ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

再録「汗かき日記」第三部(やっとオワリだ)

2010年11月14日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに
 載せたものを再録 現在はありません。)

     危険な試み

 あまりの暑さと体力回復を見計らって、8月からまた練
習場へ通い始めた。6月のNカントリーを廻った恥ずかし
い記憶に、次こそはもっと良いスコアを出しなさいと、
背中を押されて。息子といつもの練習場へ行ったとき、受
付横に試打用のドライバーがおいてあった。流行の大きな
クラブヘッドが印象的で、こういうのが振れたらなぁと思
っていたら、息子も気になったのか、打ってみたそうにソ
ワソワしているではないか。ここは一発、父親の権威を見
せて、
「使ってみてもいいですか?」
と受付嬢に頼んだ。愛想よく貸し出してくれたが、万一、
キズでもつけたら申し訳ないので、かまわないかどうかそ
れも聞いてみた。

 「初心者なんで、ダフッて傷つけることもあるかも。」
というと、メーカーが宣伝のために試打用クラブを置いて
いったから、心配しなくてもよいと笑顔で応えてくれた。
右用クラブだから私は打てないが、息子は大喜びで、大き
な「デカヘッド」を撫で回している。右利きと左利きが背
中合わせで練習開始。

 私はしばらくぶりの練習を確認するつもりで、小さなク
ラブを試しながら打っていたら、とっ突如、背中の方で、
何か光ったような気がした。連続して、
「ガリガリッ!」
と音がして、練習場に居た人々の視線がこっちに集まって
いる。
 光と音は、息子の打席からだった。借りたクラブを力い
っぱい振り回して、地面を叩いたらしい、頭をかいてニガ
笑いをしている。それに懲りて、おとなしくするかと思っ
たら、息子は汚名を返上しようと、さらに力んで、アドレ
スに入った。危ない!と思った時は遅かった。

 人工芝の手前に約30CM幅の黒いゴムのマットをダフリ
防止に敷いてあるのだが、そんなもので間に合わない。そ
のまだ手前のコンクリートめがけて、デカヘッドがいくで
はないか。息子は、学校で習いそこなったのか、音より光
が早いという、理科の実験をしてしまった。デカヘッドの
一部がコンクリートにまともに当り、スーット引いたよう
な光が出て、やがて端の打席の人まで驚く大きな音がした。
そのあまりの見事さに、
「やっぱり光が早いのか。」と私が納得したとたん、デカ
ヘッドは見事に二つに割れ、カランカランと打席の中を回
っている。

 流行のデカヘッドの中は、こんな構造か?なんて中をみ
る余裕はなかった。「やってしまった!」という後悔と、
なんてお詫びをしたらいいのだろう、弁償すれば10万円近
いのではないだろうかと、様々な心配が頭の中をかけめぐ
る。息子は青い顔をして、デカヘッドの割れた二つを合わ
そうとあれこれやっているが、手に負えないのはわかって
いる。
やがてどうしようもなくなって
「ハ、ハ、ハ」
と力なく自嘲した。

 借りたクラブを息子に持たせて、受付まであやまりに行
った。受付嬢は、お客に向かって貸し出すときに
「心配しなくてもいいから」と言った手前、
「メーカーのですから(弁償しなくて)大丈夫ですよ。」
と言ってくれた。
まさか硬いチタンのクラブヘッドが割れるとは、考えても
みなかったのだろう。でも、二つに割れたヘッドを受け取
ると、目が点になって、急いで
「支配人、シハイニ~ン!」
と声が上ずっている。本当に大丈夫だといえる雰囲気では
ないようだ。こうなった以上、ここに長居はできない。そ
うそうに料金を支払って、練習場を出た。

 また、この練習場へ来れるのだろうか。気まずさで二人
とも押し黙ったまま帰宅した。いつものことだが、私ら親
子の帰りの車中は、なんと沈黙の時間の多いことか。「往
きはヨイヨイ、帰りは恐い」を地でいってしまっている。

 せっかちでおっちょこちょいの親父とお人よしで無鉄砲な
息子の珍道中は、周りに迷惑かけながら行くしかない。無責
任だけど、今日はこう言っておこう
「ケセラセラ、なるようになるさ」。
そうでないと生きる気力を失うから。ゴメンね、みなさん。

     「ハズレ」くじゴルフ

 翌日、K師匠から、秋のコンペの案内が届いた。
9月下旬、この前のNカントリーでやると決まったそうだ。も
ちろん参加させて下さいとお願いした。まず、それまでに練
習場をみつけよう。それから、ドライバーなどの大きなクラ
ブが当たるようにしたい。たった二度のコース体験で、大き
なクラブが使えないとゴルフにならないというのが、よくわ
かったからだ。

 でも残念ながら、タイガーの連続写真は夢の中のことだっ
た。藍ちゃんの反り返るようなフィニッシュは幻だ。結論か
らいうなら、私のような初心者には真似のできる代物ではな
い、と。私の場合は汗をかくために始めたゴルフなんだから、
それだけは十分に効果を発揮できている。あとはどれだけ楽
しめるかが大事なんだ。

 子供のころ、駄菓子屋の「くじ」をよく買った。「くじ」
にはいろんなタイプがあったが、もっとも古典的なものは、
細長い紙切れのタバから一枚選んでひきちぎり、それを水に
ぬらすと「アタリ」「スカ」(=「ハズレ」)の文字が浮き
出る仕掛けになっていた。大きい景品を当てようと、何度も
やってみたが、とうとう一等は当たった記憶はなかった。3等
くらいが最高だったように思う。ひどい場合は、後日、一等
だけが高い値段で売ってあったりして、それを子供ごころに
不思議に思ったこともあった。ずいぶん後になって、それは
駄菓子屋の親父の「陰謀」だと知って、憤慨したことを覚え
ている。

 「ハズレ」やそれに近い「残念賞」ばかりをひいたために、
幼いころは嘆きと落胆ばかりの日々だったと思ってきたが、
最近になって、あの「ハズレ」があったから面白かったのだ、
と気付くようになった。くじには、最初から「アタリ」くじ
など無くともよかったのかもしれない。あの「ハズレ」くじ
が子供の夢を支えてきたのだ。そう思うと、あの駄菓子屋の
親父の強欲さも許せるような気がする。フーテンの寅さんは
失恋するから、映画が長く続いたのだ。

 今の私のゴルフは、この「ハズレ」くじそのもののようだ。
どこまでいっても当たらない、うまくできないことが私の夢
を支えて、楽しみの基となっている。急激にうまくなること
はできなし、その必要もないのだ。「ハズレ」くじに嘆き、
うまくできない運命を呪い、そしてそのこと自体を楽しみな
がらいこうと思った。

 町のあちこちから、盆踊り「よしこの」のリズム流れが、
眉山にこだまして聴こえる。にわか仕立ての踊子たちの、猛
特訓がはじまったのだろう。
蝉の鳴く声も慌しさを増してきた。夏を惜しみ、残り日の少
ないことを自覚するかのように。  (第三部 完)
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再録「汗かき日記」第三部(後の中)

2010年11月14日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに
 載せたものを再録 現在はありません。)


     練習再開か

 それから1週間経って、雨上がりの合間に、汗をふきふき、
ゴルフ練習場へ行った。いつものアル○トロスというこの練
習場は、低い山肌のさらにその裾野を開いて、長さ150ヤー
ドの練習場が作ってある。1階に24打席あり、同じく2階打席
もある。

 ここのよいところは、一面が天然芝なので、夏の昼下がり
でも、裏山から吹いてくる風が涼しく、練習の合間、うしろ
の席に腰掛け、火照った体と頭を冷やすことができた。平日
の昼は、夕方までずっと居ても最低料金だから、リタイヤ組
のおじさんが仲間を募って、和気あいあいと練習しているこ
とが多い。
それでも、さすがにこの時期は蒸し暑すぎるためか、お客は
居なかった。地面を覆う緑色の芝から、湿気を多く含んだ水
蒸気が、霧のように昇っていく。それを見た瞬間、来るんじ
ゃなかったと思った。冷たいコップの周り一面、水滴にまと
わりつかれた「うっとうしさ」を連想した。むっとする、よ
どんだ湿気。

ええい、こうなりゃ、さらに汗をかくしかない。
夢にみた一番大きなクラブ、あこがれのドライバーを振って
みた。一振りするごとに二度は「ふぅっ」と息がでる。小さ
なクラブは振れても、もともと振れなかったこういう大きな
ものは、まわすだけで肩で息をしてしまう。傷口はまだまだ
開いていて、動くたびに汗がしみた。こんなことでくじけて
はいけないが、練習開始は、ちょっと早かったみたいだ。サ
ウナの中で、息をしているようだ。やっとこさ、辛抱して30
分間練習し、傷口を押さえながら帰った。暑さが通り過ぎる
か、もう少し体力をつけてからか、どちらにせよ、しばらく
練習は中止だ。手術の跡の傷口に触わるから、今はズボンの
ベルトさえ満足に締めることができないのだ。ドライバーが
振れるようになるのは、いつの日だろう。

シャワーを浴びたら、疲れていたのだろう、そのまま眠りこ
けた。巣にもどる鳥の群れが飛んでゆく、夕暮れはもう近い。


       リラックスの難しさ

 私は左ききなので、意識せずクラブを振れば、当たったボ
ールはゆっくりと左に曲がりながら飛ぶ。これをスライス、そ
の反対側にカーブすることをフックというのだそうだ。初心者
はカーブするような球を打つ必要はないので、まずストレート
を打ちたいと思うのだが、これがどこまでもうまく行かない。
小さなクラブならまだしも、大きな長いクラブになるにしたが
って、それこそ一番長いクラブ、ドライバーになると、当てる
ことすら困難なのだ。

 物の本によると、ゴルフのスゥイングは、円形というより「
だ円形」を描いているらしい。このスゥイングがいつも規則正
しいものなら、その円周上の一点に球を置けば、間違いなく当
てることができるし、また、毎回同じような球の飛び方をする
はずなのだが、私のような初心者は、肝心の円の形が、一回、
一回のスゥイングごとに異なるから問題なのだ。だから球がク
ラブのどこに当たるか、たとえうまく当たっても、ボールの行
く先は、
「おーい、今度はどっちにいくの?」とボールに問うてみなけ
ればわからない。しかしボールの方も、
「今日は天気がいいから、右の方へいってきますわ。ほな、さ
 いなら」とでも返事するものでなし。

 また、ボールの行方を左右するものは、クラブの握り方を変
えただけでも異なる。野球のように同じバットを振るのと違い、
ゴルフクラブの種類は少なくとも10数種類以上あり、その使い
方によって、長さ、重さがみんな違うのだから参った。試行錯
誤のあげく握り方が決まっても、9番アイアンが7番アイアンに
変わっただけで、まるでスゥイングの感触が異なるのだ。もう
その瞬間から、まともな球の飛び方はしない。ひとつひとつの
クラブごとに、握り方、振り方を変えることは初心者には不可
能だし、結局、同じ握り方で、同じ円周を描けるように、同じ
スゥイングを心がけるしかない。そして、クラブが同じ軌道を
えがくために必要なことは、まず「リラックス」する、体の力
を抜くことだと、最近気付くようになった。

 ゴルフは心理ゲームだったのだ。止まったボールを打つゲー
ムの面白さは、プレッシャーからの焦りや力みを生み出す、あ
まりにも人間臭いものが魅力なのだろう。人と人の勝負という
より、自分自身をプレッシャーの中でどれだけ解放させられる
か、リラックスできるかが、自分の円軌道のスゥイングができ
る最短の道なのだろう。

 よく考えてみると、リラックスというのは、なんの局面でも
当てはまるように思う。うまく生きていくことの基本なのかも
しれないなぁ。
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