「終活」というと、見かける多くのことが
お葬式、その後の墓守り、そして相続のことである。
ほなさんが思うには、これらのことは後に残された
人達には大事なことではあるが、死にゆく本人にと
って最も大事なことではない、ように思う。
死にゆく本人は、まだ死んでいない。
のだから、息を引き取る最後の一瞬まで、どう生き
たいかを主張する権利があるように思う。
であるのに、家族は「死後の話」ばかりに気がいっ
ており、主人公は誰だ?主人公はどうしたいのか?
を代弁しているのだろうか、と疑問符がつく。
死を前にして、もっとも不安なのは本人なのだから
その不安を少しでも軽くしてあげるべきだ。
その重要な仕事を成し遂げるられるのは、
医者ではなく、多くの場合、家族しか居ない。
医者と病院は、あくまでも病気を治すところであり
治らないのが判ったら居るべき場所ではないだろう。
ほなさんは、誰も居ないかもしれないけれど
住みなれた我が家で最期を迎えたい、と願っている。
死にそうな時、いちいちナースコールを押さねばな
らない不便で、消毒液の臭いで充満した部屋、救急
車のサイレンとバタバタした足音や機械音の中より
たとえ家族がその場に居なくても、
我が家だけの匂い、
外から聴こえる近所の日々の生活音、
昨日と同じ一日の時間の流れが感じられる
我が家の方が、よほど落ち着いた気分になれること
でしょう。
死ぬのは、一回かぎりです、多くは。
ある在宅医の先生は、
「家庭には上質のモルヒネが流れている」
とおっしゃいました。
お葬式、その後の墓守り、そして相続のことである。
ほなさんが思うには、これらのことは後に残された
人達には大事なことではあるが、死にゆく本人にと
って最も大事なことではない、ように思う。
死にゆく本人は、まだ死んでいない。
のだから、息を引き取る最後の一瞬まで、どう生き
たいかを主張する権利があるように思う。
であるのに、家族は「死後の話」ばかりに気がいっ
ており、主人公は誰だ?主人公はどうしたいのか?
を代弁しているのだろうか、と疑問符がつく。
死を前にして、もっとも不安なのは本人なのだから
その不安を少しでも軽くしてあげるべきだ。
その重要な仕事を成し遂げるられるのは、
医者ではなく、多くの場合、家族しか居ない。
医者と病院は、あくまでも病気を治すところであり
治らないのが判ったら居るべき場所ではないだろう。
ほなさんは、誰も居ないかもしれないけれど
住みなれた我が家で最期を迎えたい、と願っている。
死にそうな時、いちいちナースコールを押さねばな
らない不便で、消毒液の臭いで充満した部屋、救急
車のサイレンとバタバタした足音や機械音の中より
たとえ家族がその場に居なくても、
我が家だけの匂い、
外から聴こえる近所の日々の生活音、
昨日と同じ一日の時間の流れが感じられる
我が家の方が、よほど落ち着いた気分になれること
でしょう。
死ぬのは、一回かぎりです、多くは。
ある在宅医の先生は、
「家庭には上質のモルヒネが流れている」
とおっしゃいました。
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