ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

船井幸雄さんのこと(後)

2014年02月28日 | 日記
「 船井語録のなかに、あまり知られていないのですが、『強き・負け
 ん気・思いやり』というのがあります。その常務のひと言は、師匠の
 『負けん気』に火を付けたのでした。そして今日、東証1部上場企業
 として、社会に認知されているのです。

  師匠のすごさはこれで終わりではありません。その後師匠は、その
 方がお亡くなりになるまで『自分の師匠』として、多くの教えを乞い
 尊敬し続けたのです。

 『こん畜生、この野郎』と腹を立てて終わるのが、ごく普通の人間で
 す。『素直・プラス発想・勉強好き』こそ成功の条件なのです。 」

 高橋さんが船井総研の上場のいきさつを知ったのは、
この2月14日、船井幸雄さんの社葬のときだったと
書かれています。

ほなさんは、

   「強気・負けん気・思いやり」

という船井語録を、30年前別の方から教えられしっ
ておりました。とても助けとなる言葉です。

こんどは、

   「素直・プラス発想・勉強好き」

もいただこうと思います。ほなさんの先生もいつも言
ってました、同じようなことを。

 「 素直で勉強好きに勝る力は無い 」

忘れずいきたい言葉ですね。
奢る自分に気づいたら、振り返っていきましょう。
自分を叱る人がいるだけ、自分は伸びていくことができ
ますから。

叱られたら、ありがたいありがたい。
誰が叱ってくれますか。叱ってくれるだけ、自分に注目
してくれている、そのことを忘れず。

船井幸雄さんのこと(前)

2014年02月27日 | 日記
ほなさんの商売の先生と、そのむかし昔よく比較
された「船井幸雄」先生のことを、知り合いの高
橋邦治さんが今月の「一言メッセージ」として書
かれましたのでご紹介します。

最初に高橋さんは経営コンサルタントながら、シ
ングルハンデのゴルファーで、出張にも、9番ア
イアン一本だけ持って行き、暇な時間があると、
練習場で打つというほど熱心な方で大した腕の持
ち主です。

高橋さんは船井総研から独立した、元社員であり
ますから、船井幸雄先生は社長であると同時に
経営コンサルタントとしての師匠でもあったそう
で、船井総研がコンサルティング会社として世界
初、株式上場をした1988年に社員としてその場に
居合わせるという幸運を得ています。

一方、ほなさんの先生は、上場することもなく生
業として、その一生を終えました。
今、飛ぶ鳥を落とすジャパネットの高田社長は、
なぜ上場しないのか?という社員からの尤もな問
いに対し、
「そんな窮屈なことするより、やりたいことを気
 兼ねせずにやりたいと、皆は思わないか。」
というようなニュアンスを語っておられます。
ほなさんの先生も同じことを考えていたのだと思
います。

そういうところから、ほなさんなども上場という
道を選んだ船井先生が何をしゃべるのか、という
興味があり、講演会や本なども少し読みましたが、
今回、高橋さんがそのいきさつを書いておられま
すので、長くなりますが抜書きいたします。
  (一言メッセージ②2014年3月号)より

「 船井総合研究所は、1988年10月1日大証2部に上場しまし
 た。そのとき、正真正銘資産ゼロでした。当時誰も考えられない資産
 ゼロで、しかも世界で初めてコンサルタント会社として、上場したの
 でした。資産は(僕を含めて?)人だけでした。

  1981年のことです。大阪から東京までの新幹線のなかでのでき
 ごとです。隣に座られた方と何かのきっかけで話が弾み、東京駅まで
 語り合ってきたのです。そして下りる際に名刺交換をしたのです。
 そのときです。その隣の方が『あなたは何をされている方ですか』と
 問われたそうです。師匠は答えました、『コンサルタントです』と。

  その時その方がはっした言葉は、『そうですかコンサルタントです
 か、もしあなたがコンサルタントと分かっていたら、私はあなたと話は
 しなかったです』という内容だったそうです。その理由を尋ねました。
 『コンサルタントという商売は、いかわがわしいからです』

  そこで師匠は、『どうしたら認めてもらえますか、話をしていただけ
 ますか』と聞いたのです。その方の答えは、『上場して社会から認知
 されることですね』でした。それが上場の引き金になったのです。
 因みにその方は、当時10行あった都市銀行の常務だったそうです。」

話はそれますが、

2014年02月23日 | 日記
なんとも凄かったオリンピックでの浅田真央
さんの演技。
彼女の心意気、モチベーションの高さを知る
ことができました。みなさんもそうでしょう
が、ほなさん夫婦は、すばらしさに感動の涙
を流しましたわ。

さてそういう中、ほなさんに商品の注文を下
さっていたある男性、Bさんがお亡くなりに
なりました。
施設に入っている方でしたが、施設長さんか
ら相談があり、Bさんの要望する品を探して
ほしいという頼みでした。

どこにも無いということから、白羽の矢がほ
なさんに当たったのです。
それもそのはずです。
ほなさんが2-3年前、市場のどこにも無い
からメーカーさんをそそのかして無理に作ら
せた製品しか、当時は見たことがありません
でした。

衣料品のメーカーの中には、とても小さな会
社もありますから、社長と仲が良くなると、
こういうアイデアがあるから、商品をつくっ
てよ!
とお願いすると、小規模ながら作ってくれた
りします。

たとえば、現在よく売れている「名前の書ける
靴下」なども試作品の時に絶賛して、全国的に
販売できるようになった製品なんですが、Bさ
んの探している品は、紳士スラックスでした。

ちなみに、名前の書ける靴下は、施設等で、と
ても喜ばれています。と、いうのも、濃色の靴
下には名前を書いても判別できず、濃色の靴下
は買えない部類の商品でしたから。

市場に、ウエストが全部ゴムの「丈なおし不要」
紳士スラックスが産まれ、低価格で販売開始し
たとき、長身の方のものが無かったのです。(
高い価格はあったでしょうが)

それで某メーカーの若社長を口説き、長身用を作
っていただきました。儲かると期待して作った若
社長は、その売れ行きの遅さにガックリしたと思
いますが、でも作ってもらえば、こちらは大喜び
でした。リスクは、メーカーが負わねばなりませ
ん。申し訳なかったです。

それでつい4日前、長身のこの方にはじめてお会
いした時、その製品をみせますと、とても喜ばれ、
「これでお腹が苦しくないわ。」
とさらに数本を追加でご注文下さいました。

几帳面な性格らしく、部屋はすみずみまで整理さ
れており、加齢臭もまったくありませんでした。
この健康そうな老人がどうして施設に入居された
のか、この時は少し疑問に思うほど、しっかりさ
れておられました。

ズボンを穿いた上から、おなかをさすり、
「これで良かった、良かった。」
と何度もおっしゃられました。よほど困っておら
れたのだとわかり、探してきたこちらも嬉しくな
りました。

ところが当店にはそのサイズは最後の一本でした
から、若社長にお願いして、販売先の小売店さん
にも協力してもらい、やっと3本が確保できと、
さきほど佐川急便の荷物がつきました。

Bさんが亡くなったと施設から電話があったのは、
着荷の前後です。
施設長さんは、
「注文の品は、どうすればよいか、買い取りまし
 ょうか?」
と尋ねましたので、
「いえ、お構いなく。気になさらずともいいです
 よ。」
と答えました。

Bさんはおなかの中の血管が切れ意識を失ったそ
うです。救急車の中で一旦は蘇生され、その時、
「ズボンが来るから、くるから、、」
と言いつづけたので、施設長は、
「あのズボンをはいて、お出かけしよう。」
と何度も励まし、それに頷いてくれたといいます。

しかしBさんのこれが最後の言葉となりました。
「もう一日早ければ、このズボンを渡してあげ
 れたのに、、、、。」
着荷した商品を見ながら、ほなさん夫婦はこう呟
くしかありませんでした。

あんなに元気そうで、しっかりしてたのに、、、。
脳裏から、Bさんの喜んだ顔が離れません。
人生というものは、ある日突然終わりがくるもの
なのですね。
無常、です。    合掌

       (この話は昨年の出来事です。)

ライオンの生きる道(2)

2014年02月17日 | 日記
ここにライオンの素顔が、白日のもとに明かされる!

恐る恐る歩を進めるほなさんは、恐怖に震える心と
裏腹に、謎のサークル「110の王ライオンウッズ」の
隠されたベールを一枚、また一枚と取り去っていくの
でありました。


「 初 遠 征 (2)

「 初 遠 征 (3)」

「 初 遠 征 (4)」

「 初 遠 征 (5)」

「 初 遠 征 (6)」

「 初遠征 番外 なぞのGサークル 

ライオンの生きる道(1)

2014年02月16日 | 日記
ほなさんの汗かき日記を語るうえで、ひとりはK師匠の
存在が重要で、この方が居なければ、ゴルフコースは
TVゲーム「みんごる」でしか知りえませんでした。

K師匠によってゴルフコースデビューをさしていただき
ました。クリスチャンなら洗礼へと導いてくださったの
ですが、次に、narasetu=WIND(同一人物)さんの
主催する「ライオンウッズ」と関わりをもつことによっ
て、ほなさんはゴルフ場での振る舞いが臆することなく
できるようになりました。

なぜなら、会員権も持たない「早朝・夕暮れゴルファー
」のほなさんは、その懐ぐあいから、サービスタイムか
できるかぎり「平日の割引券ゴルフ」をせざるをえなか
ったのでありますが、たまのコンペで土・日・祝などの
キャディさん付きゴルフも体験したさい、どこか借りて
きた猫のような場違い感に戸惑ったのであります。

それは、己の腕がへたっぴであり、その域を抜けられな
いものであるということと、常に会員権を持たないゲス
トであるから、ホームコースの住人の方々に’遠慮’と
いう配慮をしなければならないと信じておったのです。

ところがあるとき、「ライオンウッズ」とネットで出会
い、100など切れない110(百獣)の王を競うとい
う会では、へたっぴはへたっぴなりの楽しみ方があり、
緑の絨毯フェアウエイを闊歩するのではなく、ライオン
ゆえに「ラフ」に生きるという楽しみを見つけました。

これが無ければ、とっくの昔、己の下手さ加減に愛想を
つかし、ゴルフバッグを最終ホールの池へ投げ込んでし
まったか、WINDさんのように、嘆きの雄たけびをあ
げつつ、4人乗りカートごと谷底深く転落し、三か月の
病院送りとなっていったかでありましょう。

ほなさんは、K師匠のようなシングルプレーヤー、なお
かつ60歳台にエージシュートを達成したという輝かし
い記録をもつゴルフ精進の生き方を尊敬すると同時に、
WINDさんのように、嘆きの言葉を言いつつ、次こそ
はという「根拠なき希望」を捨てず、しかもライバルた
ちへは罵詈雑言もやむなしという「ラフ」な生き方は百
獣の王ライオンそのものであると愛してやみません。

この「ライオンウッズ」とのかかわりをぜひご覧くださ
い。

ほなさんは健忘症

 初 遠 征 」

ええっ!20万アクセス

2014年02月11日 | 日記
「ほなさんの汗かき日記」にようこそお越し下さいまし
てありがとうございます。冬季五輪の最中にもかかわら
ず、ようこそお越し、またおこし。
驚くでしょ、汗かき日記にご来店のあいさつがあるなん
て、はじめてのことです。

と、いうのも、、、

なんと20万アクセス
まじかになりました。



「ほなさんの汗かき日記」は以前アメブロで開始し、
そののちバッサリ切ってしまい、gooさんに移りました。

どこの馬の骨、無名のオジサン「ほなさん」の日常に起こ
るあれこれに、汗かきながらけっつまづき、または乗り越
えていくお話。どこまで本当か分からない内容で、オモシ
ロ可笑しくたまに涙。閑にまかせ書かせていただいており
ます。

ブログというと有名人、芸能人のところがダントツ人気で
す。一日に数万、数十万のアクセスがあるそうですから、
ほなさんはそういうところを意識したことがありませんが
、趣旨も違いますしね。

大工の八っあん、熊さん、与太郎におかみさんら、長屋の
住人は、花見にいくのにおしゃれをしても、そこらにある
風呂敷の腰巻まくのが精いっぱいであります。お尻のあた
りに穴が開いていたら、秋葉さんのお札をはってごまかせ
などと罰当たりというか見当違いのことをやりつつも、し
っかり人並みに花見見物だけは楽しむという生活が、ほな
さんと同レベル。

でも、そういうことと決め込んで、月に3回の更新だった
りの気ままに傍目気にせずブログを書いてきたのに、goo
にきてから「20万アクセスまじか」というのは、本当に
驚いてしまいました。

それもこれも、こんなわがままで言いたい放題のブログを
みていただいた、みなみなさまのおかげ、
隅から隅まで、ず、ず、ずいーっっと御礼申し上げ奉りま
する~~~っ。

みなさまのご健康をお祈りしております。




辛い話(後)

2014年02月10日 | 日記
辛い話の後編を報告せねばならないのは、なんと
もですが、、。

この5年で商友たちの店が次々と閉店に追い込ま
れた。倒産や自己破産がほとんど無かっただけま
しなのかもしれないが、真面目に商売に取り組み
やってきた商友たちが、真剣に「廃業」という道
を選ばざるをえなかったことは悲しい。

それが年齢の過ぎた者たちなら、
「ちっと早い隠居」
にでもしておくが、無理なこじつけさえ許されな
い厳しい現実に、現役バリバリの若い者たちが生
業の道から外れていくのを見る時は、なんともい
えないさびしさものがある。ましてや、閉店をす
るときには、負の遺産も背負っていくのだから、
この先を考えると、たんなる勤め人とは異なる厳
しさがまっている。

金のない零細業者は零細なもの同志、米びつの中
を見せ合って、お互いを励まし、助け合い、アド
バイスをしてきただけに、時折、そういう仲間の
夢を見る。

今朝がたもそんな夢をみて目を覚まし、ふと
「力不足だなぁ---、、、。」
とつぶやくと、ちょうど隣のベッドの女房も起き
ていたらしく、
「誰のこと?」
というので、
「己の力の無さを嘆いているんだ。」
とほなさんは答えた。

「己の力では、未来は開かない。開けない。」
と判るようになったのが数年前だった。
それで、若い商人たちに、未来を開いてもらいた
いと願いを託する気持ちになったのになぁ。
本当に残念だ。

先週から、12月に入ったスタッフがいるので、
新入教育をまたやっている。
こんな激動の時代に、カビの生えた基本中の基本
を話して、いったい何になる?

絶え間ない大波が来てる日々に、こんな原理原則
がどこまで通用する?
その原理原則を覚えて、お前は通用できないじゃ
ないの?
こういう責めがほなさんから離れない。

コンピューターの時代に、1+1を教えてみてもと
思うが、それさえ聞いたことが無いと若いスタッ
フに言われると、そういう見方もあるよと言わざ
るをえない。それが己の最後の使命なのだろう。
しかし、余計なことをしている感が常に残る。

一方で、若い人たちは、こんな親父が考えるスト
ーリーで未来を開いていきはしないことだろう、
こう思い直した。どんな明日が待っているか知ら
ないが、かつて歴史上、明けない夜はなかったか
らだ。こう信じよう。

辛い話(前)

2014年02月08日 | 日記
寒いですね。
昨日から雪が舞い、今はみぞれが降ってます。
「南国四国」なんて言葉だけで、この言葉を信
じたプロ野球球団が、春のキャンプに訪れたの
に、ウオーミングアップができない二月の寒さ
にオドロいたという、地元としては笑えない話
が過去にあります。
もちろんこの球団は、二度と春のキャンプにき
ておりませんが。

寒いというか、辛い話をお伝えしなければなり
ません。
以前、下のブログの後半で紹介した関東の青年
商人の店が閉店したもようです。
ゴルフバムさんは、
「その店はどこにある?」
と興味をもって尋ねてくださった、あのお店で
す。

「もようです、、。」としか書けないのは、ほ
なさんからの連絡が取れない状態になってしま
ったからで、不確実な情報で申し訳ないです。
それでも、「閉店」と書いたのは、ここ数年は
あまりに多くて、、、。

「後継ぎが居ない、、、」
というもっとも大きな理由の底に、日本経済に
構造転換の波が押し寄せ、その大波にもまれて
いる自分たちの笹の葉舟が容易に想像できます。
明けない夜はない、と言いますが、この経済大
国となった日本が変わるには、いつになるでし
ょうか。

持病をもっていた彼が元気でいてくれているこ
とを祈ってます。

 夢追い人