ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

ある男の話(最終)

2009年10月29日 | 日記
決死の思いで受けたインターフェロンは、体内
にいれるとやはり辛かった。でも仕事を軽いも
のにかえたことで、辛いときは身体を休めなが
ら次の段階へと進むことができた。拒否反応が
少し減ったことも幸いしたようだ。

薬代は保険の高額医療の対象になったから、あ
とは生保の通院日額などで、費用の大部分は補
えたという。

彼はその後インタフェロンの規定回数を終え、
それ以来、毎年検査をしてきたが、一度も菌が
出たことはなかった。前回の検査を終えた時、
ドクターは、
「もう心配ないでしょう。今年で検査は終わり
 にしてもいいですよ。」
と言った。
ほなさんには、彼がしたであろう安堵の顔が想
像できた。

しかし、どうなんだろう。
完全に安心したかといえば、そうはならない。
死の淵を覗き見た者は、懐疑的になることだろ
う。すぐ隣にあまりの堂々とした態度で知らん
顔してガンも死も、安息の場所にまぎれて存在
している事実を知ってしまえば、もう昔のよう
な気分になれないだろう。

彼は自営業者として、変電所の管理を任されて
いるという。24時間、365日、事が起これ
ば、いざ鎌倉とかけつけなくてはならない。だ
から旅行なんかは絶対いけないと苦笑したが、
彼の目は、生きてることは素晴らしいと語って
いた。

こんな大事な話を、見知らぬ私が聴いてしまって
良いものだろうか、そう思いながらショットと
パターを繰り返した。
その後、7,8,9ホールを周り、ほなさんは
帰ることにした。午前中に歩き出し、20分の
休憩だけで、今日は7時間ラウンドした。貧乏
性の私でさえも、これだけ周れば気は済んだ。

陽は堤防の淵に傾きつつあったが、あと1時間
はラウンドできそうだった。彼は、アイアンを
片手でぶらさげるように持つと、次のホールへ
軽やかにカートを引いて行った。

ほなさんが、
「また会えるといいですね。」
と彼の背中に言葉を投げると、顔だけ振り返っ
て、ニコっと笑った。
彼の向こうには、秋の夕日がゆっくりと傾き、
河川敷の人影も数えるほどになった。

ライオンコンペ応援歌

2009年10月27日 | 日記
ここで汗かき日記本来の目的をばひとつ。
今年もライオンウッズコンペ(110の王)が開か
れる。もう10年を超えたこのコンペは、ひと
えに幹事さんの努力の賜物だ。私もここで救わ
れたひとり、いや一頭として勝手に応援歌をひ
とつ吼えまする。



ライオン各位さま、
 ライオンコンペまでもうわずかになりました。
 故あって、私ほなは、今年は参加できないこと
 になりました。

 参加できるみなさまは、私から見ればうらやま
 しい限り。
 各位におかれましては、肝に銘じてあまり頑張
 らないことを期待してやみません。

 四国で独りさびしく吼えておりました「ほなライ
 オン」を、WIND親分ライオンが厚い温情から拾い
 あげ、中部地方の奥深い山中へ招いてくださりま
 した。

 私は持参したボールを、二年連続であちこちバラ
 まいたことを昨日のように記憶しております。ほ
 とんどがキズだらけのロストボールでありました
 が、中にはロストより安い新品ボールもありまし
 た。できれば返しておくれ。

 それはさておき、今年の結果も楽しみにまってお
 りますので、掲示板に書いてくださるか、料金の
 いらない糸電話電信網を開設してくださるかして、
 四国の私へも教えてくださいね。

 がんばるな、そしてガンバレ、獅子の勇者達よ!

ある男の話(6)

2009年10月26日 | 日記
特効薬は彼の病原と彼の生命力、その
どちらも削り取っていたのでした。わかっ
ていることとはいえ、きびしすぎる現実
でした。

彼の話はこうでした。

「仕事を止め地元へ帰り、養生しました。
 睡眠がとれず、食べれない状態でした
 から、うつ病にもなっていたんだと思
 います。

 しばらくすると、体力は回復してきた
 のと同じくらい、肝炎の病原菌はうじ
 ゃうじゃと増えてしまいました。イン
 ターフェロンは打てん、どうしようか
 迷いました。

 そのうちC型肝炎の治療に、保険が適
 用されることになりましたが、またあ
 の苦しみを思うと耐える自信はありま
 せん。
 仕事は楽な仕事が見つかり、ノンビリ
 した毎日になりました。

 でも、決断の時は迫っていました。
 だんだん増える病原菌の数に、このま
 ま死んでしまうのか、頭から離れませ
 ん。

 もうこうなったらインターフェロンを
 規定回数打ってもらい、それで死んで
 もいい、と心を決めました。」

ここまでほなさんに話すと、私の顔をじっ
と見つめて、

「主治医の先生に、どうなっても自分で
 責任持つから、治療をしてください!
 と頼みました。」

当時を想い出したのか、彼は必死の懇願
の表情をした。それは、どうなってもいい
と言う言葉とうらはらに、どんなことをし
ても生きたいと願う、彼の切なる思いが現
われていた。

ここまで一気に話すと、やがて彼はぼんや
り遠くへ目をやったのだった。
さっきまで、吉野川の河川敷を流れる風は、
ピューっと帽子をなぜていたのに、彼の話
を聞き入るように止んだ。

ある男の話(5)

2009年10月25日 | 日記
あと5年の命とは?
それからもう5年経ったのだろうか?

ほなさんの頭の中で想像する青年像と、目の前
の若い男は、どこでどうやって一致するのだろ
うと思いました。
でもそんなこと、プレーの最中に聞くわけには
まいりません。

彼のナイスショットした球は、グリーンの手前
まで飛んでいったのに、ほなさんの球はまだこ
こにあったのです。ここから2打は打たないと
グリーンまで到達する自信はありません。パー
5は5打目でグリーンにのせる自己ルール?を
守らねばなりません。
(ほんなルールあるわけないで)
客観的に述べますと、ほなさんは置いていかれ
たのです。

置いていかれた者が、プレーを中断するような
話などできるわけもありません。
ほなさんは、その後の話の聞きたさに、どんど
ん歩き、どんどんスイングをしました。

あっ!OBです。
早いスイングで打たれたボールは、左へスライス
し、向かい風にあおられ吉野川へポチャ。
スライス癖が治らない私の球は、さらにスライス
巾が大きくなります。

アゲンストなんて大嫌いだ!
ちなみに、「大嫌いだぁ~!」と伸ばすと懐メロ
の美樹克彦さんを思い出しますな。
え!あなた知らない?
どうも古い話で、失ッ礼シマシタ。
(え!これも古くてしらない、、、ですか。)

ここでOB出すなんて、どれほどもダメな奴なん
でしょう。これじゃますます話が聞けません。

ほなさんはパー5のグリーンをやっと終え、次の
6番のティーグランドの前で、彼に話しかけまし
た。
「それからどうなったのですか?」
と。

ある男の話(4)

2009年10月24日 | 日記
ひとつのホールを左右2グリーンで使い分ける
ために、ティーショットの場所を2箇所もうけ
てありました。このロングの場合、前に5番、
後ろ14番のテーグランドをつくり距離が少し
異なるのです。

風の影響のない日に前から打つと、ボールの落
下地点にあるフェアウエイを横断する大きな窪
みの先に到達しますが、後ろからでは窪みの手
前に落ちるようになっています。(ほなさんの
ナイスショット時)

この時はコースに沿ってアゲンストでした。
後ろから打ったわれわれの球は、ほなさんは窪
みのそうとう手前。若い男の力ある球筋でも、
窪みを越えることができませんでした。

ほなさんが第二打でやっと彼の地点まで追いつ
きますと、前のグループはまだグリーンに乗っ
ていません。それで私は時間つぶしの話をしは
じめました。今朝はいつから周っているとか、
コースではよくあることです。

彼の口から出たのは、意外な話でした。
話しぶりは堰をきったように一気にでした。

他県で勤めていたこと。30代の時、急にC型
肝炎を発症したこと。治療に600万円かかる
といわれたこと。特効薬インターフェロンの副
作用がでて、苦しくてやせ細り、これ以上の治
療はやめようと医者に告げられたこと。そして
あと5年もたないと宣告され、徳島に帰ってき
たこと。衝撃的な内容でした。

ここまで話をすると、前が空いたので、彼は第
二打を打ちました。彼の球はアゲンストの風を
切り裂いて飛んでゆきます。
ほなさんはその球を目で追いながら、彼の過去
はどうなっていったのだろう。今も彼は病気な
のか、頭の中を疑問がぐるぐる回っていました。


ある男の話(3)

2009年10月22日 | 日記
この三人組と9ホールを1.5ラウンド同行して
いただきました。このシニア連中、ほなさん
の飛距離、寄せでは全くついていけません。
歳を聞くと、みな70歳に手が届くそうです
が、背筋はピン、歩く姿は50代、まだまだ
飛距離にこだわるところなんざ、不況の水を
たらふく飲まされた私らより若さがありまし
た。

かなり仲良くなりましたが、彼らはすでに2周
半していたので休憩をとるからと別れ、ほなさ
ん独りの旅が始まりました。

3ホールしたところで、前が混み出し、待って
いると、40代らしい落ち着いたカンジの男性
が追いついてきました。彼も一人だというので
500Yのロングホール、パー5から一緒に行くこ
とになりました。

若いドライバーは、気持ちよく球が上がってい
きましたが、左へかかるドローの巾が大きく、
手を焼いているようです。
中肉、中背から繰り出されるボールは、アゲン
ストの強い風さえなければ500Yを2オンする勢
いにみえました。

ある男の話(2)

2009年10月21日 | 日記
<話が中断してすみません。続きをどうぞ。>

今日はセルフデー、一日居ても¥4500の日。
本格的なグリーンでいっぱい練習したいと
考えていました。
店に立ち寄り、途中そそくさと用事を済ま
せ吉野川へ走る。市の反対側にあるほなさ
んの家から、車で20分ほどの距離だ。

駐車場には車が少なかった。そして午前中
なのにもう帰ってくる人がいる。たまにし
か来ないから、間違ったのかしら?

受付につくと間違っていなかった。いつも
は月曜セルフで定着しているから、火曜セ
ルフの今日は少ないんだ、とスタートを待
つ人が教えてくれた。そこで、後ろから来
た少し年上の3人組、元気で年金も十分あり
そうな連中は、すでに1回周ってきたようだ。
ほなさんが頼むと、こころよく引き受けて
くれた。

平日の休みを疑問に思ったのか、メンバー
のひとりが、
「あなたぐらいの歳の頃は、われわれは死に
 もの狂いで一番仕事をしたよ。」
と言ってきたので、
「ゴルフができるのは、仕事が閑になった
 からなんです。」
と返事すると、
「そりゃぁ、大事(おおごと)だ。」
と表情が変わった。

河川敷コースの1番ホール(331Y、パー4)
は、セルフの日に限ってアイアンしか打て
ない。みなを見ていると、三人ともドライ
バーを持ったので、あれ?と思った。
見た目より歳上だったようだ。

午前中の風はフォロー、緑のフェアウエイ
が左側の堤防に沿って伸び、斜面の草草を
ゆらしている。絶好のゴルフ日和だ。

母帰らず

2009年10月20日 | 日記
母はグループホームに入り、週末帰宅すると
日曜は店に出て、なじみのお客様と顔をあわ
せるのを楽しみにしておりました。

ところが、、、です。
先週迎えに行くと、
「今日は忙しいから帰らない。」
と断わられました。
ほなさん夫婦は顔を見合わせました。

え!
なにがあったのか?
ホームスタッフに尋ねると、何も忙しい理由
はないようです。

そりゃぁね、
母のご機嫌を伺うようなこと、これといって
していたわけでなし、ホームスタッフさんの
ような配慮もできていなかったしなぁ。
しばし、反省、、、、。

姉にこのことを電話すると、
「向こうが良くなったんだから、それでいい
 じゃない。こずかいをたくさん渡しておい
 て、好きなようにさせたら。」
と冷たい。

それもわかります。が、、、
ホームに居るほうが、家族と居るより良いの
は、うーん、母に見捨てられたようで、その
夜は夫婦ともども寂しいものがありました。

ある男の話(1)

2009年10月19日 | 日記
去年出ることのできなかった同窓会コンペ
に、今年は仕事を娘に変わってもらい、参
加できることになりました。

参加が決まると、いつものパブリックでは
グリーン面が全く異なるので、前週に河川
敷コースのセルフデーに行くことにしまし
た。吉野川の河川敷コースは、昔から四国
三郎といわれる名で親しまれる広大な河口
に作られています。

一度しか中に入ったことありませんが、堤
防を挟んでクラブハウスがあり、裏に広い
駐車場、徳島市内の中心駅から車で10分程
度という立地の良さから、経営は黒地だと
ききました。会員券は100万円ほどで一定
水準を保っているようです。

各ホールとも、左右二つのグリーンを持ち
9ホールから成り立っています。ここの特徴
は、コースがフラットであり徒歩プレー向き
、グリーンの整備が良いことから、シニア層
の顧客をがっちり掴んでいます。80歳代で今
日なお3日連続プレーなんていう方もいるわと、
売店のお姉さま?お嬢ちゃま?ヨイショつい
でにお姫様?がおっしゃっておられます。

こういう方とは別に、ほなさんのようなゴル
フ練習したい、だが先立つモノがないという
貧乏ゴルファーには、セルフプレー日(周り
放題¥4500)と早朝薄暮プレー(ハーフ¥35
00、プラス¥1000でもうハーフ))があり、
とても助かります。

「いきなり黄金伝説」妻(5)

2009年10月16日 | 日記
夫婦の距離を短くしたり、長くしたりしな
がら日々を送ってゆくのが人生なんでしょ
うね。
まぁワレながらよく別れなかったものだと
思いますし、女房は女房でよく辛抱してく
れたと感謝もしています。(今後はわかり
ませんが)

お互い30年近くになると、独りでは何も
できないことがよくわかり、人生の同志の
ようなところも出てき、お互いのやりたい
ことを共に援助しながらやっていかなけれ
ば障害を乗り越えられないことに気付きま
す。こんなこと、30年前でも同じなんで
すが、若さで気付かなかっただけのことで
した。

さてゴルフの方はどうだったか。
2番250m、パー4では、はじめてのバーデ
ィパットに挑戦したものの、打ち切れず、
パーであがりました。

この日の女房は、ドライバーだけは好調で、
性格と一緒でブン回しましたが、荒さが目立
ちスコアはもうひとつ伸びません。

でも二度寄せがうまくいき、ピン傍につけ、
近くで仕事をしていた整備のお姉さま連中か
ら、
「奥さん、うまいよ。」
「ほれ旦那さん、しっかりしないと。」
とヤンヤのひやかしのような賛辞を受け、心
から喜んでおりました。
ほなさんにとって、喧しい以外何ものでもあ
りませんでした。

練習なし、雑誌も見ない、という妻がスコ
アアップする確率は、無に等しいことでし
ょう。しかしゴルフは、どんな人へも1日
に2-3個は、ナイスショットやラッキー
なできごとが起こるようになっています。
うまい人へも、ヘタな人にも、公平に配分さ
れるのが、それがゴルフの魅力なんですね。