ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

再録「汗かき日記」第二部(中)

2010年11月05日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

      K師匠の教え

 晴わたったフェアウエイの尾根をK師匠が行く。緑の草
原と青い空の間に浮かび上がる白い人の姿は、いかにも軽
快そうに見える。405ヤード、パー4の2番ホールは、谷を
越えしばらくすると山ぎわを左へぐいっと曲がっているか
ら、K師匠は傾斜のある左の山すそをさけて、平らな右サ
イドに落としたようだ。

「多くのゴルフ場がマツクイムシにやられたが、Nカント
リーは手入れが行き届いていたから立派な松があるよ。」
とメンバーたちが自慢するだけあって、崖沿いのラフにす
っくと立つ綺麗な一本松が印象的なホールだ。

 そういえばこのホールのティーグラウンドに着いた時、
K師匠が言った。
「こういうグリーンが見えないホールは、どこに打ったら
よいかわからないから、前の人がティを差した場所と方向
を参考にするんだよ。」
全く意味が分らないので、私たちが訝しげな顔をすると、
レベルの低さに気付いたらしく、さらに付け加えて説明し
てくれた。K師匠は打つために準備したグラブを反対に持
って、
「ここを見なさい、、、」と指した先には、芝生に筆です
っとひいたような土あとがあった。砲丸投げの鉄球大の白
いボールマークとマークを結ぶ線上に、同じショットの痕
跡がいくつも並んでいた。そしてそのほとんどが、同じ方
向を向いていたのだった。

 「この方向に打つんだ。」とK師匠は言ったのち、慎重
にティショットをしたのだった。その目指した先に見えた
のがこの一本松か、ここにくるまでちっとも気付かなかっ
た。そうなのだ、2番ティグラウンドに立った誰もが、尾
根のこの一本杉めがけてショットしていたのだ。

 K師匠のボール位置からは、グリーンが見えるに違いな
い。右手の眼下には、釣り人を迎えるいかだ船が無数に浮
かぶ内海もみえることだろう。K師匠の背中を向けてクラ
ブを振った姿は、背筋から頭の先までの上半身が一本線に
なって、素人目にも無駄のないフォームというのが理解で
きた。風景の中にゴルファーのショット姿が浮かんで、そ
れすら一枚の緊張感ある絵になっていた。


       プレイング4の出番

 みんなが第二打を打ち終わるまで、私は昇り斜面のカー
トの後部座席で小さくなって待っていた。気分はまるで「
おあずけをくった犬」のようだ。叱られた訳でもないのに、
耳をたれ、尾をしまい悲しそうに小さくなっている。プレ
イング4ではどのクラブを使おうなんて、先のことを考えら
れなかった。うちひしがれて、ただじっと待った。いや、
やっぱりプレイング4は罰ゲームに違いない。

100ヤードを示す杭の近くに、プレイング4の特設ティはあっ
た。特設ティといっても平らになっているわけでもない、フ
ェアウエイの左端と右端に、黒い小さなかまぼこ型の標識が
あるだけで、その標識と標識を結ぶ線を越えないところから
打つのだという。教えてもらわなければ見過ごしてしまうほ
ど小さくシンプルだった。

 打ちひしがれて、背中を丸めて小さくなっている小市民、
ほなさんの出番はやっときた。いつまでも落ち込んでばかり
はいられない、やる時はやるのが団塊の世代の端くれなのだ
と、強気で鼓舞した。われら団塊の世代は競争世代、世の中
が公平なんて一度も思わなかった。だからやらねばならぬ時
には、自分の力を誇示する遺伝子がDNAの中に深く根付い
ている。得意の(これこそが唯一、前向いて球が飛んでいく
という意味で)8番アイアンを手に持ち、血圧の数値を30は
上げつつ特設ティに立った。
向こうに見えるグリーンの左右にバンカーがあり、周りの土
色に緑色のグリーンが映えてなおさらきれいだ。ここまでお
いでよ、と呼んでいる。


         奇跡のショット

 初心者の私には尺取り虫戦法しかないから、何打かかろう
とボールがひたすら前に飛ぶことを祈ってアドレスに入る。
素振りをすると、気持ちがうわずって、クラブの先が草の遥
か上を通過して、とてもボールに当たりそうにない。やばい、
やばい、ダフッてもいいから、もう少し草をカットするよう
にしよう。軽く振ることだけを念じて振り下ろすと、ボール
は何の抵抗もなく舞い上がった。風にさえぎられて音が聞こ
えなかったためか、ボールに当たったという感触はなかった。
でもボールは、青い空にスーっと弧を描いて、グリーン上の
旗めがけてまっすぐ伸びていくではないか。

 周りから「ナイスショット!」の声がかかる。
ガンバレ、ボールよ、お前もチャンスをその手で掴め!われ
らは世界第二位の日本をつくった団塊の世代のそのまた端く
れなのだ。生まれてはじめての周りの賞賛に、ほなさんはわ
れを忘れて、手を挙げて応えた。

たった一打のナイスショットの声に、気分はもうツアープロ
だ。でもボールはグリーンまでひと伸びたりず、左のバンカ
ーに入っていた。バンカーの中を転がった跡が、弧をひいて
きれいについていた。それほど深くないが、グリーンはひざ
くらいの高さにあった。

 バンカーにそろりと下りてみる。大粒の白砂の上にできる
足跡を気遣って、無意味なことはわかっていても、遠慮がち
に歩いてしまう自分が情けない。ヅカヅカと「バンカーなん
かに入りやがって」と傍若無人な態度がとれるのはいつの日
になるだろうか。
だいたい、ゲームをするためにここに居るのだから、遠慮し
ながらではできるものもできなくなってしまう。分ってはい
ても、他人の目や、お金を払っているゴルフ場にすら媚をう
ってしまう自分が情けない。あーあ、リッチなスポーツをし
ても貧乏性は変わらない。

 K師匠が、「すくいあげるんじゃなく、ダフるつもりでボ
ールの手前を強く強く。」とグリーンから大きな声で言った。
紳士のK師匠が大きな声を出すというのは、ここ一番のショ
ットだと判断しているという気迫が伝わってきた。バンカー
から脱出できなかったら、後続のグループを遅延させ迷惑を
かけることになるから、責任を感じているのだろう。だがこ
ちらは、初めてのバンカーに興味津々で、ゴルフの醍醐味が
さらに味わえると勇んでアドレスに入った。物見遊山でゴル
フ場にきているから、何でも触ってみたい、やってみたい初
心者ゴルファーなのだ。

 私の場合は何もしなくてもダフるのだから、手前の砂めが
けて思い切り打ち込んだ。砂が大きく舞い、続いてボールが
勢いよくグリーン上に飛び出した。2回目のナイスショットは
スローモーションでみえた。難しいと思っていたバンカーの
アゴはこのときばかりは低くみえた。K師匠の助言が的確だ
ったのだ。

 でも本人はそんなこと気付かない。これ以後はバンカーに
入るたびに、どんな状況でも思い切り打ち込むものだから、
間違えてボールをさらに砂の中に叩き込んでしまったり、あ
たり一面に砂を撒き散らして周りを困らせた。やはりケース
バイケースがあるのを知るのは、ずっとあとのことになる。

再録「汗かき日記」第二部(前)

2010年11月05日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録しております。)
 
ホールのはじめの頃かいた脂っぽい汗は、510ヤード、
パー5のロングコースを登り下りするうちに出尽くし、
サラサラと流れる心地よいものとなった。コースの端に
カート道があり、アイアンをカートに取りにきてはフェ
アウエイを走るのものだから、自然と足腰の鍛錬になる。
これも下手の功名か、カートがあっても乗れないのだ。

 見かねたK師匠が「アイアンは数本まとめて持っていき
なさい。」とアドバイスしてくれた。ゴルフクラブには、
長く大きな距離をかせぐのに使う「ウッド」、小さな距
離に応じて使う「アイアン」と呼ばれる道具がある。5番、
7番と番手が大きくなるにつれ、小さい短いクラブとなっ
ているから、初心者は番手の大きな、短いクラブから練
習せよといわれる。短いほうが振りやすいから当てやす
いのだ。

 それで私は、大きな番手、8番、9番、深い草むらから
出すためのピッチングと呼ばれる短いもの、そしてバン
カー用の最も短いサンドウェッジなど、持てるだけ持っ
ていく。そうしてコースを行くうちに、カートに戻る必
要がなくなった。
 クラブ数本を担ぎ、傾斜地で力を踏ん張るものだから、
大腿骨の付け根が痛い。30年以上使わなかった錆付いた
骨の接合部がきしんでいるのだ。古びた己の肉体が情け
ないというより、痛みを感じることが素直に嬉しかった。
スポーツにはどこかマゾ性が潜んでいるのか。

 私たちの乗ったカートは1番グリーンの奥を抜け、イン
ディジョーンズの暴走トロッコよろしく、狭い急なカー
ブを右左と下がると、2番ティグラウンドに出た。10畳ほ
どの台形型スペースのレギュラーティがあり、その後ろ
に、競技会などで使うバックティがあった。側面は並木
で囲われていたが、並木の向こうは切り立った崖のよう
だ。
 このティグラウンドの、二、三十メートル幅のすり鉢
じょうの谷を越えた先からフェアウエイがはじまってお
り、グリーンはそれをさらに左に登りつめたところにあ
るらしい。よく考えるとティグラウンドだけが、崖にへ
ばりついて存在しているのだ。想像したら、忘れかけて
いた高所恐怖症がうずき、足の力がぬけていく。


      谷越えの2番ホール

 たった数十メートル幅の谷でも、前に土が見えない何
もない状態というのは非常に不安だ。連続しているから
安心感も生まれる。今日は明日へと続くからこそ、安心
して今日の反省もできるのだ。それが明日がない、今日
の次は3日先というのでは、どう反省したらよいか分ら
なくなってしまうではないか。

 子供の頃、水溜りを越えようとすると、どうしたわけ
か勢い余り、きまって水溜りに着地していたことを想い
出す。また、音楽でいう休符始まりの曲のようで、なん
ともリズムがとりづらい。もともと私の場合、スキップ
がリズムよくできるようになるには、少なくとも10メー
トルの助走がいるのだ。そういう個人的な都合など、こ
のホールは一切拒否している。谷越えでしかも打ち上げ
のこんなホールを設計した人は、他人が苦しむのを喜ぶ
性悪さをもっているのだろう。

 手持ちのクラブで一番大きなものは、ウッドの1番(
ドライバー)と3番、アイアンでは4番。でもどれで打
ったらよいのかまるで判断できない、というのには理由
があった。私の場合どれで打っても同じ飛距離であり、
それもうまく前に飛んでくれれば、という難しい条件ま
でついている。

 金属性のドライバーをなぜウッド(木製)というのか、
など常日頃(つねひごろ)なんとも思わなかったことに
まで神経がいき、よけいに頭がこんがらがってきた。高
所恐怖症、あがり症、頭の中はなおさら酸素欠乏気味で、
この場に居ること自体を疑問に思い、「われ思う、ゆえ
にわれ在り」とかなんだか分らない言葉で自分を励まし
て、ボールとティを地面にさした。

 この場に及んで、一番飛距離の出るドライバー(ウッ
ドの1番)は、もはや持てなかった。K師匠の目を剥かせ
たウーヤーターの渦巻きショットがでるなら上出来で、
今となってはマトモに当たるかさえわからないのだ。ま
だしもの4番アイアンで一か八か、はじめての谷越えにい
どむ。
南無八幡大菩薩、わがボールよ、鳥のごとく越えていけ!


         嘆きの谷

 思い切り力んで振ったクラブは、いったいボールのどこ
に当たったのだろう。手前の芝を剥ぎ「ベキッ」という音
のあと、目の前の谷めがけて「ガキッ、ゴン」。谷の斜面
に立つ雑木に跳ねながら、ガサガサと谷底へと吸い込まれ
てしまった。
 頭の中が真っ白になる。今のスゥイングをどうのこうの
と反省する余裕はなく、物音のする、ボールが跳んだであ
ろう方向を見るのが精一杯だった。わがボールが谷底なの
はわかっていても、向こうのフェアウエイの方に運良く跳
ね返っていないかと、目で探してしまう自分が辛い。

 K師匠が「あちゃぁ、プレイング4だ。」と言った。コー
スの外に飛び出したのはOBだから打ち直しかと思ったら、
こういう時は「プレイング4(フォー)」という、谷の向こ
うのフェアウエイ上の指定された場所から、第1打を4打目
として打つのだという。もう一度チャレンジしたい私の未
練をよそに、なんと谷越えした息子と余裕のK師匠はクー
ルな顔してカートに乗り込んでいく。

 「確かに20回に1度しかないけど、きちんと当たる私の真
の姿を知ってほしい。この前当たったときは、少しスライ
スしながらもかなり飛んだじゃないか。ああいう球が出れ
ば、きっとこの谷だって越えるのに。もう一度打てばそう
いう球がでるかもしれない。プレイング4とは、素人になん
と悲しい冷徹なルールがあるのだ。」などと、言い訳がま
しい心のつぶやきは、フェアウエイに着いてもエンドレス
で続いていた。

 かつて、一方通行の片思いゆえ、実らぬ淡い恋ばかりだ
ったけれど、たった一度、クラスの女の子が、私のことを
気に入ってくれていると言ってくれた一言は、それからの
私の人生で大きな自信につながってきた。大人になってか
らその状況を考えるに、どんな言葉だったかさえ思い出せ
ないほど、話の流れうえのなんのたわいもない、あどけな
い少女の一言だったが、未熟な少年の心に生きる勇気を与
えるには十分だった。これいらい、妙な自信が私を支え、
勘違いゆえの失敗をすることも時にはあったが。

 ミスショットのあとの罰の悪さといったら、なんともい
えないものだ。しかし、初心者ゴルファーにとって、まっ
すぐの球を打てたことがあるというのは「あどけない少女
の一言」に等しいものがあった。数十回に一回起きる「ま
ぐれ、奇跡、ラッキー」が今の私のすべてを支えていた。
だがそれも、初夏の清清しい風景にあらわれて、興奮はだ
んだん冷めてきた。「さっきのショットが出たのは私の腕
だ。まだまだ大きなクラブは打てない、当たらないのが私
の今のレベルなのだ。だからプレイング4とは罰じゃなく
、これ以上スコアを悪くしない救済策なのだ。」と。私は
やっと目覚めた。