ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

カムバック「岩倉具視さま」

2016年04月28日 | 日記
ある日、息子に嘆いた。

「平日と間違ごうて、土曜日にATMからお金を
 引き出したんよ。」
「いくら?」
とたずねた息子に、
「迷ったあげく5千円。」
とほなさん。ATMの前で、金額を決めるのに当分
かかった。後ろに人が居なかったら、もっとかかっ
たかもしれなかった。

「そしたらな、108円の手数料が引かれたんよ。
 うわ、やってしもうたわっ!」
とほなさんは、嘆いたのだった。

5千円を引き出すのに108円も手数料を払わざ
るをえなかった経済効率の悪さに、我ながらアイ
ソがついた。曜日がわからなくなっている、手数
料に気づかなかった迂闊さの一方で銀行の非情さ
?に腹をたてつつ、訴えたのだった。

すると、息子はこう言った。
「父さんは、まだいいわ。オイラはこの前の日曜
 日にお金が必要になってATMで千円下ろした
 ら、108円引かれて、あとは下ろすことがで
 きなんだんよ。千円札1枚だけに108円かか
 ったんだから、、、。」
と泣きそうな声である。

千円で108円とは、10%以上もの手数料を払わざる
をえなかったのだ。可哀想というより悲惨だ。
貧乏人の息子にとっては、一般の銀行が街金と同
レベルになってしまうのだと、この時はじめて知
った。
気の毒としかいいようがなかった。

ところがである、ふと疑問がわいた。

「あとが下ろせないのはどうして?」
とほなさんがたずねると、

「残高が2千円だったのよ。だから千円下ろした
 からもう千円残るはずだったのに、最後の千円
 から手数料の108円とられたら、残るのは小
 銭しかなく、お札だけしか出ないATMはもう
 使えなかったんよ。」
と肩を落としている。

「そうか、最後の千円が崩れてしまったのか。可
 哀想に。」
とほなさんは疑問は解けたものの、そう口にする
のが精いっぱいだった。ほなさんとしてもカンパ
できるだけの財力はない。

ほなさん親子は、お互い、TVニュースを相手に
天下国家を論じることもあったのに、たった10
8円の手数料がために、これだけ苦労するとは、
息子も苦労しているなぁ、と思ったのでありまし
た。

108円が重くのしかかるこの親にして、この子
でありました。というか、お互い悲惨な状況であ
ります。「誰か、カンパしておくれ」と言いたい
のをぐっと我慢しております。今はそんなこと言
える状態じゃありません。哀れなほなさんでさえ、
熊本・大分へ向けて募金を送らねばなりませんの
で。

しかし、この息子なら、地球がゴキブリしか住め
なくなっても、なんとか生き延びていけるんじゃ
ないか、と思います。そう結論づけることによっ
て、親の責任を終えようとする自分も情けないの
でありました。

でもその前に、親としての責任から叫びましょう。
「カムバック、岩倉具視さま!」

500円札よ、甦れであります。
さすれば、わが貧乏親子もATMで引出しするこ
とができるのであります。
いや板垣退助氏にも、ご登場頂きたいですな。





50年同窓会(その後・後半)

2016年04月23日 | 日記
M女史の大柄な体は、闘病の末痩せてしまいまし
た。でも化粧した顔は本当に綺麗で、今にも声が
しそうでした。

3月6日の同窓会から約40日後、徳島の満開の桜の
花びらがすべて散るのを見届け、M女史はあっさ
りと逝ってしまいました。新聞の死亡欄の中ほど
に、
「○○○○子 ○○町 64歳」
と載りました。

Aさんはふと思って、携帯電話のメールに、
「もう天国に着いた?
 そっちは良いところでしょうね、きっと。」
と入れ、送信ボタンを押しました。

わが身かわまわず、お人好しで世話好きなM女史
は、きっと天国へ行けたに違いないと、出ないは
ずがわっていても、彼女の携帯へメール送信しま
した。

すると間もなく、持ち主のいないはずのM女史の
携帯から、メールが送られてきたのです。
Aさんは驚きました。身震いしつつメールを開封
するとそこには、

「すばらしいところですよ。」

とだけ書かれてありました。
天国からメールが届くなら電話もと、Aさんは携
帯を鳴らせました。
出たのは、M女史の娘さんでした。

母親の形見の携帯電話を握りしめていた娘さんは、
あの母の逝った場所なら、間違いなく素晴らしい
ところだと言いました。
Aさんも娘さんも、彼女を偲んで電話口で大泣き
に泣いたそうです。

なくなってはじめて知る存在の大きさ、我々も今
日という時間を大切にしたいですね。この話を聴
いたほなさんは、
「幸せは、ここにある」
そんな気持ちになりました。

追記、50年同窓会が終わって数日後のお話。

記念写真をもって行ったAさんが、M女史の枕元
であれこれ説明していると、ふと、
「○○君は元気にしていた?」
とM女史は尋ねたそうです。

あれ?○○君は、初恋の人だった?
のかもしれませんね。

辛い闘病生活にちょっとだけでも和んだのが、同
窓会での話題だったとしたら、ほなさんは心から
うれしいなぁと思ったのでした。

50年同窓会(その後)

2016年04月21日 | 日記
50年同窓会の話は、プチ同窓会のはじまりでお
終いにしようと思ってたのですが、人の歩む人生
というのものは、それぞれあるようで、かつてサ
ラリーマン小説の大家、源氏鶏太さんが、
「平凡の中の非凡、非凡の中の平凡」
と書いていたことを想い出しました。

他人からは、平凡な人生だとみえても本人にとっ
ては波乱ある時間であったり、破天荒な人生を歩
いていているように見えて、意外と平坦であった
りするものである、というような意味?でと思い
ます。(が、間違ってたらごめんなさい)

さて、50年同窓会は何度も申し上げましたように
132名の参加で盛り上がりましたが、その陰で、
直前になり参加できない方が数名おりました。

そのひとり、ぜひ参加したいと強い意志を示して
くれていたM女史は、期日の少し前に、残念だけ
ど欠席したいと、人伝手(づて)に連絡をくれま
した。1月の手術から回復がうまくいかず、体力
に自信がないからという理由であります。

学生時代のM女史は、徳島市大会で優勝するほど
の健康優良児でした。伸び伸びとした身体の陸上
競技のスポーツ選手。そのやさしい人柄は
「お人好しが服を着て歩いている」
と評されるほど、家庭・子育てと人のことを世話
しつづけたと周りの人はいいます。

彼女は「疲れる、疲れる」と言いながらも、病院
での容態は安定しておりました。しょっちゅう電
話しあう仲だった親友のAさんの携帯電話に、何
度か着信記録があったそうです。

仕事の最中であり電話に出られなかったので、い
つものように、夜、電話をすると、ご主人が電話
口に出られ、
「○○子は、今、眠っています。」
と言いましたので、
「じゃあ、疲れて眠ってしまったんだ。」
とAさんが言うと、しばらくの沈黙のあと、
「もう起きてこれなくなりました。」
と告げられました。

予期せぬ返事にAさんは言葉を失ったそうです。
そして心に、ポッカリと大きな穴が空いたことに
気付きました。亡くなったと聞いて初めて知った
自分の中でのM女史の存在でした。これほどのも
のであるとは、ついさっきまでの自分は気づきま
せんでした。

それから急いで病院へ駆けつけ、お通夜や葬儀の
お手伝いしました。親友を自認してきた自分がみ
おくらねばと使命感がありました。

今日も明るくお元気で

2016年04月18日 | 日記
大変ひどいことになっています。
TVを観るのが怖いほどの地震です。
ニュースでかいまみるにつれ、被災地はどうさ
れているだろうと思います。
心からお見舞い申し上げます。

四国では、地震が九州から中央構造線を伝って
きそうで不安がましています。大分の対岸に伊
方原発があるだけに心配です。
ニュースも現時点では、原発に異常はないと、
常に情報を流してくれていますが、みなの心配
がそれだけあるという証です。

実際のところ、愛媛県の主導で、伊方原発の避
難訓練をしましたが、避難するには、原発のす
ぐ脇の一本道を通らざるをえず、参加した人の
話では、退避時間も予定時間では全くできなか
ったと伝聞されています。

県では、避難経路、被災者の受け入れなども九
州へ逃げる計画をたてたようですが、大分県は、
万一の事態には、自分のところだけで精一杯だ
から受け入れできないと断ってきました。

避難の柱としていた愛媛県はガックリでしたが、
今となっては、大分県の判断は正しいと思われ
ます。原発再開の方便のための、安易な避難計
画だと批判されても仕方ないように思います。

ある日、
障がい者をもつお母さんが買い物に来られた際、
「ほなさんは、うちの子を普通に扱ってくれる
 からうれしい、と。」
とお礼をいってくれました。
微笑みながら嬉しそうにお礼を言われたほなさ
んは、なんとも嬉しかったのでした。

若いころ、はじめて行った障害者施設の現場に
驚き、思わずひいてしまう自分がいました。
その自分自身の反応に驚きました。

過去、同級生として育った’特別学級’の友
やポリオを患った幼馴染の友達は、健常者と
大差がなかったのでしたので、大人になり現
場に足をいれた時、どうしてよいかわからな
くなり、自分の無力さを痛感したからです。

あれから何十年も経ち、人の大事さ、子の可
愛さがわかるにつれ、家族の気持ちが理解で
きようになり、己のできることをほんのひと
つでもお手伝いしていくことを知りました。
大したことはできませんが、また募金をしま
しょう。

なにか起これば力の無い者にしわよせがいく
のが世の常です。
TVに出てこない、報道されない影の部分で
苦しむ人たちがいることを忘れてはならない
ように思います。

今日も明るく元気でいきましょう。