の着替え、OK
お風呂からでた時の靴下・下着、OK

続いて、万一の際の お腹の薬、OK
帽子、カッパ、ティ、などなど OK

と、準備万端し、前日の夜は早くから床に就き、
朝は、夜明けより早く目覚めます。

と、ところがです、、、
万一の事態に備え、幾重にも準備していると、
女房から、
「明日は、家出?ですか。」
と揶揄されました。

気付けば、
四畳半の和室に広がる衣服とグッズの数々に、
「ふぇー、どないしよう。持っていけん、、」

朝の食事を止め、しかるのちに下痢止めのクスリ
を飲んでもおいても効かない私のお腹と同じで、
いっぱい準備しても、結果は同じなんですね、
いっつも、、、。

今週の「ゴルフ煮っ転がし」は、他人事と思えません
でした。
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再録「汗かき日記」第四部(前)

2010年11月18日 | 日記
    ほなさんの汗かき日記(第四部)

        二度目のコンペ

 今年は台風の上陸が異常に多く、毎週くるものだから「週末台風」
というあだ名がつけられた。この週の台風は、週の前半に日本海側へ
台風が抜けていってくれたから、しばらく悪天候の心配はなくなり、
私ら親子はほっと胸をなでおろしたのだった。

9月中旬の土曜日、10名の参加者でコンペは開かれた。クラブハウス
の中のフロントから少し離れたところで、受付と打ち合わせをして、
10分後、組み分けが発表された。主催者側は、ハンデ等を参考に1グ
ループの総打数を予想して、競技がスムーズに進行できるように考
えるのだ。うまい者、下手な者を同じグループにすることによって、
どの組も平均的な総打数にさせるのが狙いだそうだ。初心者の私な
どは、下手な者同士組ませてもらったら、気兼ねなしでよいように
思うのに、そういうものではうまくいかないらしい。
下手な者ばかりでは、打数が多く、時間がかかってしまい、ゴルフ
場全体が流れなくなって、コンペ以外の他のゴルファーに迷惑をか
けてしまうからだそうだ。待ち時間があまりに多いというのも、リ
ズムを崩す原因になり良いスコアが出なくなるという。ゴルフの楽
しみのひとつは、ベストスコアを出すことだ。そういう他人の楽し
みに配慮するというのも、紳士のスポーツと言われるゆえんなのだ
ろう、と思った。グループ分けは、次のように決まった。

 第1組 私の顔見知りの方1名に初顔の方3名の計4名
 第2組 K師匠とN社長の宿敵コンビに、息子の計3名
 第3組 K師匠の奥さん、初対面の大阪人Oさん、ほなの計3名

第1組が4名であるのに、第2組、第3組が3名というのは、それだけ、
わが息子と私が打数をたたくと予定されたからである。前回のコン
ペで、厳しい試練を経験したK師匠ら主催者側の正しい判断である
が、ぜひとも今回は、その期待を裏切りたい、裏切ってやると思い
つつクラブハウスをあとにした。


        期待と不安の狭間

 NカントリーOUTの1番ホールは、全体が右にドックレッグした
形状で、広いフェアウエイにティショットを打ち下ろしていくホール
。瀬戸内海国立公園の内海に浮かぶ島々、それらを結ぶ橋、横たわる
海と空とが織りなす雄大なパノラマ景色に向かって、第一打をスター
トしていくようになっている。
ティグラウンド脇に留まった白いカートが縦に並んで、それぞれの順
番を待っていた。私たちが使うティグラウンドの後ろ、バックティと
呼ばれる社会人大会などで使われるグラウンドでは、スタートまでの
時間に、素振りをする者、談笑する者たちで、サロンと化していた。

 第1組のメンバーが、それぞれのティショットを終えて、スタート
していく。後発の第2組、3組からは「頑張ってこいよ~」の励ましや
ら、第1打をミスショットした者への冷やかし、またそれへの強がりの
返答が周りの笑いを誘う。緊張感のある和やかな雰囲気はコンペなら
ではのものなのだろう。ハーフ(9ホール)を回ってお昼に戻ってくる
まで、お互いがどんな結果になるのか、不安と期待をにドキドキする
時間でもある。

 第2組の建設会社のN社長は、40代の赤銅色の顔にがっしりした体格
で、全身これ「飛ばし屋」という風情。スラットした細身のK師匠と
は好対照の存在だ。スタートのティグラウンドで、物静かなK師匠が、
いつになくイキイキとした口調でN社長と話している。今回も幹事を
やって下さっているK師匠は、今日は最初からN社長と一騎打ちをす
るつもりだったのだろう。「好敵手がいてこそゴルフも楽しい」とい
わんばかりの嬉しそうな様子だ。隅っこで、息子は懸命な素振りをし
て、ブンブンいわせている。N社長とK師匠の間に入って、せめて飛
距離だけでも負けまいと企んでいるようだ。親としては、お二人の巧
者の勝負の邪魔にならないように祈るばかりだ。

「前が空いたようです。そろそろスタートしますか。」と第2組のキャ
ディさんが合図した。一番手のN社長は、パワーを押さえながら無難
なティショットをした。次にいつも冷静なK師匠は、「飛ばしや」N
氏を相手にすると、力んだのか第一打をOBさせてしまい、波乱を呼
ぶスタートをしていった。
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幕間のおしゃべり

2010年11月16日 | 日記
「ほなさんの汗かき日記」は、当初アメブロで
書きはじめ数年のち、ここgooへ移動してきたの
ですが、ついこの前のこと、取引先のIさんと
昼食をしたおり、
「ほなさんの名前はどこから?」
と尋ねられ、そうか、新しい読み手の方々はア
メブロ時代を知らないんだと、第一部から再録
することにしました。
ここに載せるにあたり、第三部まで読み返すと、
長いこと書いてきたもんだとワレながら思いま
した。

ところがギッチョンチョン、
そこのあなた、読み手のあなたには誠に気の毒な
お知らせがございまして、「ほなさんの汗かき日
記」(アメブロ時代)はこの程度では終わらない
のでありまして、なんと第五部まであるのですよ。

過去にプリントアウトしたものを集めつつ再録し
て行きますが、これからまだしばらくお付き合い
をお願いせねばなりません。

自分でいうのもなんですが、過去の自分が他人の
ようにみえて、書くという行為を楽しんでいるの
がわかりますし、今では失われつつあるゴルフへ
の新鮮な驚きがありますね。

お読みになってのご感想をできれば伺いたいと思
います。同じような失敗をしたご経験や珍プレー
など、楽しかったこと、気が重くなったことなど
コメント欄へカキコ、または直接メールをいただ
ければありがたいです。
メルアドは、
honasan_2006@mail.goo.ne.jp
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再録「汗かき日記」第三部(やっとオワリだ)

2010年11月14日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに
 載せたものを再録 現在はありません。)

     危険な試み

 あまりの暑さと体力回復を見計らって、8月からまた練
習場へ通い始めた。6月のNカントリーを廻った恥ずかし
い記憶に、次こそはもっと良いスコアを出しなさいと、
背中を押されて。息子といつもの練習場へ行ったとき、受
付横に試打用のドライバーがおいてあった。流行の大きな
クラブヘッドが印象的で、こういうのが振れたらなぁと思
っていたら、息子も気になったのか、打ってみたそうにソ
ワソワしているではないか。ここは一発、父親の権威を見
せて、
「使ってみてもいいですか?」
と受付嬢に頼んだ。愛想よく貸し出してくれたが、万一、
キズでもつけたら申し訳ないので、かまわないかどうかそ
れも聞いてみた。

 「初心者なんで、ダフッて傷つけることもあるかも。」
というと、メーカーが宣伝のために試打用クラブを置いて
いったから、心配しなくてもよいと笑顔で応えてくれた。
右用クラブだから私は打てないが、息子は大喜びで、大き
な「デカヘッド」を撫で回している。右利きと左利きが背
中合わせで練習開始。

 私はしばらくぶりの練習を確認するつもりで、小さなク
ラブを試しながら打っていたら、とっ突如、背中の方で、
何か光ったような気がした。連続して、
「ガリガリッ!」
と音がして、練習場に居た人々の視線がこっちに集まって
いる。
 光と音は、息子の打席からだった。借りたクラブを力い
っぱい振り回して、地面を叩いたらしい、頭をかいてニガ
笑いをしている。それに懲りて、おとなしくするかと思っ
たら、息子は汚名を返上しようと、さらに力んで、アドレ
スに入った。危ない!と思った時は遅かった。

 人工芝の手前に約30CM幅の黒いゴムのマットをダフリ
防止に敷いてあるのだが、そんなもので間に合わない。そ
のまだ手前のコンクリートめがけて、デカヘッドがいくで
はないか。息子は、学校で習いそこなったのか、音より光
が早いという、理科の実験をしてしまった。デカヘッドの
一部がコンクリートにまともに当り、スーット引いたよう
な光が出て、やがて端の打席の人まで驚く大きな音がした。
そのあまりの見事さに、
「やっぱり光が早いのか。」と私が納得したとたん、デカ
ヘッドは見事に二つに割れ、カランカランと打席の中を回
っている。

 流行のデカヘッドの中は、こんな構造か?なんて中をみ
る余裕はなかった。「やってしまった!」という後悔と、
なんてお詫びをしたらいいのだろう、弁償すれば10万円近
いのではないだろうかと、様々な心配が頭の中をかけめぐ
る。息子は青い顔をして、デカヘッドの割れた二つを合わ
そうとあれこれやっているが、手に負えないのはわかって
いる。
やがてどうしようもなくなって
「ハ、ハ、ハ」
と力なく自嘲した。

 借りたクラブを息子に持たせて、受付まであやまりに行
った。受付嬢は、お客に向かって貸し出すときに
「心配しなくてもいいから」と言った手前、
「メーカーのですから(弁償しなくて)大丈夫ですよ。」
と言ってくれた。
まさか硬いチタンのクラブヘッドが割れるとは、考えても
みなかったのだろう。でも、二つに割れたヘッドを受け取
ると、目が点になって、急いで
「支配人、シハイニ~ン!」
と声が上ずっている。本当に大丈夫だといえる雰囲気では
ないようだ。こうなった以上、ここに長居はできない。そ
うそうに料金を支払って、練習場を出た。

 また、この練習場へ来れるのだろうか。気まずさで二人
とも押し黙ったまま帰宅した。いつものことだが、私ら親
子の帰りの車中は、なんと沈黙の時間の多いことか。「往
きはヨイヨイ、帰りは恐い」を地でいってしまっている。

 せっかちでおっちょこちょいの親父とお人よしで無鉄砲な
息子の珍道中は、周りに迷惑かけながら行くしかない。無責
任だけど、今日はこう言っておこう
「ケセラセラ、なるようになるさ」。
そうでないと生きる気力を失うから。ゴメンね、みなさん。

     「ハズレ」くじゴルフ

 翌日、K師匠から、秋のコンペの案内が届いた。
9月下旬、この前のNカントリーでやると決まったそうだ。も
ちろん参加させて下さいとお願いした。まず、それまでに練
習場をみつけよう。それから、ドライバーなどの大きなクラ
ブが当たるようにしたい。たった二度のコース体験で、大き
なクラブが使えないとゴルフにならないというのが、よくわ
かったからだ。

 でも残念ながら、タイガーの連続写真は夢の中のことだっ
た。藍ちゃんの反り返るようなフィニッシュは幻だ。結論か
らいうなら、私のような初心者には真似のできる代物ではな
い、と。私の場合は汗をかくために始めたゴルフなんだから、
それだけは十分に効果を発揮できている。あとはどれだけ楽
しめるかが大事なんだ。

 子供のころ、駄菓子屋の「くじ」をよく買った。「くじ」
にはいろんなタイプがあったが、もっとも古典的なものは、
細長い紙切れのタバから一枚選んでひきちぎり、それを水に
ぬらすと「アタリ」「スカ」(=「ハズレ」)の文字が浮き
出る仕掛けになっていた。大きい景品を当てようと、何度も
やってみたが、とうとう一等は当たった記憶はなかった。3等
くらいが最高だったように思う。ひどい場合は、後日、一等
だけが高い値段で売ってあったりして、それを子供ごころに
不思議に思ったこともあった。ずいぶん後になって、それは
駄菓子屋の親父の「陰謀」だと知って、憤慨したことを覚え
ている。

 「ハズレ」やそれに近い「残念賞」ばかりをひいたために、
幼いころは嘆きと落胆ばかりの日々だったと思ってきたが、
最近になって、あの「ハズレ」があったから面白かったのだ、
と気付くようになった。くじには、最初から「アタリ」くじ
など無くともよかったのかもしれない。あの「ハズレ」くじ
が子供の夢を支えてきたのだ。そう思うと、あの駄菓子屋の
親父の強欲さも許せるような気がする。フーテンの寅さんは
失恋するから、映画が長く続いたのだ。

 今の私のゴルフは、この「ハズレ」くじそのもののようだ。
どこまでいっても当たらない、うまくできないことが私の夢
を支えて、楽しみの基となっている。急激にうまくなること
はできなし、その必要もないのだ。「ハズレ」くじに嘆き、
うまくできない運命を呪い、そしてそのこと自体を楽しみな
がらいこうと思った。

 町のあちこちから、盆踊り「よしこの」のリズム流れが、
眉山にこだまして聴こえる。にわか仕立ての踊子たちの、猛
特訓がはじまったのだろう。
蝉の鳴く声も慌しさを増してきた。夏を惜しみ、残り日の少
ないことを自覚するかのように。  (第三部 完)
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再録「汗かき日記」第三部(後の中)

2010年11月14日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに
 載せたものを再録 現在はありません。)


     練習再開か

 それから1週間経って、雨上がりの合間に、汗をふきふき、
ゴルフ練習場へ行った。いつものアル○トロスというこの練
習場は、低い山肌のさらにその裾野を開いて、長さ150ヤー
ドの練習場が作ってある。1階に24打席あり、同じく2階打席
もある。

 ここのよいところは、一面が天然芝なので、夏の昼下がり
でも、裏山から吹いてくる風が涼しく、練習の合間、うしろ
の席に腰掛け、火照った体と頭を冷やすことができた。平日
の昼は、夕方までずっと居ても最低料金だから、リタイヤ組
のおじさんが仲間を募って、和気あいあいと練習しているこ
とが多い。
それでも、さすがにこの時期は蒸し暑すぎるためか、お客は
居なかった。地面を覆う緑色の芝から、湿気を多く含んだ水
蒸気が、霧のように昇っていく。それを見た瞬間、来るんじ
ゃなかったと思った。冷たいコップの周り一面、水滴にまと
わりつかれた「うっとうしさ」を連想した。むっとする、よ
どんだ湿気。

ええい、こうなりゃ、さらに汗をかくしかない。
夢にみた一番大きなクラブ、あこがれのドライバーを振って
みた。一振りするごとに二度は「ふぅっ」と息がでる。小さ
なクラブは振れても、もともと振れなかったこういう大きな
ものは、まわすだけで肩で息をしてしまう。傷口はまだまだ
開いていて、動くたびに汗がしみた。こんなことでくじけて
はいけないが、練習開始は、ちょっと早かったみたいだ。サ
ウナの中で、息をしているようだ。やっとこさ、辛抱して30
分間練習し、傷口を押さえながら帰った。暑さが通り過ぎる
か、もう少し体力をつけてからか、どちらにせよ、しばらく
練習は中止だ。手術の跡の傷口に触わるから、今はズボンの
ベルトさえ満足に締めることができないのだ。ドライバーが
振れるようになるのは、いつの日だろう。

シャワーを浴びたら、疲れていたのだろう、そのまま眠りこ
けた。巣にもどる鳥の群れが飛んでゆく、夕暮れはもう近い。


       リラックスの難しさ

 私は左ききなので、意識せずクラブを振れば、当たったボ
ールはゆっくりと左に曲がりながら飛ぶ。これをスライス、そ
の反対側にカーブすることをフックというのだそうだ。初心者
はカーブするような球を打つ必要はないので、まずストレート
を打ちたいと思うのだが、これがどこまでもうまく行かない。
小さなクラブならまだしも、大きな長いクラブになるにしたが
って、それこそ一番長いクラブ、ドライバーになると、当てる
ことすら困難なのだ。

 物の本によると、ゴルフのスゥイングは、円形というより「
だ円形」を描いているらしい。このスゥイングがいつも規則正
しいものなら、その円周上の一点に球を置けば、間違いなく当
てることができるし、また、毎回同じような球の飛び方をする
はずなのだが、私のような初心者は、肝心の円の形が、一回、
一回のスゥイングごとに異なるから問題なのだ。だから球がク
ラブのどこに当たるか、たとえうまく当たっても、ボールの行
く先は、
「おーい、今度はどっちにいくの?」とボールに問うてみなけ
ればわからない。しかしボールの方も、
「今日は天気がいいから、右の方へいってきますわ。ほな、さ
 いなら」とでも返事するものでなし。

 また、ボールの行方を左右するものは、クラブの握り方を変
えただけでも異なる。野球のように同じバットを振るのと違い、
ゴルフクラブの種類は少なくとも10数種類以上あり、その使い
方によって、長さ、重さがみんな違うのだから参った。試行錯
誤のあげく握り方が決まっても、9番アイアンが7番アイアンに
変わっただけで、まるでスゥイングの感触が異なるのだ。もう
その瞬間から、まともな球の飛び方はしない。ひとつひとつの
クラブごとに、握り方、振り方を変えることは初心者には不可
能だし、結局、同じ握り方で、同じ円周を描けるように、同じ
スゥイングを心がけるしかない。そして、クラブが同じ軌道を
えがくために必要なことは、まず「リラックス」する、体の力
を抜くことだと、最近気付くようになった。

 ゴルフは心理ゲームだったのだ。止まったボールを打つゲー
ムの面白さは、プレッシャーからの焦りや力みを生み出す、あ
まりにも人間臭いものが魅力なのだろう。人と人の勝負という
より、自分自身をプレッシャーの中でどれだけ解放させられる
か、リラックスできるかが、自分の円軌道のスゥイングができ
る最短の道なのだろう。

 よく考えてみると、リラックスというのは、なんの局面でも
当てはまるように思う。うまく生きていくことの基本なのかも
しれないなぁ。
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再録「汗かき日記」第三部(後の前)

2010年11月12日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

        退院

翌日からトイレに行ったり、売店にも行った。点滴位置
が下になりすぎていることに気付かず、何度か血を逆流さ
せたから、そのたびに点滴のチューブがだんだん短くなっ
ていく。動くことにかけては、優等生だと褒めてくれたが、
何度も切ったので、寝ていることが不便なくらいまで点滴
のチューブが短くなってしまった。

当初、1週間の入院予定のものが、火曜日の手術、金曜日
で点滴が終わり、土曜日に退院した。退院する時、昼メロ
先生は、もうシャワーを浴びてもいいよ、と言ってくれた。
私の場合は癒着がひどかったせいで、手術に要する時間が
倍かかったし、体に空けた穴も4箇所になった。いちばん
大きなヘソ下の穴には、なまなましく開いた口に、バンド
エイドをちょこんと貼ってくれた。これでシャワーを浴び
たら、確実に剥げ落ちそうだったが、それでも心配ないと
いう。

病院からの帰途、仕事場に立ち寄り、1時間ほど書類の整
理をした。締日明けの請求書がきていたから、整理するに
はタイミングがちょうど良いと思ったからだ。久しぶりの
仕事で、頭がフラッとする。立っているのに疲れて、椅子
に座った。スタッフの連中と話をしたら、意外と自分の声
がか細いことに気付いた。声が出てないのだ。まだそんな
体調なんだろう。みんなに早く帰れといわれ、仕事を切り
上げた。

マンションに帰って寝ようとして、なんの気なしにそこら
へんに掃除機をかけていたら、女房に見つかって怒られた。
日頃はめったに掃除なんてしないのに、おとなしくしていろ
と言われれば、意識せずに逆の行動に出てしまう性格はやっ
かいだ。
ベットに座り、ひとり、退院記念のビールで乾杯。すーっ
と眠りに落ちていく。
静かな土曜日の午後だった。

病院から帰ってきたら、猛暑の毎日だ。「2-3日は仕事
を休め」とみんなから言われブラブラしていたが、今年の夏
はなんと暑いのだろう、久しぶりの本格猛暑。
自分が万全の体調でないからなのか、いやいややっぱり熱い
のか、今年の夏を乗り越えられるかどうか不安になる。
「息するのが辛いわ」と80代、90代の近所の年寄り連中と共
感。退院したら熱帯夜、こんなのは困るなぁ、ほんまに。

もともとあったのかもしれないがタバコをやめていらい、睡
眠障害(本人の自覚はない)に陥っているようだ。夜中であ
ろうが目が覚めたら最後、何時間も眠れない習慣になってい
る。でもそのことが困ったことだという自覚がないから、よ
けいに周囲のほうが参るらしい。だから、入院となって、個
室を希望した。これは私のわがままだけじゃなく、
「お父さん、周りの迷惑をちょっとは考えなさいよ。」
という家族からの警告があったからだ。

個室にしてもらったおかげで、目覚めたら何時でも、枕元に
おいた三冊のゴルフ雑誌をながめることができた。夜中に巡
回にくる看護婦さんは、ずっと電気がついているので眠れな
くて困っているのかと思ったらしいが、本人はとても嬉しか
ったのだ。子供のおもちゃと同じく、枕元に置いておくだけ
で、私は優しい安堵感に包まれていたのだ。


ドライバーへの募る想い

さてそういう病院のベットで観たウッズ(タイガー)や藍ち
ゃんのスイングを、病気を治して早くやってみたい、とウズ
ウズしていた。ゴルフ雑誌によって、四六時中(しろくじち
ゅう)洗脳された私の脳は、それが不可能であることには気
付かない。それらの雑誌には、私のあこがれ「ドライバー」
を振る写真がのっていた。

「ドライバー」というクラブは、私のように小さなクラブし
か振れない初心者ゴルファーにとっては、究極のクラブであ
るのだ。車好きな人にとってのF-1レーサーが、ウッズや藍
ちゃんであり、そのF-1車が「ドライバー」というクラブそ
のものだ。初心者セットにも「ドライバー」が入っているが、
宝の持ち腐れとなっている。クラブの中で最長のドライバー
を振るためには、まともなスゥイングができるようにならな
いといけない。これまでにもドライバーを振ってみたことは
ある。しばらく練習し、空振りすることが無くなっても、ボ
ールはまともに飛んではくれなかった。私のスゥイングその
ものに問題があるようなのだ。
だから初心者ゴルファーほなさんのあこがれは、ドライバー
が振れるようになることなのだ。

ゴルフ番組のワンポイントレッスンで「スコア100が切れる
ようになるには、やっぱりドライバーがキチンと振れるかど
うかの問題」などと言われると、150近い自分のスコアを忘れ
て、ドライバーへの想いはさらにつのる。

広大な緑のフェアウエイを見下ろすティグランドに立ち、日
本刀のようにすっくとドライバーを抜く。ゆっくりと構えるや
いなや電光石火のスゥイング。青い空をも突きぬけていくボー
ルの高い弾道に、周りの人々からは「おー!」という歓声が湧
きあがる。
こういう空想を病院のベットで幾度したことだろう。
「おー!」という人々の感嘆の声は、ドライバーのことを思う
たびに、私の耳の中をこだまして離れない。
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再録「汗かき日記」第三部(中の後)

2010年11月12日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

       おしっこ騒動

夕方個室に入ったものの、なにもする事がないという。息子
にゴルフ雑誌を3冊ほど買ってきてもらった。翌日、しゅっと
う医の昼メロ先生と術後担当の女医さんが挨拶にきてくださ
ってから、急に身辺があわただしくなってきた。手術は午後
2時からの1時間の予定だ。

看護婦がやってきて、言いにくそうに、全身麻酔だから、わ
が「ムスコ」にゴムチューブを入れるという。どこかでみたと
記憶のある地元の看護婦さんが、遠慮がちなしぐさと裏腹に、
慣れた手つきでグイグイとチューブを差し込んでいく。
「あっ!」とも「うっ!」ともつかない言葉の連発。うまく入
れてくれたのか、間もなくおしっこがビニール袋に流れ出た。
ほっとしたのもつかの間、おしっこをしている感覚がないとい
うのは奇妙で、出そうで出ない、出ないようで出ている、結局、
精神状態が不安定になる。困った。

幼い頃から、おしっこの飛ばしっこに生きがいを感じてきた私
に、このダラダラというのはとうていガマンができない。この体
の奥のむず痒いような感覚も困る。痛いなら痛い、とかはっきり
したものがないのだ。ベットの周りを袋をぶら下げたまま、散歩
して気分をまぎらわせようと試みた。いますぐ麻酔をかけてくれ
と言いたいのを我慢して、点滴とおしっこ袋を手にもって、ソワ
ソワ、ウロウロ。このまま2時間以上も辛抱できないよ。

そういう私の苦境を、妻は大笑いし、義父はそんな我がままを言
うなんてと眉をひそめる。そのうち、先生に、おしっこ袋をはず
してもらえないか頼んでもらったら、なんと快く承知してくれた
ではないか。ゴムチューブを抜いた後は、おしっこを絞り出すた
びに痛かったが、それよりもあのなんとも言えない感触から解放
されて、本当に助かった。

        「直前逃亡」事件

妻が大笑いしたのには理由があった。なにを隠そう、いやすでに
お気付きの通り、私はものすごい小心者なのだ。以前、歯が痛く
て辛抱たまらず行ったクリニックで、自分の番になって名を呼ば
れたとたん、不安にかられて逃げ帰った過去があるのだ。
あのキューンという歯をけずる機械音のするほうから、「アッ!」
という患者の小さな声が聴こえたのだ。それを聴いてしまっては
怖くて怖くて、もう診療室へ入る勇気を無くしてしまった。一目
散に家に帰ったら、家族中から大笑いされた。

それいらい、人として当たり前の勇気を取り戻すのに、約10年の
歳月がかかった。この「直前逃亡」事件があってから、顔なじみの
クリニックの先生は「ちょっと痛いけれど、麻酔なしでやりましょ
うか?」なんていう得意のブラックジョークを、私には絶対に言わ
なくなった。そう言われると、私がすぐさま帰ってしまう小心者だ
と知ったからだ。そしてまたこの男は10年も来ないのだから。


手術開始

まだTVが白黒の時代、しかもドラマといえば洋物ばかりの頃に、
大ヒットした「ベン・ケーシ」の番組の冒頭を想い出していた。
私はベットに乗せられたまま、右へ左へ、手術室を目指して運ば
れていく。天井しか見えないので、どこをどう行くのかわからな
いが、着いた所は、薄暗い部屋だった。数メートル横に、器具が
集まっているから、あそこで手術されるのか。

一本線の入った帽子をきた看護婦が、「このベットが最後ですよ。
入れ替えるから、移って下さいね。」と私を覗き込みながら言うの
で、仰向けのまま移動した。この部屋に大勢の人が集まってきた。

昼メロ先生が「はじめますよ、ほなさん。次に目を覚ましたら、
もう治ってますから安心して。ただし癒着がひどかったら開腹し
ますよ。」と優しく念を押した。「お願いします。」と私。
先生が準備に向こうへ行った隙に、私は神頼みをはじめた。熱心な
信者さんが聞いたら怒り出してきそうな、困ったときの神頼みだっ
た。

「なんみょうほうれん、なむあむだぶつ」、急いだ時は、南無だけ
でもよかったっけ。でも仏教だけじゃ足りない。
「私を救いたまえ、アーメン」「悪しきをはろうて助けたまえ天理
王のみこと」と知っている限り古今東西の神と仏に頼んでいたら、
枕元に来た先生が
「○○を○ミリ入れて」
と指示した声を境に、一瞬で意識が途切れた。

私に呼ばれ仕方なしにやってきた古今東西の神様、仏様は、その願
いの厚かましさ、無節操さにあきれはて、五月蝿い(うるさい)から
そのぐらいでやめさせたようだ。

どこかで呼ぶ声が聴こえる。「○○さん、、、、終わったよ」と女
性の声がして、右肩を何度かゆすられた。何か言ってくれているが、
判断がつかない。寒い、ものすごく寒い。氷の中に閉じ込められたよ
うに、寒くて筋肉が硬直している。自分の体はどうしたんだ、もがく。
それにしても寒い。
病室のベットに戻され、おむつをはずしてくれ、ガチガチ震えている
体に電気毛布をかけてくれた。終わった、無事に帰ってきたみたいだ。
寒くて動かなかった体が体温を取り戻すにつれ、だんだん平常になっ
ていった。

体が動く、穴をあけた4箇所の傷口はさして痛くなかった。二枚目
の昼メロ先生と術後担当の女医さんが様子を見にきてくれた。手術は
うまくいった、と表情からも読み取れる笑顔をしていた。
「中の癒着がひどくて、いちいち剥がしながらの作業だったよ。」
「以前だったら、間違いなく開腹していた」
と説明してくださった。
「傷口は痛くないか」と言うので、
「痛くない」と返答すると、
「痛くないはずはないから」と笑われた。
しかしホントにところ、痛みはたいしたことなかった。お腹の調子が
悪かったりとか、2日くらいの便秘したときよりも、痛みは軽い気が
した。

術後2時間もすると、驚くほど回復し、なんとか自分で立ってトイレ
に行けそうな気がしてきた。もちろんダメだといわれ、一晩、尿瓶(
しびん)のお世話になった。

それにしてもこの内視鏡手術の軽さには驚いた。術後、2時間もする
と自分の体が動くようになり、体を動かしても痛みが少ない。翌朝か
ら自分でトイレに行けたから、クーラーの利きぐあい以外、何も困っ
たことは起きなかった。
嫌なことは、ポコ○○に入れたゴムチューブの気持ち悪さ、麻酔が切
れた後の寒さだけだった。どちらもなんともいえない気分を味わった。     
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再録「汗かき日記」第三部(中々)

2010年11月10日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

        「昼メロ医師」登場

 古い地元の病院で、診察してくれた外科医師は、そのまま
「お昼のメロドラマ」に出ても遜色ないほどの二枚目役者風
だ。セットした髪があまりに見事で、患者の間でも有名な話
だったが、はからんや中身もよく、人柄と腕は病院の看板を
担っている人物との評判だ。

 その昼メロ先生は、ソフトな口調で「今からあちこち診た
上で、、。」と話すと、いよいよ検査開始となった。看護婦
から「アレルギーはないか?」と訊かれたので「ない。」と
答えると、動脈からなんらかの物質を入れる点滴注射をし、
「何か変化があったら呼んでください。」と優しく言ってく
れた。そう丁寧に言ってくれるなら、少々のことはガマンし
ますよと、心の中で返事したが、変化といってもどんな変化
が起こったら呼べばいいのかわからない。不安をよそに、5分
おきに若い医者や看護婦が、様子を見にきて「異常はないか」
と声をかけてくれる。
 15分も経ったころだろうか、背中かお尻の辺りが痒くなっ
てきた。やってきた看護士に、何の気なしに、「あのー、ち
ょっと痒(かゆ)いんだけど」と言ったら、その看護士は慌
てて詰め所に帰って、「患者さんが痒いと言ってます。」と
報告し、それが次から次へと伝達されて大騒ぎ。この注射は、
おいおいそんなおおごとだったのか。その緊迫感に、となり
で喧しくしゃべっていたおばちゃん連中も大人しくなった。
大騒ぎの原因の「痒い」という一言が、注射と関係なかった
らどうしよう、もう一回痒いかどうか空いてる手をねじって
そっと触ってみた。やっぱり少し痒かったのでほっとした。

 昼メロはここ20年前ぐらいまでとても人気があり、「ライ
オン奥様劇場」(?)は子供でも知っているほど有名だった。
朝、旦那と子供を送り出し、洗濯、お掃除、夕食の準備まで
の合間にほっとする時間帯だから、お昼は専業主婦のゴール
デンタイムだった。
 ほとんどのあらすじは、夫をもつ主婦がふとしたことから
恋に落ち、その不倫の愛を、善良な夫、子供との間で悩むも
のと相場が決まっていた。そして必ず悪い奴が登場した。ヒ
ロインを脅したり、悪辣(あくらつ)な場合は、主婦が愛し
た相手が悪者だったりと、どこからみても分り易い筋立てな
のも良かったのだろう。一世を風靡した。早く帰った小学生
が、吉本のお笑い番組のあと、ラブシーンを仕方なく見てい
たときもあった。それもだんだんハードになって、まだお昼
だというのにベットシーンが売りもののドラマもあった。出
てくる男優の特徴は、今で言うスポーツ系のイケメンは出て
こない。ムードがあり、ソフトな物腰、落ち着いたオールバ
ックのハンサムと、あくまで主婦役のヒロインを引き立たせ
るために、あまり癖があってもいけない。主人公をよぶ「奥
さん」というセリフが、やがて「○○子」と呼び捨てられる
にしたがって、ドラマは筋を進んでいった。

 どこまでも主婦を喜ばすための番組だったが、主婦が社会
進出を果たし、お昼にドラマをみることができなくなってブ
ームは過ぎた。昼メロもよき時代の想い出だ。

 別の医師がやってきて、点滴を中止し痒い箇所をみて、「
すでに薬剤の6割くらい入っているから、このままMRIにかけ
ます。」と言う。看護婦に「ほなさんは、次からアレルギー
があるというのよ。」と注意された。MRIは、金属をこするグ
ラインダーのような音が大きくなったり小さくなったりする機
械だった。でもあとで、これはすごい機器だと知った。昼メロ
医師が、MRIで撮ったものをノートパソコンに写し、3Dの動く
画面で見せてくれた。私の胆管がぐるっと回転するのだ。腹腔
胸手術をするにはいくつかの条件があって、その第一に、胆管
に胆石が落ち込んでいないことだという。

 私の胆管は、少々グロテスクだが中はきれいなものに見えた。
昼メロ先生の説明は、そのセットした頭のように完璧だった。
そして「いつ手術しましょうか?」と尋ねるので、私が「いつ
でも」と答えると、「1週間入院しますから、仕事の都合もある
でしょう。」「ベットが空いてるか、聞いてきてくれ。」とそ
の場にいる看護婦に指示を出した。

      かってな思い込み

 えっ!1週間も入院するのか、そんなことは聞いてないよぅ。
内視鏡の手術というのは、ほんの2-3日だろうと予想していた
からだ。全身麻酔で1週間の入院、それってけっこう本格的な手
術じゃないか。
そしてベットは空いていた。手際のよい昼メロ先生は、最後に
おまけもつけた。「私がやった250例の中で、開腹手術にいたっ
たものが数例ありますから、最終的に開腹することもあります
よ。その場合は1ヶ月入院していただくことになります。」素人
判断による希望的観測は、専門家の前では、都合の良い思い込
みにすぎない。そりゃそうだ、歯医者の予約を取りに来たのとわ
けが違うよと、自らの甘い予測を反省した。

 胆石そのものは二人にひとりは持っているものらしいが、それ
が痛むから取らざるをえないのだ。痛む、痛まないは、石の大き
さと、場所の問題なのだ。胆嚢(たんのう)の役割は、日頃、肝
臓で作られた消化液(胆汁)を貯蓄しておき、十二指腸に脂など
の食物が到着すると、胆汁を降りかける仕事をしている。その際
、胆汁を搾り出すのだそうだ。胆石という石の入った皮袋をギュ
、ギューッ絞ったら、そりゃ痛いのは当たり前だ。さらに運悪く
石が胆管に落ち込むと、七転八倒の痛みになるという。

 手術というのは、胆嚢の中にできた石を取り除くことだと思っ
ていたら、なんのことはない、胆嚢という臓器そのものをとって
しまうことだった。もともと石ができるような体質、生活習慣は
手術で治るものでなし、臓器をとってしまえば、なるほど二度と
胆石ができることはないからだ。そうなると、全身麻酔、1週間の
入院、と宣告されても納得がいった。父の日明けの月曜日、夏台
風○号が過ぎ去るのをまって入院した。
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