ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

刺青の記憶

2008年10月31日 | 日記
自宅近くの銭湯(同級生宅)の姉妹で、そこを手
伝っていた70代のお姉さまが買い物にきてくれ、
「○○ちゃん、私もゆうこちゃんの朗読劇に行っ
てたのよ。」
といった。(’ゆうこちゃん’とは町内会の幼馴
染みで、今年、数十年ぶりで話をした人だ。)

突然の「○○ちゃん」(下の名)よばわりに唖然!
ほなさんは、もう60歳を前にしたいい大人である
のに、町内会のこのお姉さまの中では、幼稚園や
小学校の低学年で止まっているようだ。

この銭湯は家族全員がお掃除好きで、お客としゃ
べりながら、広い脱衣所の木の床をしょっちゅう
箒をかけ、ぞうきんで拭いていたから、どこもい
つも清潔だから人気だった。

場所も盛り場に近いから、夜の仕事に出かける女
や男は出勤前の早い時間、仕事終わりの深夜まで
よくにぎわっていたものだ。

その中に、二の腕や背中に墨をいれたイナセな兄
チャンも多かった。刺青の若い衆の彫り物は、湯
から出てくると、湯に入る前と違い、ピンク色に
上気した肌に絵が浮き上がってみえきれいだった。

白い肌に般若の面はいっそう怖く凄みをまし、桜
の花びらはとても可憐にみえたものだ。誰かの小
説に、刺青の人の皮膚をアルコール漬けにし、集
めたものがどこかにあると書いてあった。そうい
うものに興味は湧かないが、男も女も若いハリの
ある肌に描かれた刺青は、子供にさえ息をのむほ
どうつくしかったように思った。

どういう気持ちで刺青を彫るようになるのか、私
は知る由もなかったが、子供心に、美というもの
はやがて衰えるものであることも理解できた。
このおばちゃんの、「○○ちゃん」の一言で、
湯煙のむこうに見えた過去の記憶がよみがってき
たのだった。

奈良に行ってきました。(結論)

2008年10月29日 | 日記
奈良・宇陀カントリーでは、最終98という
スコアで終わりました。OB4発(池ポチャ
含む)を出しながら100ギリできたのです
から、自分としては大満足でした。

たくさんのハンデをいただき、前回同様2位
、今回はウマもいただき、賞品をもらいあり
がたく帰ってきました。
ゴルフの賞品っていうのは、これはこれで大
変うれしいものです。
優勝は、やはり同組の飛ばしのにいちゃんで
ありました。

今回は、「見たままでやって」といわれず、
もう少しコース情報があったなら、もっと良
いスコアが出せたのではないか?と欲ボケて
います。ゴルフ場側が情報をもっと出してく
れたらなぁ、と練習場の店長さんにボヤキま
すと、
「見たままでやれ」といわれたら、
「見える範囲の安全な場所に打て!」
ということだ、と教えてくれました。

よくわからないゴルフ場もあるそうで、見え
る範囲の安全な場所に打つ技術があるかどうか、
それがゴルフなんだそうです。
なるほどなぁと思いました。

グリーンのピンまでの距離ばかり気にしている
ようじゃ、いつまでも経ってもうまくならない
よ、と言われたようで、恥ずかしかったです。




奈良にいって(飛ばしてみたい)

2008年10月26日 | 日記
はじめてお会いしたNさんという方、40代前半
の大阪のにいちゃん、細身、色黒のバリバリ飛ば
す人だった。

2番・3番・4番・5番とすべてパー、6番の
ショートホールでやっとパットを外し、ボギーに
落ちた。それでも最初バーディ発進だから、ここ
までパープレイなのだ。素晴らしい人と同組にな
ったもんだ。

本人は「できすぎ!」を強調していたが、ショッ
トに狂いはなく、特にグリーンを狙うと確実にピ
ン傍に停めるというアイアンのキレは素晴らしか
った。
ピン傍1mとか50cmとか、カップを直接狙って
くるプロツアーの熱戦をみているようだ。

ところが7番でドライバーがブレた。高いドロー
系のボールが持ち球なのに、曲がりがかからない。
そのまままっすぐ、はるか遠い右の林を突きぬけ
た。打ち直した次の球も同じだった。飛ぶことは
両刃の剣のようなのだ。でも、あんなに飛ばして
みたい。

谷を越えた先にある左の林の上をはるかに越え、
「あー、突き抜けちゃった。」
とか言ってみたい。
打ちそこなうと、決まってすぐ前のレディーステ
ィ傍からニ打目を打たなければならないのでは、
どうもゴルフをしている気分になれないのだ。
やっぱり飛ばしてみたいなぁ。

奈良にいって(今、何打目?)

2008年10月25日 | 日記
左サイドのこぶの丘に行ってみると、その先はラ
フではなく、こぶの向こう側には白いOB杭が立
ち、こぶからさがったところは、車一台通れる作
業用のアスファルト道路になっていた。道路の左
は崖だった。

意外と狭かったんだ。ほなさんのボールはこぶの
丘で跳ねたまでは見えたから、どうせ崖から落ち
たことだろうと、諦めた。
「あーあ、一番ホールからOBかいな」
と落胆していると、後ろでTさんの声がした。

「ほなさんのボール、ここにあるよ。」
私より年上であるのに、気楽に探してくれていた
ことがわかり、こちらも衿を正して駆けていった。
ほなさんの球は、作業用道路の端にあった。もち
ろんOBだ。どこかにあたって外に出なかったよ
うだ。

マナー集を読んだら、「ロストボールはグループ
の恥」と書いてあったのに、私は他人のロストボ
ールを自ら見つけ出したことは少ないように思う。
Tさんは、前回スコアは私より悪かったが、彼の
マナーに学ぶべきところが多かった。年齢もそう
だけど、ゴルフも先輩という印象をもった。

「えーっと、結局、次は何打目か?二打目OBで
暫定球打ったから、、、えーーっと、うーん、次
は5打目。えー!5打目になるのか。」
計算すると、力が抜けた。頭の方は、間違いであ
ってくれ!と妙な期待をしている。

ほなさんは5打目でグリーンに乗せ、ワンパット
目を、ピンまで1.5メートルぐらいに寄せた。
その距離をみた瞬間、この距離は自宅で練習した
距離と同じくらいなので、上がることなくまっす
ぐ打てた。
コーン!という小気味よい音がして入った。
Tさんに、
「ナイスパット!ほなさん、前回より練習してき
たな。」
と冷かされた。

このホール7打。
Kさん 7打。Tさん 8打。
そしてティーショットで一番ゴルフらしいショッ
トをしたNさんは、3打目をピン傍に寄せ、バー
ディ発進をなしとげたのでありました。この後、
Nさんは怒涛の快進撃をみせたのであります。

奈良にいって・・・(暫定球打ちます)

2008年10月22日 | 日記
「見たままでやって」と言われたことに戸惑いながら
スタートした。1番目のKさん、Tさんは、力んでド
ライバーが飛ばなかった。いわゆる「朝一ショット」
という奴だ。

472ヤード、パー5の長丁場。ドライバーが飛ぶと
助かる。ほなさんのドライバーの音はよかった。他の
人たちが、おお!と声を上げたほどだ。でも準備もな
しの打球は左へスライスし、ラフの斜面に残った。O
Bでなかったから助かるね。

最後に打ったNさんは、高い打球音を残し、これぞゴ
ルフ!というティーショットだった。ゴルフはこれで
なくちゃけない見本をみたようだ。高い弾道、打球音
ともにうらやましい。

低い音は、水原ひろしとフランク永井だけでよろしい。
ほなさんの声などは、低いだけの湯船の中の「?」の
ようなもので、聞き取れない相手から
「へっ?」
と聞き返される。威厳もなにもあったもんじゃない。

KさんもTさんも第二打も苦戦し、
「体が温まってないからなぁ。」
「前回以来のゴルフだから。」
とそれぞれが言い訳しながらショットを打った。

それを横目、冷たい目で見てはいけない。いつ自分
がそうなるか、わかったもんじゃないからだ。ほなさ
んの場合は、最初より中盤、後半と悪くなってゆくパ
ターンが多い。体が温まると軸がブレだし、ハーフの
最後の頃は疲れてヘロヘロで、また軸がブレる。

第一ショットがまずまずだっただけに、先が心配だ。
第二打からは右にドッグレッグしていて、ピンが見え
なかった。
ラフは前上がりの傾斜。左に流れることを考慮して打
つ。手ごたえは良かったが、
「あっ!」
と小さな声があがった。

低い打球は、うねる左の丘をそのまま抜けた。
右にひっかけると思ったら、左にまっすぐいってしま
った。押し出したのか?反省している余裕はない。
「暫定球打ちます。」
と宣言し、今度はそうとう右を向き打った。
それでも左の端に近い。
やっぱり左に押し出してるんだ。

奈良に行ってきました(5)

2008年10月16日 | 日記
食事になり、少し早めに行ってみた。
事務所にカタログがおいてあるから、それをサカナ
に食事をする。すると、この宿は、奈良県の持ち物
で、それも来年春には無くなるらしい。それで、長
年の感謝セールで、「ありがとうパック」なるもの
をやっているそうなのだ。

食事も悪くないし、お風呂もまあまあ。建物に手を
入れないのも、閉鎖がきまっているからのようだっ
た。7時に寝床を敷いて、それからうつらうつらし
ながら朝を待つ。5時にはすることがなくて、もう
起き出した。

朝食にハシだけつけて、勢いよく飛び出した。
管理人が
「ご飯たべたん?」
とあまりの速さに尋ねたが、一刻も早くゴルフ場へ
行きたいので、背中で返事。

目的のゴルフ場まで少し距離があった。10分前に
着き、M氏に挨拶。M氏はここ3日間連続ゴルフだ
そうだ。伊勢の方まで遠征にでていたそうな。
うらやましいもんだね。

「一組減ったから、ほなさんトップに出発してよ」
とM氏から言われ、なにも練習できずにスタートホ
ールへ。

すごいことに、宇陀カントリーは、セルフであるの
に、ピンの位置の説明なしだった。幹事がスタート
室に聞きにゆくと、
「見たままでやって」
という答えだった。奥行き30ヤードもあるグリー
ンのどこにピンを想定すればいいのでしょうね。
そんなのあり?

奈良に行ってきました(4)

2008年10月13日 | 日記
女房曰く、
「35年も前と同じように残っていたのは、感動モノ
ね。」
私から言われ想像したものと同じだったようだ。山合
いのそこだけ同じ空気が流れていようとは、懐かしさ
でいっぱいになった。

そうそう、ほなさんの’シモ’の話をするために、奈
良行きを書きはじめたのではなかった。

女房を京都まで送り、それから宇陀の宿へと走った。
竹内まりやのCD3枚、全部聞き終わる頃、宇陀の山
でその温泉宿を見つけた。道路沿いに手書き文字の看
板が無かったら、ナビでは絶対に見つけられなかった
だろう。ほなさんの車のナビは、隣の山の方向をさし
ていた。目的地近くでは、ナビは信用しないことにし
ている。

道路から入った急な坂を登ると、目的の宿はあった。
ウェブでみたよりはるかに立派、ちょっと安心。
玄関脇には、温泉宿によくある白地の筆文字で客の名
が四行あり、その二番目に「ほな様ご一行」と書い
てあった。1名しかいないので、ご一行に恐縮しなが
ら玄関をくぐる。私以外にも客がいたのだ。

車が着くのを事務所から見ていたのか、上がりかまち
にふたりの女性スタッフがいて、
「徳島のほなです。」
と私がいうと、笑顔で迎えてくれた。

さっそくお部屋へといい、一人がすぐ傍のエレベーター
へ案内し、ボタンを押した。
2階建てなのにエレベーターがあるんだ。

私ひとりがエレベーターに乗ると、ふたりはおじぎをし
丁重に見送ってくれた。おもむろに2階につきドアが開
くと、あれ?さっきのひとりが待っていた。

「???」
これはイルージョンだ、忍者だ。
エレベーターの後ろに階段があったのだ。
この方、急ぎ駆け上ってきたみたい。想像すると可笑し
かった。そこまでしなくても、一緒に乗ってくればよい
のに。

ほなさんの今夜の部屋は、エレベーターの隣だった。



奈良に行ってきました(3)

2008年10月12日 | 日記
石神(いそのかみ)神宮は、天理で学生時代を
過ごし、住んでいた下宿も神宮裏だったから、
毎日門前を通りながらも、一度も入ったことが
なかった。なんと信心のない青春だったことだ
ろう。

神宮内は、静かな冷気に包まれていた。こんな
風になっていたとは知らなかった。それで今回
は、国宝の拝殿で拝んでもらうことにした。

お願いの内容を円で囲み、具体的なことがらを
書くのだが、書き始めるといくつもあって、願
い事を整理するのに困った。ほんの少しのお礼
で、たくさん願い事をするとはけしからん奴だ
と思われそうだが、神様は願い事をされること
に、神代の昔から慣れているはずだからと、厚
かましくも気にせずいっぱい願った。

帰り道、当時住んでいた下宿屋はあるだろうか
と、車を回してみた。神宮横の細道を入り、日
本最古の道と云われる山の辺の道へとゆく。
桜井へとつづくこの道のすぐ傍に下宿はあった
から、観光客がよく迷い込んできた。

男ばかりの下宿だから、冬以外ほとんど裸同様
の生活で、何も知らない若い観光客のおねえち
ゃんは、パンツ一丁のわれらの姿に驚いて立ち
去った。

沖縄の手前の島から来ていた男は、ただでさえ
毛深いのに、蛇を振り回しておねえちゃん連中
を追いかけたりするもんだから、山間に黄色い
声がして日曜は退屈しなかったものだ。
ただし、キャーといかいうきれいな声でなく、
ギャーという悲鳴に近かったような気もした。

牛小屋を間仕切り、畳をしいただけの部屋も、
畑の横の離れの部屋も、外側だけは35年前の
当時と同じく存在した。
畑横の離れの部屋に居た時は、畑の白菜を外側
1枚だけ残し、中をたいらげた。これで3日間
のおかずとなったが、翌日、掲示板に、
「欲しいときは遠慮しないで言うこと。」
とおばさんの字で書いてあったっけ。

畑の中で○○コしたことがあった。夜間母屋の
戸がしまってしまい、やむなくそこで用を足し
たのだ。ほなさんを噛んだ憎っくき犬がいて、
その犬のモノに似せてしたつもりだが、そうい
うモノが何箇所もあったみたいで、おばさんに
バレタ。
下宿中の学生がしていたのだ。
それからは、夜間は100m先のアパートのトイ
レを使うように、ときつい指示がでた。

すべては35年前の話。
もう時効だろうから書いた。