ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

還暦で

2012年02月26日 | 日記
お越しくださっているのに、ご無沙汰して申し
訳ありませんでした。

最近、店のスタッフ全員で、久しぶりに交歓会
をやりました。
銀行の若い担当さんも来て盛り上げてくれまし
た。

食事会のあとのカラオケで、われわれ夫婦は
「麦畑」をやりました。
経費節減のおり、しばらくできなかったのです
が、全員が「遊びは最高!」と思う連中ばかり
ですからとても楽しかったです。仕事ばかりの
生活はつまらないですから。

個人的には、この際、社長の肩書を外してくれ
とお願いし、退職ではありませんが、それを妻
や息子、周りが認めてくれたのがありがたいで
す。

手はかかりませんが、母の世話でやりたいこと
もあり、店のことを優先的に考えなくともよく
なったので、しばらく世間を眺めてみようと思
います。ボケるな!と声がかかりそうです。
でも、後方から支援の仕事はさせてもらいます
し、それ以外に、また新しい何か見つかればよ
し、ですね。

32年前、軽自動車でスタートし、また去年、
軽自動車にもどりました。
軽もずいぶん変わりましたね。
身の丈にあったシンプルライフに近づけそう
です。

ufo氏?に会う

2012年02月15日 | 日記
関東の、ufoさんに会ってきました。
ネットの長年の知人、禁煙サイトでお会いしし
仲間のひとりなんですが、今日までの7年以上
も続き、一番長いお付き合いになりました。息
子などは、会ったこともないのに、遠い家族の
ようだ、と甘えてお付き合いさせてもらってま
す。

ufoさんのブログは、左のブックマークにありま
すので、どうぞごらんください。
まぁなんというか、ufoさんと自称するぐらいの
、引き出しが多く興味の湧く方で、優しい方です。

料理は自ら包丁を使い、半端な料理人より魚の
さばきはうまい。料理屋のカウンター越しに、
「俺が代わってさばこうか?」
と声を掛けそうになることもよくあるという、
食通です。

皿を汚さず、手も汚さず、ピザをきれいに完食し
た技に脱帽しますし、ワインをクイっとやる飲み
方は洗練されたご夫婦でした。
細見で美人の奥様とムーミンパパのufo氏、理想の
ご夫婦像でした。こんな風に生活できたら、おしゃ
れです。

それに比べて、お約束の日が寒い日でしたので、
お会いする前に、餅が3個も入った「おしるこ」、
関西の「ぜんざい」を親子で食べてきたので、腹
いっぱい。胸やけから食事をご一緒にできなかっ
たと、あとで大反省した、ほなさん親子でした。
ほなさん夫婦は、洗練とはほど遠い位置にあるの
だと、再確認してしまいました。

親子三人、娘の狭いアパートで、布団が足りない
ものだから、腹や背中、足の裏にカイロを貼り、
服を着たままの状態で川の字になって、グースカ
寝た東京の夜でした。

朝起きて、それぞれのかっこうをみて、
「それは可笑しいわ。なに言うとるの、おまはん
 こそ。」
と、お互いを笑い合ったのでした。
東京出張は、あっと言う間に終わりました。
またいつか、

風雲急をつげ(付け足し)

2012年02月11日 | 日記
なんでもかんでも撤退がよいとは思いません
が、若社長の新店舗は、すでに立地変動がお
きた後だったと思われます。だから、かつて
の繁盛店が閉店した時点で、もうすでに立地
の格下げがあったと考えるのが自然でした。
(表向きは他の理由でしたが)

競合店があり、その店が撤退したからといっ
て売上が増えるようなことは実際にはありま
せん。閉店する時点で、もうすでにほとんど
その店の売上は無くなっています。

ほなさんが若社長にアドバイスしたのは、今
後は店を取り巻く環境が予想以上に厳しくな
るだろう、ということ。過去の計算式でやっ
ていると、間違いなく失敗するだろう。

もうひとつは、これに伴って、良い立地と悪
い立地の差は、極端にひらいていく、と言い
ました。

人口減により、1千万人の都会が500万人にな
るには時間がかかる、でも、1万人が5千人に
なるのは早いのです。人口の少ない田舎ほど、
立派な道路と橋があり、ストロー効果がいか
んなく発揮されるからです。

それでも、今回の場合、若社長自らが出陣し
た出店ならば、まだ戦いようはありました。
でも、経験の無い店長では、商品構成を替え、
スタッフ全員が接客できるようになるには、
たくさんの時間が必要で、とてもそこまで待
てない事情がありました。

ゴルフバムさんがおっしゃられるように、若
社長の判断は「英断」だったと思います。
若社長は、当分だまっているでしょうが、ま
た出店していかれることでしょう。

だれもが失敗し、そこから学び、また立ち上
がります。年寄りの失敗に二度目はありませ
んが、若いうちの失敗は知恵と力を呼びます。
未来を拓くのは、現状に飽き足らない若もの
たちです。その応援をしたいですね。

あしたという字は、明るい日と書くのね、
いつか聴いた言葉に未来をのせて、期待しつ
つ、、、          合掌

風雲急をつげ(終わり)

2012年02月08日 | 日記
共通した問屋の販売員から、若社長の新店舗が
全品30%引きをやっていることを知りました。
3割引きをやると、大型店と異なり、われわれ
クラスの総合衣料では、まったく粗利がなくな
ります。
この時、まだ開店して3か月目でありました。

そして翌月、数日間の「閉店セール」を敢行。
ええっ!
とこれには周りで驚く商友。
秋に開店した店は、年を超えることなく撤退し
て行きました。まさに武田信玄の風林火山を地
でいく早さでした。

新年に会った若社長に、ほなさんは尋ねま
した。
「また、、、思い切ったなぁ。」
「ダメなものは、早い方がいいですから。」
と社長。

「店長はどうしたの?」
「運よくいい職場が見つかったので、、、。
 こちらが良くないのに、長くひっぱるより
 いいかと思いました。」
と、そのあたりの問題はクリアできたことを
告げてくれました。

そういえば、ほなさんが若社長の相談にのっ
ていたとき、若社長の背中に耳をくっつける
ようにして、われわれの話を聴いていました。
まじめな方ですから、自らの行く末を考えて
いたことでしょう。

出店の失敗からくる資金繰りと、スタッフの
処遇は同じだけ大事な問題です。だからと言
って長引かせると、赤字幅が大きくなり、最
終的にもっと多くのスタッフに迷惑をかける
ことになります。判断と決定は、社長にしか
できない覚悟のいる仕事です。

若社長が偉かったのは、スタッフに頭を下げ
つつ、立派な家が1軒建つだけの資金を、自
分の勉強代として、個人で払うと言ったこと
でした。
この人、良い商人になるだろうなぁ、とほな
さんは思いました。

零細企業は、利益は会社と顧客・スタッフの
ものに、損は自分が始末する、こんな気持ち
がなければ、とても長く存続できません。
でもね、社長といえど、家庭があり、子供の
養育費もかかり、その中からやっと貯めた定
期預金のほとんどを使わねばならないとなる
と、惚れたはれたで一緒になった恋女房だっ
て、いい顔をするわけありません。

ここまで腹をくくり、女房殿にも今度ばかり
は仕方ない、と諦めさせること、これが一番
難しい「マネジメント」なのです。

しかし、今回の素早い撤退は、明らかに損を
少なくしました。その後の世の中の下りよう
は、九州の社長をして、まともな給料がとれ
ないと嘆かせるにいたりました。
もう今では、若社長の判断を早すぎたと感じ
る人はだれもいません。

日本国の歴代社長と、個人で損をしたら会社
に摺り寄せた○王製紙のぼんぼんに、この若
社長の爪の垢を、そのまま飲ませたいもので
す。
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ゴルフバムさんの要請で、アップするのも
若干?早くなりました。(ほんまかいな)

風雲急をつげ(5)

2012年02月05日 | 日記
若社長の話のあと、ほなさんは今感じていること
を独り語りで話しました。ほなさんはコンサルタ
ントではありませんから、私自身が同じような問
題に突き当たっていることを話すしかできません。
それを客観的に判断していただこうと思いました。

今年、歩き遍路で四国八十八か所めぐりを終えた
関東の友が、
「四国では、車が停めにくい古い町並みにしか
 郵便局がないのはどうしたわけ?ある意味、
 探し易かったけど。」
と言いました。特定郵便局があったような繁盛立
地は、四国では、店舗立地としては過去のものに
なったのだと言いたかったのでしょう。

都会と異なり、田舎立地は恐ろしく変化しており、
特に人口の無い田舎ほどその傾向はひどいのでし
た。
残念ながら、私の旧店舗も特定郵便局が並ぶ街道
にあり、そこを諦め移転しました。その立地では
存続できないと思ったからです。

消費のパイが急激に縮んでいるのです。
まず、西○屋さんを除く、各地の子供服屋さんが
無くなりました。
ブティックと称する、小型の婦人服専門店がほと
んど見えなくなりました。ハウスマヌカン?は夜
霧に隠れたままで、大型の紳士服専門店は、数が
ウンと減りました。

日本の人口が減りつつあるということは、田舎ほ
ど町へ吸い取られます。高速道路と立派な橋を使
って、人はどんどん大きな町へ出て行きます。そ
のうち、町にしかお店や病院が存在しなくなるか
もしれません。

こんな状況だから、ほなさんのところは、経費の
かからない店作りをめざし、そのための手は思い
切って打つことにしている、ということを言いま
した。

ですが、これには反論もあります。
九州の先輩商友から、
「そんなになんでも切り詰めてゆくと、先細りに
 なってしまうのではないか。先を厳しく見過ぎ
 ると、売上そのものが取れなくなってしまう。」
という声が寄せられました。

確かにそうで、デフレスパイラルの中では、損益
を合わせられることはありません。シビアに見す
ぎるものなんなんですが、そのぐらい思い切って
先を見越しても、実態から言うと、まだ足りない
現実が待っています。今は辛抱ゲームです。

と、いうようなことを言いました。
ふーっとため息が出るような緊張の場をあとにし、
若社長が今後、どんな手を打つか楽しみしており
ました。

翌月、問屋の販売員から聞いた話は、驚くべきも
のでした。
唖然!としたのはこういうことを言うのだと思い
ました。

風雲急をつげ(4)

2012年02月02日 | 日記
「ほなさん、どう思う?」
と相談があったのは、開店二か月になるかなら
ない時期でした。問屋さんでばったり会い、
よくがんばっているなぁ、と私が声をかけたら
若社長がそう問いかけてきたのでした。

開店売出しの売上に、周りが羨望のまなざしを
むけているのに、どうしたことだ?と私は思い
ました。
若社長の隣には、新店舗の若い店長がいました。
立ち話もできないので、じゃあと椅子がたくさ
んある待合場所へ移動しました。

私の傍には、静岡の若い商友が、昼飯を一緒に
しようと着いてきていました。この4人が移動
していると、顔見知りの九州やら他の地域の商
友二人が野次馬になってぞろぞろと。みなこの
若社長の店をお手伝いした仲間です。

ほなさんと若社長が頭をくっつけるようにして
話し始めると、店長は、若社長の背中に耳をく
っつけるようにして、耳を澄ませておりました。
私の後ろには静岡がいましたし、あとの二人は
横から頭を差し込んで聞こうとしますから、男
どもの頭をくっつけた、異様な光景でした。

若社長が口を開けました。
出店した場所は、かつての繁盛店があったとこ
ろで、居ぬきで賃料は割安、広さは申し分ない。
ただ、開店売出しの売り上げは、予想に反し少
なかったというのです。応援した問屋さん、仲
間の感触はどう?と聞くと、時間をかければ大
丈夫だろうといってくれたと答えました。

すべての数字を洗いざらい素直に、若社長は言
いました。周りの聞き耳を立てている連中も、
わがことのようにどうすればよいか、その道筋、
策を考えているのがひしひしとわかります。
他人の苦戦は、あすはわが身に降りかかります。
こういう時に立ち会えたのは幸運で、生きた勉
強ができるのです。

今から10年以上前に、物販のピークは終わっ
ていたにもかかわらず、それを理解しない多く
の商店主は、相変わらず拡大路線を変更しない、
あるいはできないできたのです。

ほなさんも含め、一度味わった美味しさと過去
の栄光を忘れることができません。
人は、過去に成功したノウハウによって、失敗
する動物だと有名なコンサルは言いました。

その結果、ロードサイドにできるレストランは、
2年で閉鎖となり、閉店したコンビニはそのまま
の姿をさらしています。大手が地域情報を集め、
マーチャンダイジングしたはずなのに、賃料が
安くなってもあとに入る業者は居ないのです。