ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

ゴルフ日和

2010年09月29日 | 日記
ああいやだ、面白くない。

人道上のことは別にして、「汗かき日記」では、
政治ネタや経済への意見なんか書かないと決め
てたのに、このごろどんどん増えてるような。

怒りっぽい素の自分など、ちっとも愉快じゃな
いけんな。
ほなさんは、ずーっと、ほのぼの、ノンビリし
ていたいんやけんど。

ほんで昨日な、
パブリックで、手引きカートにバッグを乗せて
準備をしてたら、ほなさんより少し年上のスタッ
フのおばちゃんが近くに来て、ボールを二個差し
出し、
「これ、ポケットでゴロゴロして邪魔じゃけん
 あげるわ。」
ロストボールの中でも、そうとうキレイなやつじ
ゃった。早朝の仕事で見つけたロストボールだっ
たんでしょうね、ありがたく頂戴いたしました。

「ポケットの中で邪魔じゃけん」
なんて、タダであげるんやから遠慮した言い方せ
んでええのに、この人、田舎のええ人なんじゃな
ーと思う。

さて、このボールで今日はどんなプレーができる
か、お楽しみです。
天気は秋晴れ、風が心地よくて、いいですなぁ。

武富士倒れる

2010年09月28日 | 日記
若い頃、地元銀行の某役員がほなをかわいが
ってくれ、何でも言えというので、
「銀行が直接、個人に金融をしたらどうか」
と言ったことがある。今でこそ当たり前だが
30年以上前は、個人がお金を借りてなにを
するんだと勘ぐられる時代だった。

消費者ローンが広まりはじめた時期だったが、
そのまま進めると借金地獄に陥る人がたくさ
んでるのではないかと予想されていた。この
点地元銀行なら、地域の人間もよく知ってい
るから、住宅と車のローンだけに手をこまね
いている必要はないと常々思っていたのだ。

ほなさんが銀行に進言したのは、もうひとつ
ある。それは、今でいうATMの活用を24時間
にしてくれと言ったことだ。当時それは、24
Hバンクという名で外国にはあった。いくつか
のATMの機械の横で、拳銃を持った警備員が
常時いてぞっとしたことがある。バンクという
名ばかりで行員は観ていない。

先の個人金融の件は、役員は一笑に付した。結
果、武富士などの消費者ローンが大幅に伸びた。
しかし役員が悪いのではない。大蔵省の護送船団
方式による銀行運営には、直接の個人金融など範
疇になかったのだ。個人消費の内需で国を支える
などというと、馬鹿にされた時代だ。

貸し金にはいくつもの金利が存在し、のちにグレ
ー金利呼ばれたものだが、銀行からほんの数パー
セントの原価で借りてきたら、渡すだけで、何倍
にも、やり方によっては何十倍にもなったのだか
ら消費者金融の社長はすべて高額納税者になれた。

一方で借金地獄のせいで、自殺する人がではじめ
ていた。ローン地獄に陥る人にも個々の問題はあ
るかもしれないが、どうにかして自殺回避の方法
はないかあれこれ探していると、関東の方で「奇
妙な論理」で救っている弁護士がいると知った。
それが宇都宮健児さんだ。

やがて各地の司法書士らが会をつくってやり方を
勉強し普及していった。自己破産と過払い金利の
払い戻し請求がその核心部分だった思う。自己破
産の申請の書きかたは、実物をみてみると、誰で
も書けるようなものだ。こんなことを考え出した
宇都宮弁護士は正直スゴイと思いました。

最後は国が動き、2006年最高裁の決定から、
過払い請求のCMがやたら多くみかけるようにな
った。多重債務に陥った人に、アリのように群が
った消費者金融会社が、次は、日本中の司法書士
と弁護士に取り囲まれた。

武富士は倒れたが、儲けのすべてを吐き出したの
ではない。まだ未払いのグレーゾーン部分だけで
も2兆円あるというから異常な儲けをしていたと
いうしかないね。

ご馳走に(2)

2010年09月27日 | 日記
その後、サンキさんと仕入れで出くわすと、周る
段取りから想像し、、1軒飛ばして先に行ったり、
反対方向へ周るようにしました。手ぶらで帰った
んでは、私らおまんまの食い上げです。うちには
腹をすかせたお客様がいましたからね。

全国から商売人が集まる繊維の町、大阪をどう歩
くか、これがけっこう面白かったですね。
ホッカイドーの○○さんが、向こうから来ていた
のが、あれっ?その角を曲がったぞ!ってんで、
慌てて自分もそっちへ行ってみたり、また、キュ
ウシュウー○○屋らのグループご一行がここに来
ていないってことは、どこか目玉品を出した問屋
があるな?とか。ホッカイドーの○○さんは、単
に朝のコーヒーを飲みに行ってただけの時もあり
、ズッコケましたが、、。

過去の売上が日本国中、軒並み半分になるなかで、
ユニクロ、しまむら、そして今日のサンキさんと
売上を大幅にふやしているのですからオドロキで
す。

いくつか面白い話を聴いてきのたですが、また
それは後日ということにしましょう。
息子がオーバーに国産牛と鯛やひらめの舞踊りも
と言いましたが、丼ご飯にたくあんを乗せ、パリ
パリ言わせながら食うほうが性にあってますね。

おごり高ぶる中国をみていると、かつて日本も
そうであった、と思います。衣食足りて、バブル
を超えた日本の姿、日本人の価値観は健全なもの
になりました。

民主党政権は、自信を持ち、もっとしっかりして
欲しいです。地元の数年先輩、仙石さん、うろた
えたらアカンよ。

ご馳走に(1)

2010年09月23日 | 日記
お昼をご馳走してやるから来ないかとお誘
いがあり、喜んで食べに行ってきました。

誘ってくださったのは大西衣料さん、取引
先の問屋で一番手、三代目社長さんが3年
前に就任した、若手社長さんからのお誘い
でした。
ゲストは、千葉県に本部を置く(株)三喜
の八木下社長(現時点では会長)
さんと某
チェーン店の役員さん2名、それにほなさ
ん、総勢5人の昼食会となりました。

大西衣料さんは上場しない主義の会社です。
日本にはじめて「セルフサービス」を導入
し根づかせた会社で、「セルフ」という名称
登録もされています。。

セルフサービスというと、広い売場を少な
い社員で運営している光景が浮かびますが、
大西さんがはじめられた頃は、大阪船場の
小さな店だったと聞いています。そのため
什器や器具まで創作し、コンピュータープ
ログラムを独自に開発、関連会社に、「店
研創意」(店舗器具などの販売)や異業種
もあるようです。

著名な方とお会いするのは、不思議な感じ
です。こっちはよく知っているが、相手は
絶対に知らない、その記憶の温度差がおも
しろいですね。

サンキさんは、昔、朝から晩まで仕入先に
先を越され、その日は仕入れゼロ、手ぶら
で泣いたことがありました。全国区「しま
むら」を追撃する今(昨年度売上530億)
ほど大きくなかったサンキさんでしたが、
サンキの強みは、現在もなお社長自らが仕
入れするという現場に出ていることです。

この時も、めぼしい良い品は一品も残って
いませんでした。衣料品という工業製品で
あっても、生鮮品と同じです。鮮度のある
良質の品、お買得品といえるのは、やはり
少ないのです。いつだってそうなんですね、
センスが良く安いのは少ないのですよ。
こういうのをガサっとやられるから、サン
キの社長の後は歩かない、そう決心した覚
えがあります。

娘の話(後)

2010年09月19日 | 日記
先の文章を読むと、父親というものは、
娘のことになると良く思い過ぎ、親ばか
ですね。
でもそのぐらい一生懸命尽くしてくれた
と思います。

引越しをする数日前、娘から話がありま
した。
「父さんらの仕事はスローペースで楽を
 してると思っていたけど、長く続けて
 ゆくためには、そういう仕事の仕方も
 良いと思う。」
「ご飯を作れといわれて、1年間作って
 みたら、ご飯のつくり方もうまくなっ
 たし、家族のための世話をすることが
 とても大事で楽しい事だとわかった。」

こういわれて、とても嬉しかった、ほな
さんでした。

家族と言うのは、誰かがゴミを捨てたら
誰かが拾ってゆくものです。
お金が稼ぐことも大事、家族を支えるこ
とも大事なこと、その場におかれた立場
ですることは違うけれど、目指すのは、
お互いの幸せ、みなの幸せです。

「父さん、母さんと喧嘩したらあかんよ」
と言ってスダチました。

先日、熱中症かもしれないというので、
はじめてメールを出しました。
「元気なんで?」
という問いに、
「父さんからメールが来るとは思ってな
 かった、わーい
 昨日まで夏バテでご飯あんまり食べれ
 んかったんやけど、今日からもりもり
 食べよるし、元気になった~」
絵文字いっぱいの返事でした。

子のおかげで、親になれたとしみじみ感
じた夜でした。

            --おわり--
 

娘の話(中)

2010年09月19日 | 日記
娘の学生時代のあだ名は「ぴより」でした。
親鶏について歩くヒヨコたちの、一番後ろか
らついていくが「ぴより」らしいです。
細い体に、ほんわかノンビリと頼りなげなの
が第一印象です。ところがまったくの体育会
でへこたれることを知りません。近頃には珍
しく辛抱することを知っています。

仕事大好きの娘は、仕事好きゆえ早朝出勤も
深夜残業もへっちゃらな子です。でもそうい
うことばかりやっていると、体も痛みます。
娘もやがては好きな人ができ、家庭という巣
作りをすることでしょう。子供は次の世代へ
の預かりもの、きちんと送り出してやりたい
と思いました。

その前に少し共通の時間を過ごしたかった本
音もありますが、家族の食事を手早く作るな
ど、誰かの為に働く幸せも知っておいた方が
いいだろうと思いました。

あれから1年、娘は、この8月東京へ旅立っ
ていきました。この1年、本気でよく手伝っ
てくれました。夜遅くまで子供さんを喜ばす
企画を考え、子供の声が売場に響くことが多
くなりましたし、IHコンロがひとつしかな
い給湯室で、お昼と夜の食事をつくってくれ
ました。おかずが何品も並んで、夫婦は幸せ
でした。



娘の話(前)

2010年09月17日 | 日記
若い時は仕事に打ち込むことが必要です。そ
うやって仕事を覚え、世の中の役に立つこと
で、自分の居場所を作らねばなりません。で
も体のことなど、無理をしすぎてもいけませ
ん。

娘が就職した銀行を辞め、今度は東京へ行き
たい、東京で子供服の仕事がしてみたいと言
い出しました。家業の衣料品店を一度も手伝
わせたこともなかったし、興味があるような
顔を観たこともなかったので、ほなさん夫婦
はとても意外な思いでした。娘曰く、
「ふたりの親の遺伝子を継いでいる」
というのです。決意は堅いようで、この子は
旅立っていくんだなぁと感じました。

それならと、ほなさんは条件を出すことにし
ました。
店を手伝いながら、おさんどん(家族の食事
の世話などの家事)を1年間してくれと頼ん
だのです。

家がたいへんな時期だから手伝ってくれとい
うのは理解したようですが、食事をつくれと
きいて驚いたようでした。両家のばあさんに
似たのでしょう、娘の料理は手早く、野菜中
心のおかずが得意でしたから、コンビニ、外
食に飽きた私が頼んだのでした。

ですが、本当はそれだけではありません。
学生時代にはできなかったこと、たとえば、
歯医者通いであったり、交通事故で痛んだ体
を時間をかけて整体することなど、ほなさん
は、今でしか余裕をもってできないことがた
くさんありますから、旅立つ前には、うれい
なくケアした体と心の状態にさせてやりたい
と思ったのでした。

「父さんと母さんはお客さんに甘えすぎだ」
と手厳しく言うだけあって、娘に任せた子供
服売場はかわいいので、3ヶ月を過ぎた頃か
ら伸び始め、売上、利益とも落ちる前の状態
にもどりました。

ほなさん、勝つ!

2010年09月15日 | 日記
昨日のパブリックシニア杯で

 9月度優勝 してきました。

優勝できたのは、上手い方々が今回にかぎって
崩れたり、期限切れで資格がなかったりとかが
あり、大量のハンデで、ほなにお鉢がまわって
きた、というわけです。

ですが、うれしいですね、なんともはや。
今朝の地元新聞を読んだ、パブリックの○坂師
匠から、出勤前に電話がありました。

「やったな、おめでとうチャンピオン!」
とわがことのように喜んでくれました。
この方のおかげで、かなりスイングが改善でき
たので、ありがたいかぎりです。
うれしいです、チャンピオンだなんて、、。

日頃絶対使わない、K師匠にもらった新品ボー
ルで、○坂師匠に教えてもらったスイングでう
まくいったんだなぁと思うと、親父が亡くなっ
て二年、一回りしか離れてませんが、また親が
できたような気持ちになりました。ありがたく
て涙がこぼれそうになりました。

58歳のほなさん、幸せモンですわ。

親父の写真を飾った仏壇に、優勝と書かれた封
筒をあげました。
反目ばかりせず、こういう話もしておけばよか
ったでしょうにね、、、。
感傷的になるのは、澄み切った秋空のせいです。

おかげさまで

2010年09月11日 | 日記
自然相手のゴルフというスポーツに、無風の
日はほとんど無いみたいだ。球がまっすぐよ
く飛ぶ日は、追い風が吹いているし、よく曲
がる日は、向い風が吹いている。そのことを
思わず、まっすぐ飛んだ球をみて、腕をあげ
たもんだと自惚れるのがほなさんの日々だ。

うぬぼれても、うぬぼれなくても風は吹いて
いる。向い風の日や雨の日が悪いことばかり
ではなく、球が跳ばないという良さもあるよ
うだ。飛びすぎるのも考え物だという、私な
どには贅沢な意見もあった。
悪いことばかり、良いことばかりはないぞ、
というのが現実だろう。

円高で困る、デフレが深刻と、テレビは事実
を語って、そのあとは何も言わない。それを
いつも不思議に思う。見出しだけ、ニュース
だけ聞いていると、自殺したくなるのも当た
り前だ。世の中に悲観もするよ。しかし、そ
れで自殺したら、またそれをニュースにする
のだ。

そういうところがマスコミ嫌いになる理由で
一番大事なことを何も言わないのだ。これじ
ゃ、どこまで行っても日本は世界一の凶悪事
件の国で、デフレと経済恐慌の嵐で、とても
幸せなどないということになってしまう。
いいかげんにしろ!
と感じるのは、ほなさんだけだろうか。

朝一のドライバーショットで、思わぬ飛距離
が出たのは、追い風のせいだ。こりゃついて
るぞ!と思ったら、次のホールは真逆の方向
で、向い風となった。人生こんなもんさ。

昔はすべて自分の力だと考えてきた。よくて
も悪くてもね。ゴルフをやってみて、結局は
自分の力だけでは何もできないというのを知
った。「お蔭様」ということだろう。

偉そうなことを書いてしまったけど、本当は
何もわかっちゃいない。
でもそんな私でも、お蔭様でなんとか生きて
ゆける。
デフレであろうが、どんなに厳しい時代が
きても。厳しい分だけ、ちゃーんと楽しいこ
とも用意されているんだ。ありがたいね、こ
の世は。

酷暑の夏を越えたぶん、今年の冬はなおさ
ら寒くなる。すると秋の紅葉は見ごたえあ
るものになるだろうし、来年の春のさくら
はいっそう美しい花を咲かせるだろう。
人生に、楽しいことはたくさん用意されて
いるように思う。