ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

ミッキーさんに面会す(1)

2011年08月31日 | 日記
ほなさん夫婦は、生まれてはじめて、東京ディズ
ニーランドに行きました。もう何回も行ったとい
うリピーターの多いというのに、ねぇ。

飛行機で東京までひとっ飛び、1時間10分の旅で
ありますが、雷雨のため、あわ踊り空港でしばら
く待機し、約1時間遅れての到着となりました。

羽田まで娘が出迎えてくれ、顔をみた瞬間、お互
いに涙がぽろり、、。やっと飛行機の緊張の糸が
ほどけました。

過去、TDLへ行こうとした時期はあったのです
が、家族だと10万円で行けないと知ると、だれ
もが行こう!と言わなくなりました。このときは、
湯布院への車の旅になりました。四国をつっきり、
フェリーに乗り、大分を車で走破したのです。
旅館代と油代だけで済みました。これがありまし
たから、
TDLは高い!
という観念でおりましたら、娘が割り引きもある
し、安くなったよ!と教えてくれ、行くことにな
ったのでした。

二度目の恋(大大大団円)

2011年08月27日 | 日記
病気や体の不具合というものは、常に人に
はつきもので、その事実を受け入れられる
ようになると、身に降りかかる不平等さえ、
かえって公平であることに気付きます。

悪いことがあったなら、それがあったから
こそ、増して良いことが与えられる不思議
を知りました。人生は悪いことばかりでな
い、必ずその先があると確信するようにな
なりました。

ただ残念なのは、こういう思いに達するの
は一時であり、ほなさんのような凡人は、
感じ取ってすぐ忘れを繰り返しゆくので、
いつまでも煩悩から抜けないのですね。

などとお話しますと、Aさんの旦那さんは
うなずいておられました。

場を和ませようとしてか、はたまたオノロ
ケからか、Aさんは旦那さんに、どうやっ
てプロポーズしたのかをしゃべりなさい、
と笑いながら言いました。

旦那は気恥ずかしそうに、
「こんなに気の強い女性だと思わなかった
 ので、、、、」
とカワシました。やはりアラカン男です、
そう簡単に妻の言うとおりの恥ずかしい言
葉は口にしません。

こんな二人の会話を、Aさんのお嬢さんが
笑顔で聞いていたのが、とても印象的であ
りました。

三十年前の恋を実らせた男は辛抱強かった、
告白されたことを忘れないでいた女も逞し
かった、
どちらにしても、二人が誠実に生きてきた
から生まれた恋だと思います。

お四国遍路の旅は、ひとりで歩いていても、
弘法大師さんとの二人旅です。独り歩いて
いると思っても、本当にひとりだけの人生
など、ないのかもしれませんね。

Aさんの二度目の恋は、見事に実りました。
おめでとうの気持ちを込めて、大大大団円を
つけました。
あなたの二度目の恋は、さて、、、

二度目の恋(大団円)

2011年08月26日 | 日記
このお盆、Aさんは約束通り、夫を伴い、ほな
さんの店を訪ねてくださいました。
Aさんの下のお子、お嬢さんも一緒にです。
お嬢さんが、昔のAさんにまぁよく似てきてい
ます。ほわっとした、雰囲気なのです。こう言
うと、お嬢さんは、お母さんに似るなんてイヤ
だと返事しました。若い頃は、どこの娘も同じ
ですね。

旦那は、カジュアルな服装で、写真よりずっと
若く、背は高くなく色クロです。顔に優しさが
にじみでています。
女が吸い寄せられるハンサムでは、ぜったいあ
りませんが、男としての落ち着きがあります。
Aさんの好み、変わりましたね。

旦那さんは、なぜ、ほなさんの所へ連れてこら
れたのかわからず、何を話してよいのか、とい
った具合でしたので、ほなさん夫婦がAさんに
お世話になった過去のいきさつを簡単に説明し
ました。

女房は子供のことが心配で眠れなかった夜、傍
らのほなさんをみると、やっぱり夫も同じよう
に起きていて、なぜこうなるのだろう、こうな
ってしまったのだろう、と話すうちに、自然と
涙が出て、夫婦ともに泣きながら何度も話した
といいました。その相談にのってもらったのが、
Aさんで、とても有難がたい存在でした。

夫婦で泣くと、その境遇がまたみじめで、そん
なことを繰り返していくうちに、ほなさん夫婦
も強くなって、だんだん惨めな自分が笑えるよ
うになっていきました。
子供が親を作ってくれてるんだなぁ、そう思っ
たことが何度もありました。それだけ、自分達
には足りなかった、夫婦として未熟なんだと知
らせてくれたのでした。

二度目の恋(7)

2011年08月25日 | 日記
お相手の男性は、学生時代、他県で研修を受けた
時の講師をしていた方でした。
その研修期間の終わりに、交際を申し込まれたそ
うですが、まだAさんは20歳なので断ったそう
です。

その後、月日は流れ、男性も結婚されましたが、
お子様に恵まれず、先年、奥さんは亡くなったと
伺いました。
そして、Aさんが離婚してのち、また、知り合わ
れたそうでした。

とても真面目な方ですし、ほなさんとも同い年、
こりゃお会いしたいと、われわれ夫婦は会わせて
頂戴とお願いしました。

この昼食会の2ヵ月後、今年の春、病気がちだった
Aさんのお父さんは亡くなりました。そしてAさ
んは彼氏のプロポーズを受け、関東地方へ旅立っ
ていきました。
「男前じゃないけど、、」
と照れ隠しの弁明をしきりにしつつ、顔は近年に
ないほどほころんでいました。

式もない簡素な結婚にはなりましたが、大人はこ
れでいいのです。結婚生活はしきたりで縛るもん
じゃありません。

結婚をきめた理由をAさんは、
「にい(兄)、もう結婚なんかと思っていたけど
 彼に会ったら、潤ってないことに気付いたんよ。
 過去の自分は、やっぱり乾いてたんよね。」
と告げました。この言葉、正直に生きてるAさん
らしい。気付いてよかったなぁと思います。

そうなんですよ、Aさん、
50過ぎたら、自分の人生、歩かなくっちゃ。
人生の主人公は、あなたしか居ないのですからね。

Aさんは、まだ人生の折り返し点をやっと越えた
ばかり、男と女の年齢を足して、100歳を超え
た頃から「本物の愛」が生まれるといいますから、
男女の仲は、ここからが本番、愛してくれる人と
の「新婚生活」、楽しんでくださいね。

ほなさん夫婦は、毎度のお馴染み、夫婦湯のみ
を選定し手渡したのでありました。

二度目の恋(6)

2011年08月23日 | 日記
男女の仲は、いったん切れてしまうとその修復
は難しい、、、。
子はかすがいというが、その子たちも育ってゆ
くようになると、かすがいの役目をするものが
無くなります。50歳超えての破局は、元に戻り
にくいのです。

Aさんの場合、数年かかって話し合い、その後
司法にもちこんだのは、旦那様側は離婚したく
なかったからだろう。Aさんからは、信頼でき
なくなるともう二度と同じ過ちを繰り返したく
ないと、このあたりの心理は、女性特有のきっ
ぱりとしたものだった。男はその点、優柔不断
だ。結論がでないため、Aさんの顔色はすぐれ
ず、実の父親の病気も悪化、悪いときは悪いこ
とが重なった。

去年の寒いある日、Aさんは、晴れ晴れしたよ
うすで店にやってきた。離婚が成立したのだと
いった。
別居してから長かったし、二人の子供のところ
へ通いつつ、最近は特に長男の結婚と孫の誕生、
父親の看病と大忙しのもようだ。

その合間に、昔の仲間、子供劇場の中心スタッ
フのみなさんと食事会に、Aさんも来てくれた。
35年以上ぶりに会った、お母さん連中は、確か
に覚えのある方ばかりで、ほなさんより年上で
も健康そうだ。事務長をしていた方は、杖が必
要になっていたが、しっかりものは今も変わら
ない。

その最中、Aさんが、ある男性と付き合いはじ
めたことを上気した顔つきで告白した。
異口同音でよかったなぁ、という皆の思いが空
気となり、その場を流れた。
人間不信、男性不信になってなくて良かった、
そうほなさんは思った。
相手の男性は誰?どんなきっかけだ?

二度目の恋(5)

2011年08月21日 | 日記
二人の子供さんは立派に育ちましたが、Aさん
は旦那さんとの間に離婚問題がおきてしまいま
した。
Aさんの旦那様はハンサムだと書きましたが、
妻に言わせると、
「カッコイイので、女がすい寄っていく、、」
んだそうです。

ずいぶんと神様は不公平なことをなさいますね。
ほなさんらは、あくまで「ら」をいれますよ、
女性をモノにしたいと思ったら、弱ってまとも
な判断ができない状態になった方か、周りにワ
ナをいっぱいしかけるか(どんなワナ?)、し
かありません。
原始古来の狩猟と同じです。男女の仲はアタッ
クするもの、退けられるものあり、男は突破す
することに全力を挙げる生き物です。

ところがこれではほとんどモノにはできまん。
ほなさんの周りに居た女どもは、弱っていると
思いきや、奢らせるだけ奢らせ絞りとると、急
に元気になる女性ばかりでした。スキをみせる
のも女性のワザでありますから、やられた方も
大したもんだと思わざるをえません。

Aさんの旦那様のように、女が吸い寄って行く
ような事態になることなど、経験したことあり
ませんが、それはそれで奥様の立場となると、
これは困ったものだったことでしょう。

幼馴染の女の子が、「ヨ○○ タクロウ」とい
う有名歌手のおっかけをやっていた時、彼女が
出したファンレターに、タクロウの奥様から返
事がきたそうです。中味はこれ以上近づくな!
というものでした。想像ですが、奥様はたくさ
んの女性ファンへ書かざるを得なかったのでは
ないか、と思います。ある意味、悲しいですね。

男としては、そんな人生、たまには歩いてみた
いもんですが、Aさんの場合、数年話し合い、
最後は裁判になり、とうとう夫婦の縁が切れて
しまいました。

Aさんは、女ひとりで歩いていかなくはならな
いので、この数年間の彼女の落ち込みようを考
えるなら、どうしたもんかと、私達周りはため
息をついたのでした。

二度目の恋(4)

2011年08月20日 | 日記
また、別の子供さんがいます。
かっこいい車にのっている女の子です。
車といっても、車椅子でありますが、障害者の
競技大会なんかでみるようなカッコイイ車です。
大きな車輪の横には、赤や黄色、青などでイラ
スト絵が描いてありました。
本人もカッコいい女の子でした。

小学生の頃、近所の小児マヒの同級生と過ごし
たことがあり、彼は自分で動けないもんだから
歯がゆさからワガママになり、私もワガママだ
からよく喧嘩をしつつ遊びました。頭の良いヤ
ツでした。

彼の足がわりは、車椅子なんてものじゃなく、
ベビーカーをただ大きくしただけのものでした
から、細かい動きができません。押すのに力が
要りました。子供二人で押して、朝夕、学校へ
送り迎えをしたのですが、「ブーン」と声を上
げ、私達が走りながら押すと、彼は喜んで、ド
モるため聞き取れない言葉で、
「もっと走れ、もっと走れ!」
といいました。こういわれると私たちは、さら
に早く走り、強く押しました。そのうち、スピ
ードを出しすぎ、みなで転んで擦り傷をこさえ、
車は壊れてしまいました。その度、彼の親の所
へ謝りにいき、みなで叱られました。
いつもやった、懐かしい思い出です。

ほなさんが時々ドモルのは、彼の影響ですし、
言葉をはっきり発音できない方との話しがおっ
くうでないのは、たぶん彼のおかげだろうと思
います。

障害者と健常者の境って、どこにあるのか、私
にはよくわかりません。健康と病気の境もよく
わかりません。
人は常に病気を友として生きてゆく動物のよう
に思います。それが人生の一面ではないか、な
んて達観したことを思うことがあります。

それでも、子育ての最中は、いろいろ悩みます。
それが親というものです。
Aさんによく相談しました。Aさんはほなさん
より年下でありますが、判断が的確で、各方面
にお知り合いをもっていました。

Aさんのような方は目立ちませんが、実際の社
会を支えておられる大事な方だと思います。で
も、こういう必要な方、ご自身が幸せだったか
というと、そうではありませんでした。

二度目の恋(3)

2011年08月17日 | 日記
やがてAさんはハンサムな教師と結婚され、
次にお会いした頃には、ふたりの子の母とな
っていました。うちの子供らと年が近いこと
もあり、また、お付き合いがはじまりました。

子をもつと予想外のことがおき、子育て中の
心配事が多くあります。相手によって相談で
きること、できないこと、この方でないとダ
メなことなどもあります。こういう問題は、
この方へ相談すればよいという図式ができる
と、親は精神的にずいぶんと楽になります。

話は変わりますが、お店のお客様、仮にCさ
んと呼びます。Cさんのお子さんは、元気な
お子さんなのですが、みるからの障害者です。
耳が悪いのでしょう、ほかにも障害があるの
か、お話ができません。お店にくると楽しい
のでしょうね、ちょっとHiになるのは、他
の子供さんと変わりません。

ほなさんは子供が好きなので、Cさんのお子
さんへも同じように挨拶してきました。最初
Cさんのお子さんは警戒し、なかなか挨拶が
かえってきませんでした。あなたに挨拶して
るのよ、と言いますと、何度かあとに、ハニ
カミながら返事が出ました。お母さんは、子
供が正確な発音ができないことを不憫に思
ってか、そのままそっとしておいてほしかっ
たのかもしれません。

この子供さんが、自閉症のような重い病気な
のかどうかしりません、でも、話しかけてい
ると、この子は自分に話しかけられていると
判かり、そのことをとても嬉しがりました。

もともとお話が嫌いな子はいません。誰だっ
て挨拶したり、簡単なミュニケーションをと
りたいと思っています。
言葉というのは面白いもので、
「よっ、おはよう」
の「よ」に込められた微妙な加減で親しみが
わきますからね。

Cさんのお子さんは、最近、来るとかならず
私を見つけ出し、挨拶をし、そのことをお母
さんに嬉しそうに、また得意そうに報告して
います。それを聞くお母さんも顔もほころん
でいます。なにものにも勝る微笑ましい光景
です。

言葉はなかなか聞き取れず、その詳しい意味
はわかりませんので、周りは不思議そうに、
「ほなさん、今の言葉、どういう意味?」
と私に尋ねますが、
「ほんなん、わからんわ。」
「判らんのに、なんで話し、しよん。」
「大人でもなに言うてるかわからん人、い
 っぱいおるぞ。まぁ、なんとなくでもえ
 えんでないで。」
と答えます。

二度目の恋(2)

2011年08月16日 | 日記
私が応援にいった年は、子供らに無人島での
キャンプ体験をさせたいと地元大学の教育学
部の男子生徒が中心となり、わいわいガヤガ
ヤとやっておりました。大学生が多くいる中
で、ひとりだけタイプの異なる女子学生がい
ました。それがAさんです。

徳島の女の子は平均ほんわかしていますが、
もっと輪をかけたほんわか、おっとり。Gパ
ンの似合うすらりとした体型に、眼鏡の奥が
いつも笑っており、それが身についた子でし
た。

ほなさんは名前の後ろに「兄(にい)」とつ
けられ、それがそこでの名となりました。

夏休み、子供と青年だけでの無人島でのキャ
ンプは大成功し、みなはお母さんたちに大き
な顔で帰ってきました。そのごは、うたごえ
喫茶を定期的に開いたり、模擬店をやったり
と、社会人になっていた私は、久しぶりの学
生気分が味わい、とても和んだ気持ちになり
ました。

そのうち、ほなさんは仕事で大阪へ行ってし
まい子供劇場との縁は切れました。徳島の子
供劇場はさらに大きくなっていったと噂で聞
きました。

ほなさん夫婦が徳島で商売をはじめると、A
さんとお母さんが尋ねてきてくれました。な
んとお母さんは親の代からのお客様でした。
Aさんが、ほなさんを「○○にい」と昔の名
で呼んでいるのを女房は、きょとんとした顔
で眺めました。いったいどんな関係?と思っ
たかもしれませんが、どんな関係でもありま
せん、焼もちを焼いてくれるならありがたい
ですから、しばらくそのままにしておきまし
ょう。

二度目の恋(1)

2011年08月12日 | 日記
ほなさんが若い頃の昔、こどもが多くいまし
た。それで「子供劇場」という市民サークル
を約2年ほど手伝いました。

1500人会員がいて、それもさらに広がっ
て、事務所を借り、教育委員会の後援もらっ
たり、なかなか大変でしたが、我が子のため
というのでしょうか、母親達ががんばってお
りました。

主体は、子供たちの成長に役立つ演劇会や講
演などを、お母さんですすめていくのですが、
それだけは足りないので行動力を学生が補い
、また、子供の遊びに付き合うには若い男が
いるので、ほなさんも借り出されたのがきっ
かけでした。

学生時代は児童文学に興味をもっていた時期
があり、ほなさんにとって子供はおっくうな
存在ではありませんでした。

切符売りをすることはあまりなく、そういう
のは母親たちのネットワークで売り切れてし
まうので、子供たちに夏のキャンプを体験さ
せること、キャンプでくたくたにさせること
が、私達の使命でした。

子供というのは、くたくたになるまで十分に
満足させること、そこまで付き合うことが大
事な動物です。いわゆる体力勝負の世界です
から、若い男がぜひとも必要でした。