ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

ガンバレ ハリザッコ!

2007年09月30日 | 日記
禁煙のブログで知り合った方に、ハリザッコさん
がいる。年代は私より少し下だと思うのだが、
その方とのやりとりを勝手に載せてもらうことに
した。コメント欄の書き込みだから秘密性はない
し、すでに読んだ方には重複しますが、、。
*ハリザッコというネームは、東北の川魚だそう
です。

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ご苦労様です (ハリザッコ)
2007-09-27 19:47:08

やあ、ほなさん、早朝出発ご苦労様です。
試練を乗り越えても、行きたいんでしょ♪
楽しいですからね。ゴルフは・・。
私のコンペも近づいてきました。
土曜日のコンペに向けて、毎朝6時30分から打
ちっぱなし練習場でがんばっています。
お互い、楽しみましょうね。
今回の目標は120を切ることです。
無理にきまっていますけどね


ハリザッコさんへ (ほなさん)
2007-09-28 16:26:25

ご愛読ありがとうございます。
ハリザッコさんは、早朝練習に行ってるのですか。
さすがに私はそこまでやってませんが、ハリザッコさ
んは素晴らしいです。
とうとうゴルフのとりこになってしまわれたみたいで
すね、心からおめでとうございます。

スコア120を切り、110の王ライオン目指して
ほえまくってください。ガオーッ!


コンペの早朝 (ハリザッコ)
2007-09-29 04:38:59

午前2時ころより、目が覚めてしまいました。
いくらなんでも早起きすぎます。
120を切るとか言ってしまいましたが
ちょっと言いすぎでした。
140を切るようにがんばってきます。
では行ってきます。


追伸)ハリザッコさんへ (ほなさん)
2007-09-29 18:15:53

どうだったんでしょうか、今日の出来は?
なんだか自分のことみたいです。


ほなさんへ (ハリザッコ)
2007-09-30 04:43:32

結果は143、目標達成ならず・・です。
でも、いっしょに回った仲間の1人と私が36のハ
ンディをもらって、生ビールを賭けて勝負しまし
た。
彼は110だったので、私の勝ちです。
そこで、ほなさん直伝の「ライオンみたいだね」
と言ってあげました。「えっ、ライオン?何のこ
と」
「ほら、百獣の王でしょ」
これには大うけしてました。
今回、目標は達成されませんでしたが、自分で満
足できるショットもいくつかはありましたし、「
うまくなったなあ」と言ってもらえたし、満足し
ています。

 つまさき上がりの山の斜面で、一度フェアウエ
イに落としてからやればいいものを、距離をかせ
ごうとして、5打連続で山の斜面だったり・・い
ろいろ反省点はありますが、楽しかったです。
 次のコンペは10月末・・がんばります。

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ハリザッコさんの喜びが伝わってきませんか。
いい親父が山の斜面と格闘する様子、とてもかわい
いですよね。
これはほなさんの昨日の姿でもありました。
「いえ、ほなさんの明日の姿ですよ。」と心の中で
云った、そこのキミ、キミのフェアウエイセンター
に落ちたボールは、次から踏んづけてゆくからね。

なにはともあれ
ガンバレ、ハリザッコ!

銀コンの予定は

2007年09月26日 | 日記
銀コンで宿泊しないのは、ほなさんだけでした。
みんな社長さんですからね、、、。
ということは、2日目に日帰りするのは私だけで
しかも、第一組に選ばれてます。

高知で朝8時半スタート、なんという厳しさであ
りましょうか?
何時に家を出たらいいんだ、いったい!
3時のあなた~、か、4時のあなた~。
古いTV番組だわ、それにしても古い。

この試練を乗り越えてゆかねばならない、ゴルフ
の道は大変です。

遠征の秋

2007年09月25日 | 日記
秋のゴルフシーズンに入り、コンペのお誘いが続々とある。
10月は2回、11月も2回、予定が入った。
うれしいなぁ、こんなに詰まったゴルフスケジュールは、
初めてだ。今年の秋は、楽しみがいがあるぞ。

銀行コンペで高知遠征にゆくそうだ。なんか本格的だ。
銀行コンペといっても、銀行の顧客の「部活」なので、
なんら特典はない。全部実費だから、ほなさんなぞは、
なかなかお付き合いすることができない。(いつのま
にか部員に入れてくれたみたい。)

今回は、1泊2日の2プレー、以前に女子プロの大会があ
ったという「土○カントリー」と男子プロの大会で有名
な「高知黒○カントリー」を廻るという涎の落ちそうな
計画。

社長さん連中とホテルに泊まってノンビリするようなこ
とには、いつまでたってもならないだろうが、せっかく
のお誘いなので、強行軍の日帰りでゆくことになった。
それで、ほなさんは、二日目だけ参加させてもらうこと
にした。

10月は奈良、高知、11月は岐阜と遠征が続く。
すごいことになったものだ。預金通帳の残をもう一度み
ておかねばならない。その場になって「行けない」では
惨め過ぎる。

明日も良い日で

2007年09月21日 | 日記
今、ほたるの墓をやってます。
これ泣いちゃいますから、辛くて観てられません。
それでPCの前にきました。

Mさんの奥様の話をしましたけど、この奥さんは
こどもみたいに純な人でした。それでよけいにこち
らの胸の打ったんですね。
どうもご夫婦の関係をみていると、Mさんの方が
先に惚れたように思います。70歳のご夫婦のこ
とですから、今更どうでもいいのですが、結婚時
のことを想像してしまいました。

いくつになっても、仲のよい姿はいいですわ。

今年の暑い夜の話(続)

2007年09月17日 | 日記
地元に居る人間ですら驚くほど、阿波踊りは進
化してきた。
「踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、
 同じ阿呆なら踊らなソンソン」
と受け継がれた歌詞通り、自分たちのエネルギ
ーの発露として、いわゆる「踊る」ことを第一
義にした「大型盆踊り」だったものが、洗練さ
れ県外からの観光客に喜んでもらえるものにな
ってきた。
踊りそのものも基本パターンを踏みつつ、多様
化の道をたどり、地元の人間ですら、見物にゆ
くと毎年新しい発見がある。

しかし、その中で一番発展してきたのは「おも
てなしの心」だろう。
ここ数年は見物側への配慮が加わってきた。商
業的にショーアップしたことより、それを支え
る「心」が磨かれてきたように思う。その結果
、リッパな舞台に行かずとも、いろんな場所で
、いろんな形で、お金を使わずとも阿波踊りと
徳島の暑い夏が楽しめるのだから阿波っ子とし
て、お勧めし自慢できる祭りになった。

そういう訳で、Mさんにも踊り見物を勧めた
のだが、見えないという障害がどれほどのも
のとなるか、とても不安があった。そこで、
踊り見物にゆくぞ!という気分になるために、
踊り子さんが着る半被を準備した。
目の見えない方は、見える人以上に着るもの、
スタイルに敏感なのだ。

女房が奥様にハッピを着せた。そしてどんな
柄なのか説明した。真っ赤のハッピの左右に
「徳島名物」
「阿波踊り」
そして背中に大きく
「踊り」
と染め抜かれているのよ、
と妻が言うと、顔がだんだん紅潮し、
「ありがとう、ありがとう。」
とうれしそうに何度も言った。子供のような
素直なしぐさが、喜びを物語っている。うれ
しさいっぱいの人を見ると、こちらはさらに
うれしい。

雑踏の中を歩き、4人は桟敷に着いた。徳島
でも一番大きな「桟敷」だ。それだけ有名「
連」が出る確率が高い。座ってしばらくする
と、徳島のお盆の最後の熱演が始まった。大
きな音の鳴り物が近づくと、自分の体も振動
するようだった。人の体も楽器なのだ。
奥様は音のする方を見ている。旦那は時折説
明しながら、デジカメを撮っている。

大太鼓の集団がやってきた。鼓膜にビンビン
響き、話し声さえ聴こえない。旦那はカメラ
に一生懸命、それに気付いた女房が、奥様の
耳元で、情景を細かく説明していた。

やっこ踊りがくる、かわいい子供の踊り子さ
んたち、ひょうきんな男踊り、女性ばかりの
いなせな「男踊り」、次から次へ飽くことな
い時間がすぎて行く。女房の横で奥様は、ウ
ンウン頷き、浮かれるしぐさが可愛いかった。
それをみて旦那も喜んでいた。

桟敷は川風がときおり吹き、意外と涼しかっ
た。興奮の2時間、持参したペットボトルは、
熱気にあてられ空になった。踊りおさめ「総
踊り」は、鳴り物をバックに、踊り子さんと
共に観客も参加し、今年「最後」の踊りを楽
しむ仕組みになっている。

Mさんとほなさん夫婦は、総踊りの流れに沿
って、もまれるように外に出た。出口付近で
は、流れる汗の踊り子さんらが、ひとりひと
りのお客さんへ「ありがとうございました。
またお越しください。」と声を掛けて、写真
のリクエストに応えていた。顔見知りの踊り
子もいた。みんなにこやかに、お客様を送り
出そうとしている。おもてなしの心が、表情
やしぐさに出て、それがお客さんに伝わり、
あたり一帯、温かい雰囲気に包まれた。

ホテルへゆく信号機の前で、Mさん夫妻と別
れた後、
「十分に楽しんでくれたみたいやね。」
とほなさんが言うと、
「奥さんは絶対また来るから、と喜んでいた
わ。」
と女房が返事した。

今日は何度も泣いた。Mさんの奥様の喜ぶさ
まをみて旦那さんも泣いていた。ほなさん夫
婦も泣いた。

見えないことは重大なことだ。
でも人に授けられた五感のうちのひとつに過
ぎない。たったひとつ足りなくても、残り四
感がさらに発達するのかもしれないなぁ、と
夫婦で話した。
「楽しむ」ということを、誰にだってできる
よう神は人間に与えてくれているのだね。

8月の終わりごろ、Mさんから電話があった。
「徳島から帰って、兄弟が集まったんですけ
ど、女房が阿波踊りが楽しかったいうて騒い
で騒いで。みんな喜びました。今日の夜、N
HKで阿波踊り特集があるさかい、女房が楽
しみしてるんですわ。ほなさん、ありがとう
。奥さんにもよろしく。」
そう伺って、また、ほなさん夫婦は泣きまし
た。

今夜、華奢な奥様は、赤のハッピを着て、T
Vの前で「よしこの」のリズムにあわせ、踊
りだすかもしれないなぁ。そう思うと、こち
らもうれしさ倍増。またポロリ、、、。

♪踊る阿呆に 見る阿呆、同じ阿呆なら踊ら
 なそんそん
♪エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨ
 イヨイヨイ~
そこのみなさんも踊ってくださいな、
♪あ、ヤットサー、それ、ヤットサー
両手をあげて、前に歩けば阿波踊りー、遠慮
せずにどうぞ
♪いちかけ、にかけ、さんかけて、やっぱり
 踊りはやめられぬー、
 ヤットサー、ソレソレソレソレーー

           (終)

今年の暑い夜の話

2007年09月16日 | 日記
来月奈良にゆく。
奈良でコンペをするからおいでと誘ってく
れたのだ。元仕事仲間だった人達、現同業
者の人達が揃うという。幹事役は、70代
の元取引先のMさんがやっており、
「コンペやっているだったら混ぜてえな」
と半分押し込んだ。
だからとても楽しみだ。

このMさんとは20年近くなるかな。しかし
仕事一辺倒のお付き合いしかしたことなか
った。自分がゴルフをするようになって、
周りの人々がゴルフをしていることに気付
いた。もっと前からゴルフしていれば、も
っとお付き合いも楽しめたのにと思う。

さて、このMさんは今年、奥様と徳島に「踊
り見物」にきてくれた。
以前から目の不自由だった奥様を連れて、全
国を回っているという話は何度かきいたこと
があった。愛妻家なんだなぁ、Mさんは。

春にお会いした時に、こんなに徳島にきてい
るのに、奥様には阿波踊りを見せてない、と
言われたので、ほなさん夫婦は声をそろえて、
「それはイカン。準備するからおいで。」
と声をかけた。

今年は映画「眉山」の効果もあり、地元も
力が入っている。面白いはずだ。Mさんも、
「ほなさんに任せるから、手配頼む。」
といい、それから私らは、ハタと考えた。

最近は奥様の目はほとんど見えないと伺っ
たので、どうやって楽しんでもらおうか。
「選抜阿波踊り大会」と「ジャンボ桟敷」
の席は音がよく聞こえる場所、人の気配が
感じられる場所に注意し、発売初日に買う
ことにした。

段取りを立てた。
ホテルに着いたら、きれいどころばかりが
出る「選抜阿波踊り大会」を見てもらい、
その後夕食と休憩。
夜は私ら夫婦が接待することにした。「桟
敷席」で阿波踊りに触れてもらい、最後の
「総踊り」までを体験してもらう。しめて
6時間の工程だ。

当日、8月15日夜、ホテルに迎えにゆく
とふたりは小さなロビーで待ってくれてい
た。
「どうでしたか、選抜阿波踊り大会は?」
と聞くと、旦那は
「うちのは目も見えんのに、楽しい楽しい
っていうて、、、」
と喜んでくれたようだった。良かった。
はじめてお会いした奥様は、華奢な体に品
の良い感じだった。似合いの夫婦だなぁと
思った。

夜の阿波踊りは、桟敷で見物だ。ひな壇に
座っている前を、踊り子さんや鳴り物が、
思い思いの技を見せて通り過ぎてゆく。大
太鼓は地面を響かせ三味の音は華麗に、笛
は軽やかに踊る。
そのリズムの流れに、踊り子は乗って泳い
で乱舞を繰り広げてゆく。

「連」(れん)というコンボイのごとき軍
団が、どんどん目の前を通過するさまに圧
倒され、いつの間にか自分も踊りの渦に巻
き込まれ、座っていながらも手足が動き始
めるのだ。
これは体験しなくちゃ分からない。

でも、Mさんの奥様は目が見えない。踊り子
の衣装の綺麗さもユニークなしぐさも分か
らないからどうなるだろうか。

叱られちゃいました。(最終)

2007年09月15日 | 日記
ホームコース「タカ○ワ」の月例会に参加していると
いうBさんは、ほなさんと同じく健康のために歩くこ
とを目的としてやってきていると言った。
筋骨隆々の体から産み出されるパワーは、ピンポン玉
のように球を跳ばし、われわれを惚れ惚れさせた。

保険屋君は6時に約束があると、名残惜しそうにハー
フラウンドで帰って行った。ほなさんは休みだったか
ら、Bさんに付いてもうハーフ廻ることにした。

ひとりになったほなさんは、Bさんを盛り上げようと
「ナイスパー!」
「グッドショ(ト)!」
グリーン上では、
「はいれ!」
とハイテンションな声で応援した。
すると、だんだんBさんは黙りこむことが多くなった。
どうも不機嫌になって、イライラとしているようだった。
そんな空気を吹き飛ばそうと、ほなさんはさらに頑張っ
た。そしてBさんの名前を呼んだりもした。

半分ぐらい廻ったホールのグリーン上で、ほなさんが
「山田さん、ナイスタッチ!」
と言うと、Bさんはこちらをキッと見て口を開いた。
「私は山田じゃない!」
と言ったと思うとさらに続いた。
「おたくが『ナイス』と言っても、本人はミスしたと思
 っている場合もあるんだ。なんでも言えば良いのじゃ
 ない!!!」

その口調の激しさに驚いて、ほなさんは
「えっ、受付に書いてあったのと違うので、、、、」
「すみません。」
というのがやっとだった。どうやらおっちょこちょいの
ほなさんは、薄暮プレーの「ビジター」受付欄に書かれ
た名を覚えてきたが、この人は「メンバー」さんらしい。
そういえば「メンバー」欄に一名あったような。

ほなさんのようなものは、自分のプレーへの掛け声はた
くさんあったほうが嬉しいが、Bさんのような上級者に
はそうでないのだ、とはじめて気付いた。
いわゆる「接待ゴルフ」になってしまっていたのか、と
反省した。遠近両用に乱視も混じるほなさんの目には、
ミスしたのかどうか判別がつかなかったのだ。
以後、Bさんの名を呼ぶこともせず、どのショットにも
賛辞の言葉をかけることもできず、押し黙ったままのラ
ウンドになった。Bさんの不機嫌の元を作っていたとは
気まずいことをしてしまったものだ。

受付に手押しカートを返し、Bさんに
「今日はありがとうございました。」
とお礼を言うと、Bさんは、
「厳しいことを言ってしまいました。」
と穏やかな表情に戻り、水に流してくれた。

月例会などの競技ゴルフの厳しい一面を見たようで、ウ
チの師匠のように、シングルでありながらも私の掛け声
にいちいち
「ありがとう!」
と返事をくれるひとが、例外なのかもしれないと思った。
それにしても、掛け声ひとつのかけ方、難しいものです。
これもマナーなのでした。

なおBさんとは以後、三度ラウンドさせてもらいました。
そのうち一度は、二人で廻っている最中にスコール
のような夕立に会い、全身びしょ濡れになり、
「これも記念だ。」
と大笑いしつつ廻りました。
三度目のラウンドで、Bさん作成の「薄暮ラウンドマッ
プ」をもらいました。昼間のラウンドと「薄暮」は風の
方向、グリーンも異なるから、グーグルを参考にして書
き込んだそうです。
ゴルファーは興味深い人が多いですね。

叱られちゃいました。(9)

2007年09月13日 | 日記
保険屋君は親戚筋の若い男で、巨人の今年1番を
打つ有名人と同じ大学で野球をやっていた。なか
なか甘いマスクとスポーツマン性格なので、就職
した地元銀行から引き抜かれ、アメリカ資本の保
険会社にはいった。私は祝いもかねて保険を頼ん
だ。一番安いのを、と注文つけて。
それ以降会社のコンペに呼んでくれ、年1回、2
0代後半から30代前半の若い男たちとラウンド
させてもらっている。ほなさんの貴重なゴルフ友
達だ。

保険屋君は大学野球をしていた関係で、ゴルフも
よく飛ばす。銀行でゴルフを覚えたそうなのだが
保険屋として自立してからは、なかなか練習する
暇がないようで、良い時と悪いときの差が激しい。
そういうわけで、たまには練習しようと、ほなさ
んと河川敷に来たのだ。

はじめて会ったBさんは優しい人だった。物腰も
丁寧で柔らかく、よく教えてくれた。
1番ホールは、大きなクラブが使ってはいけない
ことになっている。幅50メートル以上ある広いフ
ェウエイの先に、ぽっこり盛り上がった砲台グリ
ーンがある。右側のラフが深そうで、左側は土手
になっていた。

ほなさんが5番アイアンで打ったら、トップして
ひっかけ右側のラフに入った。これほど広いフェ
アウエイを、なぜして外すことができるのだろう。
まだ体が回らないせいなのだが、やはり不思議だ。

保険屋君は速いスゥイングの高い打ち出しの球だ
ったが、途中から右側へスライスしてしまった。
Bさんのアイアンは見事だった。高く上りつつ、
少し左へカーブした。
「ナイスショット!」
ほなさんと保険屋君は叫んだ。掛け声はゴルフ
で大事な潤滑油だ。

自分の球が低くトップ気味なだけに、高い球筋の
人を見ると尊敬してしまう。高い球はやっぱりヘ
ッドスピードが早くないとダメなんだろう。
Bさんは毎日来てるだけのことはある。球筋が違う
ぞ、と思った。

叱られちゃいました。(8)

2007年09月13日 | 日記
昨日の「安部首相の辞意」、驚きました。
政治ネタはあまり好きな話題じゃありませんが、
この辞任は、小指で辞めた宇野さん以来ですね。
トップの孤独と苦しさがあり、体調が悪かった
から仕方ないでしょうが、だれにとっても損失
の大きいものでした。政治家の血筋でも、エリ
ートの儚さがありました。
良い人柄のようでしたから、早く回復なさるこ
とを祈ってます。

さて本編へ、、、、
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河川敷の薄暮プレーで四度ご一緒させてもらった
方がいる。
年齢は40代後半か?筋骨隆々の体躯。
「叱られちゃった」というのは、実はこの方に叱
られたのです。

ほなさんは、今年の初夏から河川敷に通うように
なりました。と言っても、月2回ぐらいでしょう
か。以前、いろんな人から河川敷に行け!とアド
バイスを受けていましたから、そのうちにと思っ
ていたんですが、慣れないところというのは、ひ
とりで大丈夫だろうかとか、いろいろ考え、その
うちにおっくうになってしまうんです。

薄暮プレーは、平常営業が終わって日没までのサ
ービスだから、日によりスタート時間が異なりま
す。それも面倒な理由でした。
レストランのバイトに行って、まかない料理をい
ただくみたいなもので、お客さんが居なくなるの
を待つ間、遠慮してなくちゃいけないとかも思い
ましたしね。
諸先輩は考えすぎだとお思いでしょうが、’初心
者’というのは、そんなことを思うんですよ。

それで知り合いの保険屋さんを誘い、ふたりで行
ったとき、前に居たのがこの方、Bさんでした。
Bさんはひとりでラウンドするつもりで居たよう
でしたが、後ろに数人が並んだので、
「混んできているのに、ひとりプレーをしたら
怒られそう。一緒に廻りませんか?」
と私たちに声をかけてきた。
私たちは喜んでそれに賛同した。というのも、ま
わり方も詳しく知らなかったからだ。
Bさんは管理人やキャディさんとも、慣れた口調
で話をしていたから、きっと常連さんだと思った。

「ここはよく来るんですか?」
と尋ねると、
「ええ、毎日。」
「えっ、毎日ですか?」
「雨の日以外はね。」
との返答。

「タ○○ワ」というゴルフコースのメンバーの名札
をつけたBさんは、河川敷にも毎日来ているという。
ゴルフを毎日やっている人って、ホントに居るんだ。

叱られちゃいました。(7)

2007年09月12日 | 日記
本コースに出るのが月1回あれば良いほうの私には
ショートコースや薄暮プレーで会う人々から’学ぶ’
時間は、とても貴重なチャンスである。

その場ではじめて会った人とラウンドし、その後ま
た再会する人はほとんど居ない。
「またお会いしたら、よろしくお願いします。」
と挨拶をするにもかかわらず、障害者ゴルファーの
Aさんのように、ちょくちょくお見かけし話する人
などは例外的なのだ。(彼はしょっちゅ練習してい
るから。)そんな人でも同じく組でラウンドする機
会はまず無い。
あとの方は、また会うときもあるかも?と思いなが
らの言葉だが、芸能界の挨拶と同じく、二度とお会
いしたことはなかった。

どこかのグループへ入れてもらうのは、こちらの意
思でなく、いくら顔見知りでも4人揃っているとダ
メだし、練習目的できている人からは断られる。あ
くまでタイミングがすべてなのだ。
初心者用のゴルフ本の最後のページに書いてあった
言葉が頭をよぎる、
「ゴルフがうまくなろうと思ったら、まず友達を3
人作りなさい。」と。
ひとりではコースは廻れないのだ。
ほなさんの場合、ゴルフへ連れ込んでくれた友が居
たのに、彼は職を変えてしまったし、それ以降ゴル
フの友達が居ないままにきてしまった。友達はいて
も、ゴルフをしない連中ばかりだから困ってしまう。

たまに平日休みという人と出会って、お互い喜んで
電話場号の交換をしても、あとが続かない。
「明日どうで?」
と連絡くれたのを残念にもお断りすると、あたり前
だが、次からかってこなくなる。美人の異性だと、
しつこいと言われるまで何度か誘わねばならないが、
50半ばの後ろハゲの親父で、しかも油断してると
シャンクして周りに身の危険を感じさせるヤツに、
誰が何度も電話くれるだろうか。おかげで携帯電話
も廃止にしてしまった。それでも何も変化ナシ。
ザマーミロだ。(意味不明?)

さて、平日休みの人たちは、それなりに複雑な休み
の形態になっており、普通のサラリーマンのような
土・日・祭日OKだというわけにはいかないのだ。
だから、今回ラウンドしてくれたUさんやウマさん
と会うことは、まずないだろうと思う。

「ゴルフのショットに、二度同じショットはない。」
と偉い人は言う。(最近、雑誌で読んだところ)
そうなれば、とてもショットは覚えていられないが
人との出会いだけは忘れないでいたい。それが二度
と会うことがなくても。
この「ほなさんの汗かき日記」が続いてきたのも、
案外そんなところにあったのかもしれないと思った。
人は面白い。その出会いは衝撃的だったり、すんな
りと溶け込んだりと。
でもすべては「一期一会」なのだなぁ。

ところがその中で、ひとりだけ特異な人がいた。
師匠は別にして、この人とは何度かラウンドしたぞ。