ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

再録「汗かき日記」第三部(後の前)

2010年11月12日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

        退院

翌日からトイレに行ったり、売店にも行った。点滴位置
が下になりすぎていることに気付かず、何度か血を逆流さ
せたから、そのたびに点滴のチューブがだんだん短くなっ
ていく。動くことにかけては、優等生だと褒めてくれたが、
何度も切ったので、寝ていることが不便なくらいまで点滴
のチューブが短くなってしまった。

当初、1週間の入院予定のものが、火曜日の手術、金曜日
で点滴が終わり、土曜日に退院した。退院する時、昼メロ
先生は、もうシャワーを浴びてもいいよ、と言ってくれた。
私の場合は癒着がひどかったせいで、手術に要する時間が
倍かかったし、体に空けた穴も4箇所になった。いちばん
大きなヘソ下の穴には、なまなましく開いた口に、バンド
エイドをちょこんと貼ってくれた。これでシャワーを浴び
たら、確実に剥げ落ちそうだったが、それでも心配ないと
いう。

病院からの帰途、仕事場に立ち寄り、1時間ほど書類の整
理をした。締日明けの請求書がきていたから、整理するに
はタイミングがちょうど良いと思ったからだ。久しぶりの
仕事で、頭がフラッとする。立っているのに疲れて、椅子
に座った。スタッフの連中と話をしたら、意外と自分の声
がか細いことに気付いた。声が出てないのだ。まだそんな
体調なんだろう。みんなに早く帰れといわれ、仕事を切り
上げた。

マンションに帰って寝ようとして、なんの気なしにそこら
へんに掃除機をかけていたら、女房に見つかって怒られた。
日頃はめったに掃除なんてしないのに、おとなしくしていろ
と言われれば、意識せずに逆の行動に出てしまう性格はやっ
かいだ。
ベットに座り、ひとり、退院記念のビールで乾杯。すーっ
と眠りに落ちていく。
静かな土曜日の午後だった。

病院から帰ってきたら、猛暑の毎日だ。「2-3日は仕事
を休め」とみんなから言われブラブラしていたが、今年の夏
はなんと暑いのだろう、久しぶりの本格猛暑。
自分が万全の体調でないからなのか、いやいややっぱり熱い
のか、今年の夏を乗り越えられるかどうか不安になる。
「息するのが辛いわ」と80代、90代の近所の年寄り連中と共
感。退院したら熱帯夜、こんなのは困るなぁ、ほんまに。

もともとあったのかもしれないがタバコをやめていらい、睡
眠障害(本人の自覚はない)に陥っているようだ。夜中であ
ろうが目が覚めたら最後、何時間も眠れない習慣になってい
る。でもそのことが困ったことだという自覚がないから、よ
けいに周囲のほうが参るらしい。だから、入院となって、個
室を希望した。これは私のわがままだけじゃなく、
「お父さん、周りの迷惑をちょっとは考えなさいよ。」
という家族からの警告があったからだ。

個室にしてもらったおかげで、目覚めたら何時でも、枕元に
おいた三冊のゴルフ雑誌をながめることができた。夜中に巡
回にくる看護婦さんは、ずっと電気がついているので眠れな
くて困っているのかと思ったらしいが、本人はとても嬉しか
ったのだ。子供のおもちゃと同じく、枕元に置いておくだけ
で、私は優しい安堵感に包まれていたのだ。


ドライバーへの募る想い

さてそういう病院のベットで観たウッズ(タイガー)や藍ち
ゃんのスイングを、病気を治して早くやってみたい、とウズ
ウズしていた。ゴルフ雑誌によって、四六時中(しろくじち
ゅう)洗脳された私の脳は、それが不可能であることには気
付かない。それらの雑誌には、私のあこがれ「ドライバー」
を振る写真がのっていた。

「ドライバー」というクラブは、私のように小さなクラブし
か振れない初心者ゴルファーにとっては、究極のクラブであ
るのだ。車好きな人にとってのF-1レーサーが、ウッズや藍
ちゃんであり、そのF-1車が「ドライバー」というクラブそ
のものだ。初心者セットにも「ドライバー」が入っているが、
宝の持ち腐れとなっている。クラブの中で最長のドライバー
を振るためには、まともなスゥイングができるようにならな
いといけない。これまでにもドライバーを振ってみたことは
ある。しばらく練習し、空振りすることが無くなっても、ボ
ールはまともに飛んではくれなかった。私のスゥイングその
ものに問題があるようなのだ。
だから初心者ゴルファーほなさんのあこがれは、ドライバー
が振れるようになることなのだ。

ゴルフ番組のワンポイントレッスンで「スコア100が切れる
ようになるには、やっぱりドライバーがキチンと振れるかど
うかの問題」などと言われると、150近い自分のスコアを忘れ
て、ドライバーへの想いはさらにつのる。

広大な緑のフェアウエイを見下ろすティグランドに立ち、日
本刀のようにすっくとドライバーを抜く。ゆっくりと構えるや
いなや電光石火のスゥイング。青い空をも突きぬけていくボー
ルの高い弾道に、周りの人々からは「おー!」という歓声が湧
きあがる。
こういう空想を病院のベットで幾度したことだろう。
「おー!」という人々の感嘆の声は、ドライバーのことを思う
たびに、私の耳の中をこだまして離れない。

再録「汗かき日記」第三部(中の後)

2010年11月12日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

       おしっこ騒動

夕方個室に入ったものの、なにもする事がないという。息子
にゴルフ雑誌を3冊ほど買ってきてもらった。翌日、しゅっと
う医の昼メロ先生と術後担当の女医さんが挨拶にきてくださ
ってから、急に身辺があわただしくなってきた。手術は午後
2時からの1時間の予定だ。

看護婦がやってきて、言いにくそうに、全身麻酔だから、わ
が「ムスコ」にゴムチューブを入れるという。どこかでみたと
記憶のある地元の看護婦さんが、遠慮がちなしぐさと裏腹に、
慣れた手つきでグイグイとチューブを差し込んでいく。
「あっ!」とも「うっ!」ともつかない言葉の連発。うまく入
れてくれたのか、間もなくおしっこがビニール袋に流れ出た。
ほっとしたのもつかの間、おしっこをしている感覚がないとい
うのは奇妙で、出そうで出ない、出ないようで出ている、結局、
精神状態が不安定になる。困った。

幼い頃から、おしっこの飛ばしっこに生きがいを感じてきた私
に、このダラダラというのはとうていガマンができない。この体
の奥のむず痒いような感覚も困る。痛いなら痛い、とかはっきり
したものがないのだ。ベットの周りを袋をぶら下げたまま、散歩
して気分をまぎらわせようと試みた。いますぐ麻酔をかけてくれ
と言いたいのを我慢して、点滴とおしっこ袋を手にもって、ソワ
ソワ、ウロウロ。このまま2時間以上も辛抱できないよ。

そういう私の苦境を、妻は大笑いし、義父はそんな我がままを言
うなんてと眉をひそめる。そのうち、先生に、おしっこ袋をはず
してもらえないか頼んでもらったら、なんと快く承知してくれた
ではないか。ゴムチューブを抜いた後は、おしっこを絞り出すた
びに痛かったが、それよりもあのなんとも言えない感触から解放
されて、本当に助かった。

        「直前逃亡」事件

妻が大笑いしたのには理由があった。なにを隠そう、いやすでに
お気付きの通り、私はものすごい小心者なのだ。以前、歯が痛く
て辛抱たまらず行ったクリニックで、自分の番になって名を呼ば
れたとたん、不安にかられて逃げ帰った過去があるのだ。
あのキューンという歯をけずる機械音のするほうから、「アッ!」
という患者の小さな声が聴こえたのだ。それを聴いてしまっては
怖くて怖くて、もう診療室へ入る勇気を無くしてしまった。一目
散に家に帰ったら、家族中から大笑いされた。

それいらい、人として当たり前の勇気を取り戻すのに、約10年の
歳月がかかった。この「直前逃亡」事件があってから、顔なじみの
クリニックの先生は「ちょっと痛いけれど、麻酔なしでやりましょ
うか?」なんていう得意のブラックジョークを、私には絶対に言わ
なくなった。そう言われると、私がすぐさま帰ってしまう小心者だ
と知ったからだ。そしてまたこの男は10年も来ないのだから。


手術開始

まだTVが白黒の時代、しかもドラマといえば洋物ばかりの頃に、
大ヒットした「ベン・ケーシ」の番組の冒頭を想い出していた。
私はベットに乗せられたまま、右へ左へ、手術室を目指して運ば
れていく。天井しか見えないので、どこをどう行くのかわからな
いが、着いた所は、薄暗い部屋だった。数メートル横に、器具が
集まっているから、あそこで手術されるのか。

一本線の入った帽子をきた看護婦が、「このベットが最後ですよ。
入れ替えるから、移って下さいね。」と私を覗き込みながら言うの
で、仰向けのまま移動した。この部屋に大勢の人が集まってきた。

昼メロ先生が「はじめますよ、ほなさん。次に目を覚ましたら、
もう治ってますから安心して。ただし癒着がひどかったら開腹し
ますよ。」と優しく念を押した。「お願いします。」と私。
先生が準備に向こうへ行った隙に、私は神頼みをはじめた。熱心な
信者さんが聞いたら怒り出してきそうな、困ったときの神頼みだっ
た。

「なんみょうほうれん、なむあむだぶつ」、急いだ時は、南無だけ
でもよかったっけ。でも仏教だけじゃ足りない。
「私を救いたまえ、アーメン」「悪しきをはろうて助けたまえ天理
王のみこと」と知っている限り古今東西の神と仏に頼んでいたら、
枕元に来た先生が
「○○を○ミリ入れて」
と指示した声を境に、一瞬で意識が途切れた。

私に呼ばれ仕方なしにやってきた古今東西の神様、仏様は、その願
いの厚かましさ、無節操さにあきれはて、五月蝿い(うるさい)から
そのぐらいでやめさせたようだ。

どこかで呼ぶ声が聴こえる。「○○さん、、、、終わったよ」と女
性の声がして、右肩を何度かゆすられた。何か言ってくれているが、
判断がつかない。寒い、ものすごく寒い。氷の中に閉じ込められたよ
うに、寒くて筋肉が硬直している。自分の体はどうしたんだ、もがく。
それにしても寒い。
病室のベットに戻され、おむつをはずしてくれ、ガチガチ震えている
体に電気毛布をかけてくれた。終わった、無事に帰ってきたみたいだ。
寒くて動かなかった体が体温を取り戻すにつれ、だんだん平常になっ
ていった。

体が動く、穴をあけた4箇所の傷口はさして痛くなかった。二枚目
の昼メロ先生と術後担当の女医さんが様子を見にきてくれた。手術は
うまくいった、と表情からも読み取れる笑顔をしていた。
「中の癒着がひどくて、いちいち剥がしながらの作業だったよ。」
「以前だったら、間違いなく開腹していた」
と説明してくださった。
「傷口は痛くないか」と言うので、
「痛くない」と返答すると、
「痛くないはずはないから」と笑われた。
しかしホントにところ、痛みはたいしたことなかった。お腹の調子が
悪かったりとか、2日くらいの便秘したときよりも、痛みは軽い気が
した。

術後2時間もすると、驚くほど回復し、なんとか自分で立ってトイレ
に行けそうな気がしてきた。もちろんダメだといわれ、一晩、尿瓶(
しびん)のお世話になった。

それにしてもこの内視鏡手術の軽さには驚いた。術後、2時間もする
と自分の体が動くようになり、体を動かしても痛みが少ない。翌朝か
ら自分でトイレに行けたから、クーラーの利きぐあい以外、何も困っ
たことは起きなかった。
嫌なことは、ポコ○○に入れたゴムチューブの気持ち悪さ、麻酔が切
れた後の寒さだけだった。どちらもなんともいえない気分を味わった。